- 締切済み
なぜ殺し合いか。
こんにちは。 カテゴリ違いかもしれませんが投稿します。 ふと考えたことなのですが、戦争ってなぜあるのでしょうか。 古代から戦争による人殺しというものがあったというが、そもそも戦争って概念はいつの時代から始まったのでしょうか。 現代の子どもたちに、なぜ戦争では人を殺さなければならないのか、戦争は本当に必要なものなのかを深く考えさせるべきであると考えています。 生き物を大事にするだとか、思いやりをもつだとか、直接的ではないと思いますが、関係してくると思うんです。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
みんなの回答
- luune21
- ベストアンサー率45% (747/1633)
- luune21
- ベストアンサー率45% (747/1633)
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
- Scull
- ベストアンサー率26% (248/951)
- moritan2
- ベストアンサー率25% (168/670)
- donbay312
- ベストアンサー率45% (92/203)
![noname#35575](https://gazo.okwave.jp/okwave/images/contents/av_nophoto_100_6.gif)
- inuinu_koro
- ベストアンサー率30% (19/63)
- aries_a_double
- ベストアンサー率20% (235/1159)
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3287)
- 1
- 2
関連するQ&A
- 法の考え方の歴史的変遷
現代と平安時代や江戸時代の古代とはどのような点で法の考え方が変わったのでしょうか?? 現在は刑法・民法などもありますが、平安時代では律令というものがあったと記憶してますし、武士の時代にも奉行所などがありました。 日本に限らず、現代と古代や中世との根本的違いなどがあればご教授していただけると助かります。
- ベストアンサー
- その他(法律)
- 現代・古代の戦争について
こんにちは。 まえまえから疑問に思っていることを聞いてください。 古代の戦争では、中国の三国志や日本では織田信長の時代などは、 ドラマにしても映画でも豪傑、英傑などと義だの節義だのと勇ましさばかり取り上げられて、 偉人みたいに言われるのに、戦車や飛行機がでてくる現代戦では、 戦争の悲惨さばかりが取り上げられます。 現代戦で英雄などあまり聞きません。 これはなぜですか。 私の考えでは、現代戦は人が瞬時にたくさん死にすぎたためかなとおもいます。 ご回答お待ちしております。よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 歴史学の現在的価値って
歴史学が無駄だといっているつもりではないのですが、歴史学の現代的価値(有益性?)はどのようなものなのでしょうか? また、歴史学にも、古代・中世・近世・近代などの時代区分がありますが、現在では大部分が忘れ去られた忘却の時代(古代)を対象とする歴史学と近世・近代など現代社会を深く関係する時代を対象とする歴史学とは同じ目的・価値なのでしょうか? 悩ましいです。アドバイスや参考文献などご紹介いたたきたくお願いいたします。
- 締切済み
- 歴史
- 自分だったら戦争へ行けないのですが
古代から現代まで、戦争というものはずっとあって、今までに数え切れないほどの人達が戦って死んでったと思います。 自分はたまたまこの時代に生まれて今はまだ戦争の恐怖とかは知りませんが、実際に60年ちょっと前まで日本でもかなりひどい戦争があり、今後も起きるかもしれません。 今まで古代から続いてきた戦争で、戦いに参加できてきた人の精神はすごいと思います。まず生き残るためには何十人と相手を殺さなければならないし、常に死ぬ恐怖に怯えて戦っていなければいけないし、死ぬとしたら相当痛い思いをしなければいけない恐怖もあります。 自分なら注射ですら痛くて怖いのに、剣とか弓とか銃でやられたらどれくらい痛いのかと思うとぞっとします。 さらに嫌なのは、中途半端に殺されかけて助けられたとしても、両目を失ったり、手足がなくなってしまったりすることです。 こんな思いをするなら、いくら強制的に召集されても、自殺すると思います。昔なら自殺もかなりの苦痛を伴うと思うので、それすらできないと思いますが、現代なら睡眠薬を使えばそこまで苦痛な気がしないと思うので・・。 しかしここの質問等を見ていると、あの世という存在を信じている人が多くて、自殺はどんな時でもダメだとか、死んだらまた同じような人生を繰り返すだとか、江原さんと同じようなことをおっしゃっています。 実際自分も江原さんを信じていてそんな気がするのですが、戦争に行かなければならないとなると(今後ありえるかもしれないので)、どうしても自分は無理だと思います。 古代から現代まで数え切れない人が戦をしてきていて、その人達の精神がよくわかりません。それとも自分が臆病すぎるのでしょうか?勝敗とかどうでもいいと思います。 今後戦争起きて自分みたいな若い男がかりだされた場合を想定して、いろいろ考えてるのですが、生き残るために何十人と殺すということも怖すぎてできないし、中途半端に殺されかけて助けられても両目とか手足失ったりしたらほんと悲惨だし、注射の針ですら怖くて嫌な自分が残虐な兵器で想像を絶する痛さで苦しみながらの死ぬまでが怖すぎる自分でも、睡眠薬で自殺するのってダメでしょうか? もし自殺したら同じような人生をもう一回やり直すということになったら悲惨なので、やっぱり自殺はダメなのでしょうか? よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- その他(恋愛・人生相談)
- 時代区分における「代」と「世」について
時代区分の仕方のひとつの「例」として、 「古代」→「中世」→「近世」→「近代」→「現代」 というのがあると思います。 つまらない質問かも知れませんが、この時代区分で、「代」と「世」の使い方に、何か意義を見出せるでしょうか???それとも、たまたまのことであって、どうでもいいことなのでしょうか??? 「例」に挙げている時代区分自体がおかしいとか、「そんな小さなことにこだわるな」というご意見もあるかも知れませんが、それでも、この時代区分の「代」と「世」の違いについて何か意義なり、考えるヒントみたいなものは見いだせるのでしょうか???
- ベストアンサー
- 歴史
- 弾道ミサイルの使い道は人殺しですか?
自分が生き残る為なら、人殺しでもするのは何故でしょうか。人殺しをして、死んだ死体をみて、何を思うのでしょうか。 まだ、誰も殺してはいない北朝鮮に対して恐怖が恐怖を呼んで、何故か?疑問が消えません。 世界中で唯一、二回も原子爆弾を使い、実際に人殺しをしたことのあるアメリカに対して、またあの国は人殺しをしかねないと恐怖を抱くのは、ごく自然なことです。 もしかしたら、殺されるかもしれないという恐怖。殺したことのあるアメリカが2度と人殺しの道具として原子爆弾を使わないと陳謝する日が来ない限り、恐怖が恐怖を呼ぶ世界はいつまでも終わらないのかも知れません。 戦う必要など、何もないのに、時代の流れと置かれた政治で、働く場所が戦争しかない人々も、本当は、我々がアメリカのように人殺しが出来る訳などあるものか?あんな人殺しが出来る人々はアメリカ以外にないし、アメリカなら、人殺しの経験者だからまたやりかねないと思うのがも知れません。 日本人が戦争にはウンザリしていて、絶対に戦争などする気持ちはないと、考えていることも知っているし。北朝鮮に住む普通の人々も普通に平和で豊かで戦争などない、安全な生活を望んでいるに違いありません。 政治的な国策なのか、一部の反逆者による殺人や略奪なのか、わかりませんが、今のところは平和に統制している北朝鮮がもっと豊かに平和になる道が開かれて、明るく優しい温かい光に照らされて、アジア全体が豊かになることを祈りたいものです。アジアにアジアの戦争を望む人々など、ひとりもいるはずはないことくらい、誰にだって、わかることです。アジアでは原子爆弾を人殺しの道具として誰も1度も使って人殺しはしていないし、使って現実に人殺しをしたことのあるアメリカには原子爆弾を使うなというには説得力がまだまだ足りないのかも知れませんが、なかなか、信じて貰えないみたいです。アジアの中では、誰も戦争は望まないし、北朝鮮の不幸も望まないのに、どうして恐怖が消えないのでしょうか。あの高い技術力で、家電や医療機器や命をまもる技術への転化がなされないのは本当に残念です。我々アジアがヨーロッパのようにパスポートもなく自由に仕事をしたり買い物をする日はいつ訪れるのでしょうか。フランス語のような可愛い韓国語や雄大な美術センスに私はとても魅力を感じるのに、本当に残念です。ヨーロッパやアメリカはアジアに投資して治安維持やインフラを整備して欲しいです。みんなが望む平和と幸せのために、投資して欲しいです。火山が噴火するアジアの天然ガスがガソリンのように価値あるものになれば、貧困や戦争はなくなるでしょうか。それとも、石油を巡る争いのような、戦争が激化するのでしょうか。
- 締切済み
- 国際問題
- 「〇〇のはずがない」という論法
ときどき「〇〇のはずがない」という論法を見かけます。 しかし、この論法には問題があると思います。 「〇〇のはずがない」と思えるのに「〇〇である」ものがいろいろあるからです。 古代のテクノロジーは現代より劣ると思えるのに、エジプトのピラミッドのような巨大建造物がつくられていたり、 インカの隙間のない石積みがつくられていたり。 このような「〇〇のはずがない」という論法は何論法と呼ばれていますか? それとも論法の名前はありませんか?カテゴリーちがいでしたらすいません。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 昔から、共感できる作品は高く評価されてきたのでしょうか
小説などの物語作品において、「共感」や「感情移入」できることは良いことだとされています。 少なくとも現代日本では、テーマに共感しやすい、登場人物に感情移入しやすいといった作品は、そうでない作品に比べて高く評価されやすい傾向にあるように思えます。 そこで質問ですが、このような傾向は、最近(例えばここ100年程度)に限った話なのでしょうか。 それとも、古今東西普遍的なものなのでしょうか。 例えば、古代ギリシアや諸子百家時代の中国、中世アラビアやルネサンス期のヨーロッパなどでも、現代でいう「共感」ができるかどうかは、物語作品を評価する上で重要な基準の1つだったのでしょうか。 1.現代と同程度に、重要であった 2.現代以上に、重要であった。 3.現代ほど重要ではなかった。 4.現代とは逆に、評価を下げる基準であった。 5.物語と共感は分けて考えられていた。 6.現代の共感に近い概念は、まだなかった。 思いつく限りでは、上記の6つのパターンが考えられますが、実際はどうだったのでしょう。 時代・地域を問わず1や2であったのでしょうか? それとも3や4や5のような傾向も無視できないほど多く存在していたのでしょうか?
- 締切済み
- 文学・古典