※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:スピリチュアリズムにおける輪廻転生について)
スピリチュアリズムにおける輪廻転生について
このQ&Aのポイント
スピリチュアリズムにおける輪廻転生とは、個々の魂が複数回の人生を通じて成長し、経験を積む過程を指す。
輪廻転生では、魂はコップの水に例えられ、その水から1滴ずつが生まれてくる。各1滴である魂の個性は消えず、足りない部分を埋めるためにまた1滴の魂が生まれ直す。
自分自身は転生するのではなく、あの世での個性と違う1滴が生まれ直してくるため、自分そのものは生まれ直していないと考えられる。また、新たな魂は前世の個性の総和から生まれるのか、それとも過去の魂が再び転生するのかは不明である。
スピリチュアリズムにおける輪廻転生について
誰もあの世のことは見ていませんので、本から得た知識等で構いません。よろしくお願い致します。
スピリチュアリズムでは、「グループソウルをコップの水に例え、コップの水から1滴がこの世に生まれてきて、いろいろ経験し死んでからその経験をあの世に持ち帰ってコップの中で混ざると。 しかし各1滴である魂の個性は消えないと。 そして足りない部分を埋めるべく、コップの中からまた1滴の魂が生まれ直してくる。」と言います。
上記スピリチュアリズムの考えを前提にした質問ですが、
(1)よく「前世ではこうだった~」とか「足りない部分を埋めるべく生まれ変わり~」とか言いますが、自分自身はあの世で個性を維持し、違う1滴が生まれ直すのならば、自分にイコールと言っていい、この世に生まれ直した魂をあの世から心配はするでしょうが、あの世の自分自身の個性&生活(?)は続く以上、自分そのものは生まれ直していないと考えられます。 その意味でやはりこの世における人生は、1回きりと言えるのではないでしょうか? スウェーデンボルグも、「転生はない。 あの世で転生した魂の例に1回も遭遇しなかった。」と言っています。
(2)そのように自分そのものが転生する訳ではない以上、一体全体新たな1滴たる魂はどこから来るのでしょうか? それは全く新しいエネルギー体に、その時点まで転生したA~Zさんまでの魂の個性の総和がコピーされ、そのNEWコピーが生まれ直して来るのでしょうか?(これは上記質問(1)の、人生は1回きり説を前提にした推定です。) それともZさんが今回死んであの世に戻ったなら、また最初に戻ってあの世に何万年も滞在したであろうAさんに再び転生の順番が回ってき、生まれて来るのでしょうか?
(3)亡くなった人達が、幽界から霊界に行き、そこから更に神界へ、無限の高みを目指すという流れがある一方で、この世に下ってきて生まれ直す流れもある? グループソウル全体としては、この2つの(ベクトルとしては正反対の)進化を同時進行で行っているのか? という新たな疑問が生じてきます。
(4)グループソウルは幽界でなはく、霊界に存在するという解釈でいいですか? 転生する魂は幽界ではなく霊界から来るのでしょうか? 亡くなって成仏した魂が幽界に行き、更に第2の死とも言うべき幽体をも脱ぎ捨てて霊界に行くといいます。 それは現世の時間で言うと通常30~50年もかかると。
よく前世の記憶があり「私は元どこそこ村の○○だ。 △の理由で死にこの世に生まれ直した」という証言があって、実際調べると確かに30年前にそうした人がいたことが分かるという話を聞きます。 その場合時間的にとても霊界に戻っているとは思えません。 幽界からろくに反省もせずにすぐ生まれ変わったのか? そうなると生まれ変わった個性は似た者としてのコピーではなく、「転生は自分自身説」が有力になります。 そうだとするとスピリチュアリズムの考えに反しませんか?
転生する場合同時代に1人ずつという訳ではなく、複数の魂が同じグループソウルから生まれて来る場合もあることは知識として分かりました。 しかし上記(1)~(4)は、どの本を読んでも、どのHPを読んでも(現時点では)どこにも書いてないです。
「転生だのグループソウルだの、ねぼけたこと言うな!」という方は御遠慮頂き、こうした分野に抵抗がなく「こう書いてあった」とか「私はこう解釈する」という御意見のある方から御回答を頂けましたら幸いです。 よろしくお願い致します。
お礼
有難うございます。 このまま締め切らずにおけば、2年後位にキーワード検索で辿り着いた方が、良い回答を書いて下さるかもしれないと思っていたら、早速素晴らしい御回答に出会えてとても嬉しいです。 (1)霊能者が霊視である人間の守護霊を見ると、「Aさんという守護霊がいます。Bさん、Cさんという守護霊もいます。」と答え、「これらA、B、Cさんはあなたの守護霊であると同時に、前世のあなた自身でもあるんですとよ」と言って、霊視された人が「え!?」と驚いたりします。 すなわちコップの水理論(これは日本では最初に江原氏が言ったと思いますが、最近それに影響されたのか、似たような表現で説明する本が数多く見受けられます)によれば、自分とは既に過去生を生きた複数の人生郡の総和であり、そうした人生を過去に生きた人達は自分自身であると同時に、自分がこの世に生き続けている間も、あの世に別の個性として存在し続け、一部は守護霊になったりしながら、霊界や幽界で生活しているんだと。 そう考えると、自分が死んだらいずれ(自分自身又は某かが)転生はするが、同時にあの世で死んだ自分の魂の個性は残っいて、あの世の生活も続くんだと。それって分身の術?と訳がわからなくなりりました。 かつて木村藤子さんが、美輪あきひろ氏を前に、中居から質問を受けて「美輪さんは、天草四郎の要素を持っていると思います」と言いました。 天草四郎そのものじゃなくて「要素」? 要素って何? つまり決してイコールではなく、天草四郎が所属する類魂があって、その一員が美輪氏なのだと。 そうなると美輪氏は今生きている訳ですが、天草四郎はあの世で美輪氏の守護霊になってるかもしれないし、また現在どこかで別に転生してるかもしれないと。 天草四郎は美輪氏の過去生であるのに、別の歩みもあるのだと解釈しました。 多くの人が(例えば須藤元気の過去生は、大昔迫害された、大変有名なキリスト教の聖者と本人が言っているように)、有名人の過去生=今の自分と言ったりしていますが、これもイコールということではなく、類魂の別のメンバーの過去生が、今いるその人の中に要素として入っていると考えられるのではないかと類推しました。 一方エドガー・ケイシーの本を読むと、類魂の話等は出ず、完全にその人自身の転生としてリーディングれています。 nande11iiさんは、 >人生は、1回きりと言えるのではないでしょうか? その通りです。全く同じ個性が現世に再生するということはありません。 という意味で1回きりと言っているのが分かります。 >でも、再生しているのは全く同じ、その人なのです。 とも言われているように、転生とは何回も全く同じ人が生まれてくるのであって、類魂からの代役がバトンタッチする訳ではないのだ、と言っているのだと思います。 つまり人生は1回ではなく何回もあると。 私はスピリチュアリズムにおけるコップの水の例えからして、今の人生が終わったら、あとはずっとあの世で自分は生活し、守護霊役があるなら時々類魂の転生役をあの世から応援するだけ、と思っていました。 nande11iiさんの説明は、エドガー・ケイシーのリーディング例に近い感想を私は持ちました。 つまり(繰返しですが)、類魂からの転生ではなく、全く同じ自分自身の転生であると。 まとめると、転生とは第一義的に自分自身の転生であることは間違いないが、そこに類魂の経験・過去生も大いに要素として含まれているということでしょうか。 類魂の経験・過去生の要素にあたるのが、nande11iiさんがおっしゃるところの、類魂の無意識というものですね。 つまり自分自身の転生と、類魂からの影響。 人間の中にはこの2つの流れがあり、それが自分を構成していると。 2~4の御回答も含蓄があり、整合性がとれていますよね。 よくここまでしっかりした世界観を確立されたと感心します。 瞑想であの世を実体験として把握したり、御自身の守護霊とコンタクトできているのでしょうか? ところで今回の質問は、わりあい単純な動機からでして、最近母がなくなり、母ともう1回この現世で会いたいなと。 でももう自分自身の転生がないというなら、あの世の、”感覚だけの世界”でしか会えないのかと。 幽界では食べたふりはできるそうですが、本当に食べているのはこの世であり、その意味でもう2度と母と一緒に食事したりとかできないのか、という無限の寂しさがあり、ここ最近急激に精神世界のことを勉強しました。 で自分の中で合点のいかない部分をここで質問した訳です。 お蔭様で大体把握できた気はします。 間違って解釈しているところも大いにあるでしょうが、今の自分の力ではこんなものと納得しています。 重ねて有難うございました。