• 締切済み

浅井長政に関連する?人物 うねめのしょう

先程、間違えて「うねめのすけ」と書いていましたが 正しくは「うねめのしょう」でした。 戦国武将、浅井長政に関連する?人物に、浅井うねめのしょう(字が分かりません)という人物がいるそうなのですが、書籍を見てもインターネットで検索しても1つも資料が見つかりません。 私の母の祖母がその名を口にしていたらしく、私の家系に関連しているらしいのですが… 祖母は結局、うねめのしょうという人物がどういう人物なのかいわずに亡くなってしまったので、何もわからずじまいです。 母が祖母から聞いたところによると、うねめのしょうという人が先祖で、長政と関係があるとか何とか言っていたそうなのですが… その祖母は、「長政の親戚の子孫だ」と何度も母に言って聞かせたそうなのですが、その「うねめのしょう」という人物が直系の先祖なのだそうです。 だからそのうねめのしょうという人のことが分かれば、長政のことなども嘘か本当なのか分かるのですが…。 (ちなみに、母の旧姓は「浅井」です。過去帳の1番上に浅井長政と書かれているらしいのですが、これは先祖が書き換えていることがあるらしいので…) どなたか、浅井うねめのしょうという方について少しでも知っている方がいたら教えて下さい。 宜しくお願いいたします。

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数1

みんなの回答

  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.2

まず、官位官職の基礎知識は、このあたりを参考に。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2280400 あと、本来的に律令制にもとづく、官位官職については、以下のURLを参考にしてください。 http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/index.html http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kanitop.html さて、采女正についてですが、官職の一つです。 官位でいうところの正六位下相当でして、采女司の長官に当たります。読みは、ショウ、セイ、カミといろいろありますね。なお、佑は次官(判官)にあたります。こちらは、ジョウと読みますね。 そして・・・浅井ですか・・・ えーと・・・浅井、で間違いないのですよね?浅野(と浅野長政)という落ちは無しということで(こちらはずばり采女正を名乗っている人がいるので・・・)。 さて・・・浅井長政ですが・・・直系子孫はまず考えられません。彼の子孫は基本的(というか一般的には、ですね)に女系しかのこっておりませんので。 まず、長男万福丸ですが、10歳頃に信長の手によって磔にされ死亡。 そして次男「浅井井頼」ですが・・・自称「長政の子」でして、血筋の証明はまったくありません。また、大阪の陣で死亡したとも、その後も生き残って京極を名乗っていたともいわれ、よくわかっていません。 三男は正芸といいますが、住職になったとのみ伝わります。そもそも、この男2人は本当に浅井の血筋であるかすらよくわからない人です(一応、庶子という扱いですが・・・)。 なお、女子3人は有名です。茶々(秀吉側室)、初(京極氏室)、督(秀忠正室)ですね。ただ、茶々の血筋は伝わっておらず(秀頼の代で断絶)、京極は京極で続いており浅井は名乗っておらず、督にいたっては徳川将軍の血筋です(まあ、直接は絶えているのですが)。 で、浅井の親戚なのですが・・・ 実は、浅井という家は、戦国期における新興勢力でして、確実なのは浅井長政の祖父まで、という家です。 つまり、それ以前はいまひとつ不明(家系図を京極氏だとか三条の出自だとかに変えているため、資料が残っておりません)でして・・・ また、滅亡時の資料散逸もあり、いわば「子孫を名乗ろうと思えばいくらでも名乗れる」家系ではあります(というか、長政の場合庶子がいた「らしい」という状態でして、実際のところは完全に滅亡したかもわからないのです)。 なので・・・正直、浅井長政子孫というのは苦しいかと(可能性は0ではないとはいえ、捏造の割合が強そうです)・・・浅井の庶流の流れならば考えられないことはないですが・・・できれば、家系図みたいな感じで、誰から分かれた・・・とかわかりませんかね? とりあえず、采女正を名乗った浅井一門は、戦国時代においてはちょっとわかりません(いないとは思うのですが、私の勉強不足もありえるので・・) なお、浅井家には千田釆女正という家臣はいましたが・・・こちらの出自となれば、過去帳に浅井長政があるわけはないので・・・

参考URL:
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/asai_k.html
  • machirda
  • ベストアンサー率57% (634/1101)
回答No.1

専門家ではないのであまり詳しい回答はできないのですが、「うねめのしょう」も「うねめのすけ」も官職名ではないでしょうか。 「うねめのしょう」は采女正(普通は「うねめのかみ」とか「うねめのせい」と呼ぶが、「うねめのしょう」と呼ばれることもある)か、采女佑(うねめのじょう)のことだと思いますが、これは宮内省の采女司(女官の管理をする部署)の責任者とされています。 武士の名前には、姓、諱、字、幼名、諡号などいろいろな呼び方があるのですが、官職で呼ぶのもその一つです。例えば、忠臣蔵で有名な吉良上野介(きらこうずけのすけ)という人物がいますが、この「こうずけのすけ」の部分が官職名です。基本的に位の高い武士は本名では呼ばず、官職で呼ぶならわしになっているので、ご質問の「うねめのしょう」もおそらく官職である可能性が高いと思います。 さて、浅井采女正についてですが、『浅井氏家譜大成』という、浅井氏の系図をかなり詳しく記した書物があります。もしかしたらそこに采女正という官職を持つ人物が載っているかもしれません。官職名なので一人であるとは限らないし、そもそも長政の親戚でも浅井姓を名乗っていないかも知れないので、見つけるのはかなり大変そうですが、それでも調べてみる価値はあると思います。 http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN11545188

関連するQ&A

  • 自分は浅井長政の子孫?

    先日、祖父の遺品の整理をしていた所、家系図を発見致しました。 その内容を見ると、6代先までは生没年や氏名が詳しく記載されているのにも拘らず、 何故かその先は適当な感じ(生没年不詳だったり、氏名が片方だけだったり)になっており、 最終的にかの有名な戦国武将「浅井長政」に辿りつく形になっておりました。 また、途中、大岡越前の血を引く娘を嫁に貰っていると書かれてもいました。 しかしながら、記載者の名を見ると、私の祖父の名があり、いまいち信憑性に欠けます。 インターネットで調べてみた所、浅井家は既に滅んでいるとの記述も見つけました。 また、浅井家と大岡家が途中で結び付いたという記述は発見できませんでした。 そこで、私が浅井長政の子孫である、 または大岡越前の血を引いていると確認する方法はあるのでしょうか。 二方ともかなり有名な方なので、 それなりに家系図はしっかりしていると思うのですが 何分私はそういうことに無頓着だったと言うか不慣れなため、何をどう調べたらよいのか分かりません。 どうか親切な方、私にアドバイスを下さい。

  • 浅井長政の人物像

    何を質問していいのか、自分でも漠然としていますが、小本を読んでいて、「浅井長政」のことが気になりました。それで少し、ネットで、調べてみたのですが、せっかく信長の妹をもらっているのだから、上手に立ち回れば、成り行きによっては、「天下」だって……という印象も持ったのですが、基礎的な知識がないままに、下記のような疑問や印象を持ちました。 1 長政は、優れた武将だったと感じたのですが、信長と連携しなかったのは、「世の中の流れを読める優秀な部下がいなかった。」と理解してもよいでしょうか???それとも、本人の資質ですか??? 2 「世の中の流れを読める優秀な部下がいなかった。」ということに一因があるとすれば、このことが、「信長と長政の根本的な違い」と理解してもよいのでしょうか??? 3 それとも、長政本人は普通の武将で、ただ不幸だったというか、運が悪かったのは、「小田と朝倉の因縁に巻き込まれた。」だけだったのでしょうか??? 4 漠然とした印象ですが、長政って、戦国時代の殿様としては、「やさしすぎる」というか、「生まれてくる時代を間違えた」のではないか???

  • ж戦国武将アンケートж

     皆さんの好きな戦国武将って誰ですか?  僕は浅井長政です。  優柔不断なところが僕と似ていてなんとなく好きです。  マイナー武将も大歓迎です。  どうか教えてください!!!

  • 戦国大名、六角氏と浅井氏の関係について質問です。

    戦国大名、六角氏と浅井氏の関係について質問です。 少しややこしい話になると思うので、関連する者の情報を書きだしてから質問に入ります。 浅井亮政  1532年 京極氏の仲裁で六角と和睦 浅井長政  1545年 観音寺城下で誕生(六角氏の人質状態) 地頭山合戦 1553年 六角○vs●浅井久政 それでは質問に入ります。 浅井氏は1532年、六角氏と和睦したことになっています。しかし、長政は観音寺城下で誕生したということになっているというのは、和睦と言っても、実質は浅井氏の立場は低かったと考えて大丈夫でしょうか? あと、1553年に合戦が起きていますが、これは1545~1553年の間に長政が脱走に成功し、浅井が六角に反旗を翻したという感じでしょうか?それとも、長政が観音寺城下にいるのにもかかわらず、合戦が起きたのでしょうか?

  • 山中鹿之助の家来について

    戦国時代の武将、山中鹿之助についてお伺いいたします。 私はどうやら彼の家来(助さん格さんのような人がいたらしい)の子孫らしいということを最近祖母から聞いたのですが、 その方の名前をご存知の方はいらっしゃいますでしょうか? 私の出身は四国なのですが、どうやら毛利氏に敗れたあと、流れ流れて私の先祖は四国にたどり着いたとか・・・。 祖母も知らなかったらしいのですが、20歳くらいになってとある盲たおばあさんに 「あんた**さんとこの娘だね?あんたの祖先はね、・・・・」と言われたらしいです。 なので信憑性は「?」なのですが(笑)。 ちなみにその祖母の旧姓は「中山」です。 知ってどうなるわけでもありませんし、本当に先祖なのかもわかりませんが、 山中鹿之助の側近の名をご存知の方がいらっしゃったら、お願いいたします。

  • 戦国時代に関する質問です

    質問が複数あるので、題名を曖昧にしてしまったことをまず最初にお詫びいたします。 (1)戦国時代の騎馬隊について質問です。 本格的な文献を読んだ訳ではないですが、ある本で戦国時代の騎馬隊は輸送が主な任務であり、ドラマのように騎乗したまま戦ってはいなかったと知りました。 そこで思ったのですが、騎馬隊の主な任務が輸送であっても、少しは騎馬隊として戦いに参加していたと思います。騎馬隊が戦いに参加する際、どのようなことを求められていたのでしょうか?やはり機動力でしょうか?それとも、騎馬で人を跳ね飛ばす等の打撃効果でしょうか? (2)六角氏の軍役と城割について質問です。 六角氏の軍役を具体的に知ることは不可能でしょうか?特に100貫所有する者に対して、何人の兵を率いることを要求していたかなどが知りたいです。 また、城割という意味が良く分かりません。六角氏が城割をしていたと聞きますので、六角氏を例に説明していただけると助かります (3)肥田城攻めと野良田合戦における浅井長政の関連性について 浅井長政は周知の通り、六角氏から後に独立します。そして、それに怒った六角氏が浅井氏と交戦するわけですが…この二つともの合戦に浅井長政は関連しているのでしょうか? 質問を分かりやすく言いますと 肥田城攻めの段階で既に浅井長政は六角氏から独立しており、肥田城攻めにも関わっている。 または、肥田城攻めの段階では浅井長政は独立しておらず、野良田で初めて六角との戦に関わったのかという質問です。 どうか、回答のほどよろしくお願いいたします

  • 家系図の信憑性

    ある日、うちに家系図があることを知りました。 その家系図の最近のは地方の豪族?地主?藩主?かなんかで、それは信用できると思ったんですが、戦国時代らへんに有名武将の名があり、え?と思いました。で調べてみてもその武将の、うちの家系につながっている息子にあたる人物の名前は見つかりませんでした。 それ以前のは偽造みたいなもんだと思っていますが、その家系図の謎の人物らへんに関してはどうなんでしょうか? よろしくお願いします。

  • 戦国時代の武将が戦死すると一族郎党妻子も死んだ

    http://www10.ocn.ne.jp/~kamitsu/jusonoyurai.html 上記に次のように記されています。 柳田国男著の「十三塚考」によると、戦国時代の武将が戦死すると、その場で一族郎党、妻子すべてがともに死んだ。 それを土地の人々が哀れんで祭ったのが十三塚というものである。 これは全国にもあり、十三付近も戦国時代は非常に多くの戦乱の場となり、戦死者も出たので十三塚と関係があるのではないか。 十三塚の塚を省いて十三となったかもしれない。 (上記より引用) 戦国時代の武将が戦死すると、その場で一族郎党、妻子すべてがともに死んだというのは本当ですか? そんなことすると、先祖の霊を祀る人がいなくなってしまいますが~。 井沢元彦さんがこんなことを書いておられたと思います。 聖徳太子は非常に強力な怨霊だった。 なぜ聖徳太子が強力な怨霊になったのかといえば、子孫が全員斑鳩寺で首をくくって死んだからである。 本来ならば、子孫が聖徳太子の霊を慰霊(供養?)しなければならないのに、聖徳太子にはその子孫がいなかった。 それで人々は聖徳太子の怨霊をひどく恐れた。 今でも先祖の霊を子孫が慰霊する習慣があるので、戦国時代にそういう習慣がなかったとは考えられないんですが~。(まちがいですか?) 戦国時代の武将が戦死すると、その場で一族郎党、妻子すべてがともに死んだことを示す史料はありますか?

  • 初心者にも読みやすい歴史小説を探しています

    真田幸村&真田十勇士(これについては架空の人物のようですが)について書かれている歴史小説で初心者にも読みやすくてわかりやすいものを探しています。 なにかおすすめの本がありましたら教えてください。 よろしくお願いします。 あまり歴史に詳しいほうではないのですがなぜか突然興味を持ってしまいネットで検索していくうちに真田幸村&真田十勇士について知りたくなりました。 ちなみにあと気になっているのは戦国時代の浅井長政&お市さまです。 こちらのほうもできたら一緒にお願い出来れば・・・嬉しいです。

  • 来年の大河ドラマのタイトルについて

    来年の大河ドラマのタイトルについて 2011年の大河ドラマは「江~姫たちの戦国~」だそうですが、このタイトルに少し違和感があります。 主人公は浅井長政と織田信長の妹、お市の三女で、徳川秀忠の妻、徳川家光の母でもある お江(お江与、小督とも言われる)ですが、 タイトルの「江」だと分かりづらく、中国人の名字にも見えます。 「お江」「お江与」などの方がいいと思うのですが、皆さんはどう思いますか。