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町奉行所の与力について
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noname#113190
回答No.3
まず、同心というのは下級武士の総称で、幕府が出来たときに足軽身分の者を同心という役職にしました。 与力は、有力武将の下に貸し出された武士を現し、寄騎、与子とも言いますが、これも大番与力、留守居与力、町奉行所与力など。 奉行は当初は1万石の大名が勤めていましたが、やがて3千石の旗本の職になり、格式だけは5万石以下の大名に準じていますから、何をやるにも自分の家臣だけでは間に合わず、幕臣を借りて手下に使うので「与力」としたのではないかな? 実態ではなく、役職と考えた方が自然ですけど。
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お礼
そうなんですか、始めは大名職でのち旗本職になり人員不足で与力なんですね。なるほど参考になりました。ありがとうございます。