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転生しなくなるのを目指せ

brioniesの回答

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  • brionies
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回答No.12

現在の科学では、すべての物質が、原子よりもっと小さい世界では、波長をもった電波のようなものであるといわれています。 人間もそのからだはもちろん、意識や感情などをつかさどる脳の動きをみても電気的なものであることがわかってきています。 世界が(すべての存在が)波長をもっているとするなら、小さな波長はいつか大きな波長の中でみえなくなり、大きな波長の一部はまた細かい波長を生ずるかもしれません。 転生があるのかはわかりませんが、人間も3次元も波長が物質化しただけなのかもしれません。 転生を除いて考えても、地球がある限りにおいては、人間もいつでも生まれてくることができますし、日々世界のどこかで赤ちゃんは生まれています。 人間を波長として考えたとき、1つ気がつくことがあります。 例えば、水の波が起こっても、それは放置しておけば収まりますし、川の流れも穏やかな大海に入れば、細かい波長は大きなものの中でいっしょになってしまいます。 しかし、ラジオやテレビなど放送の波はそうはなりません。決められた周波数と、その内容が発せられると、その形のまま遠くまで届き存在しつづけます(いずれはエネルギーを無くしますが)。 人間は、ちょうど体や脳という放送装置の中にはいった、意識という形でとらえられる波長なのかもしれません。 そして多くの人は、日常の細かい、うるさいごちゃごちゃした波長の中で悩み、苦しんでいるのでしょう。 あるいは、他の波長(人々や地域、国)の中で、他を利し助け、共存し、大きな仕事をする人は、その新しくみにつけた放送装置(体)と電波(意識や雰囲気)の存在に気づきます。利己的な波長のままでは、他と共存できません。 また、日々生き生きしている人は、悩みも少なく病気も少なく、健康かもしれません。 どれにしても、その人が求め、あるいはこだわり、または自分で自分を縛ったりなど、自分で身に着けたものであることは同じです。 人が求めた結果がこの世界であるなら、人がよい結果をもたらす考え方を求めるのも理解できます。 目に見えない世界の大きな波長の立場からみると、固定の波長を経験できるこの世界で、それら波長が「人間や物質という形をとっているだけ」なのかもしれません。 しかし、生まれてしまった人間にとっては、自分が主体となって生きており、日常の雑多な波長にまどわされます。しかし反面、無意識のどこかに残っている心地よかった元の世界と比較し、どこかに戻ろうとしているだけなのかもしれません。 つまり、完全な境地のようなものに至らなければならぬ、ではなく、いずれ戻るだろう。しかし、その大きな世界からも、また人間や物質のような固体として、日々うまれてくるのでしょう。 もしかしたら、BC1500時代の波長の一部が、AD2006のあなたに帰結した部分があるかもしれません。 この地球が存在しなくなるはるかに遠い未来であったとしても、別の惑星があるならば、そこにはまたそこの星の人として、物質化するのでしょう。 そう考えると、生まれ変わりや転生というのは単なる波長の変幻を例えただけかもしれませんし、逆に「来世は猫にうまれたい」というのも、人間という枠をとって考えれば、波長としてはありえるのかもしれません。 しかし、どちらも宇宙なり世界なりが存在する限りは、その上で(中で)は、あなたも大きな波長の一部でしかないのかもしれません。 帰結点は存在しない。「色即是空」「空即是色」で永遠につづくのでしょう。波長がすべて止まる無の世界がおとづれるまでは。 ビッグバンの前に、私たちのような意識が存在した時空間があったら、そして時間軸が逆だったら、もしかしたら「完全ではなく、個の境地をめざせ!」なんていう逆の思想も存在したかもしれません。

schneewittchen7
質問者

お礼

仰ること、分かるような気がします。私も現時点では御回答者様と似た考えです。 電気、電波、波長…とても不思議です。 パソコンを立ち上げるたびに 「何故、電源を入れると機能し始めるのか」 と思います。 電気の正体って何なのだろうと。 神社のお社の前に飾られているギザギザした形の白い紙は「雷」を象徴しているそうですが。。。 このサイトも一つの波長だと思います。 枝葉の波長も発しながら全体として一つの大きな波長にまとまっていこうとしているようにも感じます。 俗に「波長が合わない」といった表現がありますが、自分に似た波長と行き会わないと孤立感を感じ、大きな波長に必死で同調しようとしたり、それもうまくいかないと手近の波長を自分のそれに統合させて大きくしようと野心的に図ったりしているのかもしれません。つまり >利己的な波長 であるということになるでしょうか。 いったい何が原因で >固定の波長 などというものが生じてきたのでしょう。。。 生物の肉体も含めて全てのものは「振動」していると聞いたことがあります。 死に行く人の枕辺に設置されたモニターの画面のなかで波形が止まっていくのを見て実感したことがあります。 精神的な病等も波長が関係しているのかもしれませんね。正しい波長からズレているとか。 >帰結点は存在しない。「色即是空」「空即是色」で永遠につづくのでしょう やだなあ、と思います。ゲンナリ。 皆が一斉にそう思ったなら、いつしか >波長がすべて止まる無の世界がおとづれる のでしょうか。 「電波」「周波数」問題は目下の私の思考課題です。 とは言え相当怠けていますけれど。 何か、この方面で研究が進んでいるようであれば知りたいと思っています。 いろいろ思うことはあるのですが、とりあえず、この辺で。 興味深い御回答を有難うございます。

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