• 締切済み

心は脳の一部?

以前にテレビで見たのは、心臓にも脳と同じ考える事ができるものが存在していて心臓でも物事を考える事ができるというもので科学的にも証明されているとの事でした。 そして、心臓移植を受けた人が元の心臓の持ち主と同じような考え方に変化したというのも聞きました。 そこで、医者や科学者又は一般の人でも心と言う時は脳の中の一部にある心という意味で使って認識しているんでしょうか。それとも胸に存在していると認識してるのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 6izt
  • お礼率90% (693/762)

みんなの回答

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.5

人類は、まだ決定的な決め手に到達してはいないようです。 しかし、現在の科学では、「こころ」は脳の連合野とよばれる大脳新皮質領域がつくる、というのが有力な立場です。というより「現在の結論」といっていいことです。 この他にも、脳と「こころ」は別個だとする二元論や脳と「こころ」は別個だが相互に影響しあうという相互作用論というものもあります。 「こころ」が脳にあるという説の根拠には以下のようなものがあります。 知: 大脳の左半球に損傷があると、言語活動が難しくなるか不可能になります 情: 前頭連合野が障害となると、感情が平坦になったり、ふさぎこんだり、逆に多幸感(幸福感に満ちすぎる)になります。 意: やはり前頭連合野が障害となると、未来に向かって何かをやろうという気持が減衰したり、自発的に行動することが少なくなったり、衝動が抑えられなくなったりします。 ・動物が見たり聞いたり判断したり運動したり記憶したりすると、変化する神経細胞が脳の"特定"部位から見つかります。これは脳以外のところからは一切見つかりません。 ・逆に特定部位を電気刺激すると、以前に経験した情景がありありと意識にのぼります。これも脳以外単独でそのような現象がおきることはありません。 ・うつ病の人では前頭連合野や側頭連合野の活動が全体的に低下するというデータがあります。 (参考『「こころ」は体のどこにある? 脳の謎を解く(1)』京都大学霊長類研究所所長 久保田競編 朝日文庫 絶版) また、二元論者としては、専門家では退職後のノーベル賞受賞者ジョン・C・エックルス、著名な脳外科医のワイルダー・G・ペンフィールド、神経科学素人では物理学者ロジャー・ペンローズらがいます。 神経科学分野では、疑似科学として、今のところ前者は否定、後者は無視されています。 このあたりの本をオススメします。 『痴呆に挑む―学習療法の基礎知識』川島隆太著 『脳を育て、夢をかなえる―脳の中の脳「前頭前野」のおどろくべき働きと、きたえ方』川島隆太著 『ヒトの心は脳のここにある―脳のメカニズムと心の不思議関係』大木幸介著

6izt
質問者

お礼

立花隆氏も脳はメチャクチャ複雑で今は何もわからないといってました。みなさんの回答からも何も今はわからないという事ですね。 紹介された著書も読んでみたいと思います。 有難う御座いました。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.4

御質問のテレビ番組を見ていないので、正確にはわかりませんが、「心臓移植を受けた人が元の心臓の持ち主と同じような考え方に変化した」というのは、心臓で物を考えているからではなく、心臓で起きた変化が心に影響を及ぼしたということではないでしょうか? 心身相関という現象がありますから、心の変化は身体に影響を及ぼし、身体の変化は心に影響を及ぼすということは一般によく知られていることだと思います。 また、心が脳の中の一部であるという考え方は一般にはないと思います。脳の中の現象が、心の働きに密接な関係があり、その詳細な研究は進んでいますが、そのことが、「脳の一部=心」と認識されているわけではないと思います。 例えば、我々が、外の景色を見る場合、外の景色から反射される光を眼が受け取り、視神経が刺激され、それが脳に伝達されて見えるのだというような説明がよくありますが、もし、そうであるのなら、テレビカメラを装着したロボットでも、景色が見えていることになりますが、「ロボットが見えている」のと「人間が見えている」のとは、全く、次元の異なった現象だと思います。

6izt
質問者

お礼

ロボットと違い人間は凄い存在なんですね。 有難う御座いました。

  • zpf
  • ベストアンサー率22% (38/171)
回答No.3

この疑問は既に、量子力学に議論のステージが移っています。 ロジャー・ペンローズの「量子脳理論」などは興味深いです。 http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/i/paradigm/ryoushinou.htm ところで、「心」というと漠然としてしまいますが、人間の「記憶」は体のどこにあるのでしょうか? どうも、「どこにもない」というのが正解らしいです。 ペンローズも含め、現在、アーヴィン・ラズロー、スティーブン・ホーキングといった世界の最先端物理学者は、記憶というのは人間の内部にあるものではなく、宇宙のエネルギー領域に保存されているのではないかと考えているようです。 つまり脳は保存媒体ではなく、受信機であるということですね。 人間の意識についても、人間の体のどこかにあるというものではなく、宇宙にホログラフイックに存在しているというのが量子物理学者の考えのようです。 古来より伝えられている「アカシック・レコード」は、量子物理学によって証明される日が来るかもしれません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89

6izt
質問者

お礼

アカシックレコードが証明されたら面白くなるかもしれませんね。 有難う御座いました。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.2

あなたの質問は「科学の最後のフロンティア」と呼ばれている分野の内容です。 心(心臓)に精神が宿ると古代から人間は考えてきました。緊張したり、好きな人の前では心臓がドキドキします。だからみんな心臓に精神が宿ると思っていました。ですのでエジプトのミイラでも心臓は壺に入れて大事に保管しました。脳はなんだかわからなかったのでミイラを作るときにかき出されて捨ててしまったのです。 ルネサンス期になって(15世紀だったかな?)、確かイタリアかフランスのお医者さんが「血管が血液を運び心臓はそれを送るポンプの役目である」と発表したとき、医学界は非難ごうごうでした。そのお医者さんは「詐欺師」と呼ばれ友人からも「君がこれ以上そのバカげた学説を振り回すなら僕は君との付き合いをやめる」とまでいわれました。 20世紀後半になり、脳科学の分野が急速に研究が進みます。それはコンピュータの発達と比例するものでした。現在、脳科学の分野は最もホットな分野です。ノーベル賞を受賞した利根川進博士は「いずれ芸術や人文科学の分野も脳科学研究者にとってかわられるだろう」といっています。ミロのビーナスを見て「美しい」と感じるのは脳だからです。 しかし、No.1さんもおっしゃられているように、心と脳の分野はまだなにもわかりません。今わかっていることは何もわかっていないということです。ミロのビーナスは美しいと誰もが思いますが、じゃあなぜ我々の脳がミロのビーナスは美しいのに山田花子は美しくないと感じるのかがわからないのです。 という、禅問答のような回答でした。

6izt
質問者

お礼

山田花子が美しいと感じたら面白いですね。 有難う御座いました。

  • kvm
  • ベストアンサー率19% (123/617)
回答No.1

心の場所は脳である 実はまだ 証明されていません 非常に 難解なのです 例えば 植物に嘘発見器を接続し  毎日特定の人が水をあげると 嘘発見器のメ-タ-安定します 逆に 火を近づけると 異常なメ-タ-反応を示します また ある音楽を聴かせると 成長が良くなる この事実は インタ-ネットで調べてくださいね ( ^_^; ) では 植物に脳があるのか? 記憶ができるのか? まだ 証明されていません まだまだ 解明されていないのです 解明されていない方が 楽しいのかもしれません 解明されていれば 結論ありき でつまらないものです

6izt
質問者

お礼

解明されたら面白くないかもしれないですね。 解明ができる日が来るかどうかも分かりませんね? 有難う御座いました。

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