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「スピリチュアル」は一種の宗教なのでしょうか。
生まれる前に、自分という姿形、性、素質などを選んで、足りないところを補う修行をするために生まれてきた、という本をこれまでよく読んできました。たしかにそう考えるとより良く生きられる気はします。 たとえば、自分は「なにをやっても不器用な人間」だとします。でも、生来「頑張り屋」だとしたら、努力を学ぶために生まれてきたと言えそうです。出来が悪いのは、「努力という美徳」を学ぶ為に自分で選んだ特徴だとスピリチュアルでは考えられそうです。 でも、ふと思うのですが、こんなに上手いことあの世で計画などするものなのでしょうか。私は魂の存在は信じているのですが、すべての魂がこの世から飛び立って、どこかでこの世の反省をし、次世の計画を練るなんて、なにか腑に落ちません。なにか不自然な感じがするのです。 魂ってそんなに計画的なものなんでしょうか?もっと自然に近いものだと思うのですが。 それに、やはり科学などではどうにも真実だと立証できないことを説くのは宗教ではないか、スピリチュアルを信じるということは、宗教を信じるのと同じことではないかという気がしています。 「スピリチュアル」について、肯定的でも否定的でも、私のように懐疑的でも何でも良いので、みなさんのご意見を聞かせていただければ幸いです。
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- magga
- ベストアンサー率15% (56/359)
まず、「魂」とは「変わらない何か」だと思います。もしそうであるなら、私には変わらない何かを発見することが出来ません。 五感も意識も全て変わり行くから知ることが出来ますね。変化しないものがあったとしても我々には知ることも、関係性が生まれることもありえませんね。関係性が生まれること自体が変化ですからね。 そういう意味で「魂」は成り立たないと言う見解が有ることを書いておきますね。 多分変化生滅し続ける「心」の流れのに「魂」と言う言葉を使っているのかなと憶測します。 全ては原因と結果の連続だと思います。この現世意外にも生命の次元が「あるとしても」そのその次元に生まれる原因があったからその次元に生まれるのでしょう。この世も数多有るであろう次元のその一つでしょう。 「学ぶために生まれてくる。」と言うより、自分に問題点があれば「自ずと、その問題に出くわす。」のだと考えるのが妥当とかんじます。 以前にその因となる要素を備えていたから全ての物事は起こるのだと思います。 来世が有る無いに関わらず、「今有る」悩み苦しみの原因となる要素を自ら発見し、解決することが重要ですね。 解らない検証不能なことを信じるのが宗教だと思います。 腑に落ちない納得できないことが嫌いならば。 その点で反宗教的で自分の理性によって考え検証し体験しなさいと言う態度の大元の仏教であるパーリ語の仏典を守ってきたテーラワーダ仏教の教えの中で、自己の理性での部分を実践なされることをオススメします。 論理的に道徳的に理性的に考えて納得がいくところを実証。 解らないところは解らないところとおいておく。 これぞ理性と感動してますw ダンマパダの解説書「一日一話」「一日一悟」→「自分を変える気付きの瞑想法」やスマナサーラ長老の書籍はオススメです。
- lavaso
- ベストアンサー率45% (34/74)
魂は自然なもの、と思われるそうですが、では自然とは何でしょうか。意味も計画も無い事が自然でしょうか。まわりに存在する自然と呼ばれるもの達を見てみて下さい。全てに理由があり至極合理的ではありませんか?最先端の科学や医学、色んな技術が自然に学んでいるではありませんか。 スピリチュアルとは自然な事と思っています。全ての事に存在や意味があると言う事。そんな当たり前の状態を忘れた人々に対して、スピリチュアルと言う呼び名で語り掛けているだけだと思います。宗教と呼んでも構わないかも知れません。なぜなら本来の宗教は太陽や雨風、草木、海山、火水など生きている私達のまわりにある見えるもの、見えないもの全てに意志や力を感じて畏怖畏敬の念を持った事なはずだからです。頭で理屈を考えるよりも感じる事、そして気付く事がスピリチュアル感に近づけるのではないでしょうか。
- lavaso
- ベストアンサー率45% (34/74)
魂は自然なもの、と思われるそうですが、では自然とは何でしょうか。意味も計画も無い事が自然でしょうか。まわりに存在する自然と呼ばれるもの達を見てみて下さい。全てに理由があり至極合理的ではありませんか?最先端の科学や医学、色んな技術が自然に学んでいるではありませんか。 スピリチュアルとは自然な事と思っています。全ての事に存在や意味があると言う事。そんな当たり前の状態を忘れた人々に対して、スピリチュアルと言う呼び名で語り掛けているだけだと思います。宗教と呼んでも構わないかも知れません。なぜなら本来の宗教は太陽や雨風、草木、海山、火水など生きている私達のまわりにある見えるもの、見えないもの全てに意志や力を感じて畏怖畏敬の念を持った事なはずだからです。頭で理屈を考えるよりも感じる事、そして気付く事がスピリチュアル感に近づけるのではないでしょうか。
お礼
ご意見ありがとうございます。 魂自体に意味があるっていうことは肯定しているんです。でも、「あの世に行ってこの世の反省をして、次世の計画を立てる」っていうところが腑に落ちないんです。。。本当にすべての魂がそんなことをきっちりしているんだろうかって。 そう考えると、本当に夢物語を語っているだけなのかしら?って。ちょっと疑問を感じたわけです。
スピリチュアリズムというのは、自己の本来性に気付くためのものだと思います。 神性とか仏性とか言われるものにですね。 ですから仏教とかと同じで、宗教的なものとして捉えた方がいいと思いますね。 この世に生まれるのも、人間の本質は、霊であり 神である ということを学びに来るのだと思います。 この世は そのための、修行の場ということですね。
お礼
そうですね、やっぱり宗教的なものですよね。 人間がそもそも姿形ではなく、霊である、ということは確かだと思うのです。魂が向上するための、この世は修行だということも。 ただ、質問文で書いたようにスピリチュアルで言われていることが、あまりにも、具体的なので、本当にそうなのかなあと思ってしまうのです。ご意見ありがとうございました。
- bouhan_kun
- ベストアンサー率19% (1032/5208)
信じるものは救われるという時点で、思想を超えた宗教のようなものです。ただ、宗教でないというのは、宗教法人ではないということで、今は任意団体か、個人の意見という範疇としか言えないからです。 科学で証明できないものである限り、道徳はあっても、事実ではありえないのが、現代社会の定義です。それをあたかも見てきたかのよう公言するのを、現代社会ではペテンと言います。
お礼
なるほどなあと思いました。 でも、確かにはっきり分らないものを信じてしまうのも人間ですよね。 私はスピリチュアルな考え方は結構好きなんです。道徳に近いものだと思えばよいのかもしれません。 ご意見ありがとうございます。
- natumikang
- ベストアンサー率16% (43/268)
今の世界に生まれた試練は前世が原因だというのは危険思想です。もっとも危険な宗教的考え方です。 「この人はさぞかし前世から立派だったに違いない」と人に思わせるのが、日本の多くのカルトの教祖です。逆もまた真なりで、前世の因縁でだめなのだという生まれながらの差別も作ります。 「スピリチュアル」提唱者は自分を「教祖というなかれ」というカルト回避の一風変わった教祖にどんどんなっていく途中です。
お礼
確かに教祖みたいなところはありますね。宗教とは見せかけず。 でも、私も、なるほどな、とたくさん本を読んできたんですけれど。。 知らず知らず思想に侵されて行くという感じでしょうか。 ご意見、ありがとうございます。
お礼
スマナサーラさんの本何冊か読みました!最近はあまり読んでませんけれども。とてもはまった時期があります。棚の奥から取り出して、たまに読みたくなるときがあります。やはり、仏教の周りに左右されず、理性的になるっていう気持ちになりたい時ですね。スマナサーラさんは仏教を科学と説いております。 スピリチュアルを読む前はテーラワーダ仏教の本を読んでいたので、ご回答者様の文を読んでびっくりしました。紹介していただいた本読んでみたいとおもいます。 それに、今ある悩み苦しみとなる要素を自ら発見し、解決することが重要、というところとか、とても参考になるご意見ありがとうございました。