• ベストアンサー

宮崎アニメに繰り返し現れるモチーフ

 テクスト分析などにお詳しい方にお尋ねします。  7 月 21 日に,「ハウルの動く城」のテレビ放映がありました。  そこでふと思ったのは,宮崎駿氏の作品には共通して「飛行・飛翔」が描かれていることです。それから「ハウルの……」を見て感じたのは,「ヒロインが髪を切る・切られる」というシーンがあって,これは「天空の城ラピュタ」でシータがお下げ髪を撃たれて切られる,というシーンと重なりました。  こういった,「飛行・飛翔」「ヒロインの断髪」といったモチーフの意味するところ,作品中での位置付けというのは,何なのでしょうか。「××分析」「××批評」などといった観点から解説してくださりたく思います。そのほかに共通するモチーフがあれば,それもあげてくださればと思います。  当方,恥ずかしながら専門的なことは知りませんので,概略を解説していただいて,あとはこの文献を読みなさい,というご回答をくださればと思います。ご紹介に沿って勉強したいと思います。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#73834
noname#73834
回答No.3

私は、それほど宮崎アニメを好んで見ないので、いくぶん不親切な助言になる可能性があることを、あらかじめ断っておきます。 とりあえず「分析」というからには、もう少し細かく突つくほうがイイでしょうね。 たとえば―― 「飛翔」とだけ指摘するのでは、ユルすぎる。 スーパーマンのように自力(素手)で飛ぶのでもなく、モビルスーツのような馬鹿げた重装備で飛び上がるのでもない。 その差異は押さえたいところでしょう。 つまり、宮崎アニメでは「軽装で飛ぶ」のです。 これは「風力」の助けを借りることが、重視されているからです。 巧みな自然との調和、そこではじめて「飛行現象」が成立する。 その証拠に、未熟な主人公たちが「風力」に翻弄され、四苦八苦するシーンが再々描かれる。 コレは決して、モビルスーツ等の七面倒な道具(機械)の操作に不慣れだというのではなく、あくまで、気まぐれな「風の力」を最大限利用できるかどうかがポイントになっているということです。 それから、No.1氏の指摘された「親の不在」は、「家族的なものの不在」ということもできる。 あるいは「家庭教育の不在」とも。 なぜなら、大自然そのものから直接学習することこそが大きなテーマになっているから。 No.2氏の指摘された「断髪」もここに関わってくるかもしれない。つまり「女性」は家庭における役割のひとつですが、さしあたり宮崎アニメでは、「家庭/家族」の描写は想定外なのです。 そこで教育が完結してしまっては、単なる英才教育ですよね。 「老人」についても、おそらく2種類描かれているのでは? だから、もう少しキチンと見てみないと、何も言えませんねぇ。 なお、「風」から力を引き出す一方で、逆に、自然力の利用不可能性、すなわち、自然の猛威も必ず描かれているのでは? それを欠くと、いくらでも自然を利用できると錯覚しかねない。 要するに「自然を巧みに利用せよ」、「自然は支配できない」、これらが子供たちの学ぶべき2つの知恵といってイイ。 その他、反復されるモチーフとしては、当然、「城塞(楼閣)」もそうでしょ? これは、「風」に抗いつづける人工物と言い換えてもイイ。 「動く要塞」(巨大飛行物体)も反復される。これもまた「風」を無視してどちらの方向にでも進んでいく。 だから、「城」と「巨大飛行艇」は、機能的に同義です(垂直方向に風を無視するか、水平方向に風を無視するか、というだけのこと)。 それに対置されるのが、風の影響を受ける「軽装での飛行」というわけです。 結局、テーマ批評は、誰がやっても同じようなものになる、退屈な作業なんですよ。 簡単な文献としては、『キネ旬ムック/フィルムメーカーズ6 宮崎駿』(責任編集・養老孟司、キネマ旬報社)に収録された論文「ファンタジーの内と外 宮崎駿の『神話世界』が示唆するもの」(樹村緑)があります。 それによると―― 宮崎アニメの「主題は、自然(森林)と調和的に共存しようとする者たちと近代的機械文明の武器を用いて自然を支配しようとする者たちの対立だと言われる。」 さらに、「男根的な塔は、父権的な権力の象徴」で、「地下の洞窟」は「子宮のような再生の場所」として対置されている、という。 そして、テーマ批評お決まりの筋として、作者の思想が批判されることになる。つまり、すみずみまで「形式的に規定された秩序が閉塞的に感じられる」とか、能天気な「『原始』の理想化」とか、大衆を軽視した「『英雄的歴史観』」といったものの問題性です。 この論文の他、「コナン」から「もののけ」に至る各作品の解説(解釈)が、複数の批評家の手で寄せられていますが、どれも退屈です。 でも、「分析」の参考にはなるでしょう。 しかしながら、テクスト分析には、作品における無意味なものの理不尽な反復を追跡する側面もあるんです。 となれば、作品をかなり注視して追っていく必要がある。 だが、これは、宮崎アニメの大ファンでないと難しい(私はそうではないので……)。 ちなみに、宮崎駿は、宮沢賢治を崇拝しており、賢治の童話作品に多くのモチーフを負っている。コレは看過できない点でしょう。

参考URL:
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=2086838
elttac
質問者

お礼

 詳細なご回答,ありがとうございます。  おっしゃっていることにはなるほどと感じますが,その対象が宮崎作品に閉じている気がします。それがいったい,「どんな分析に基づいて」おっしゃているものが導けるのか,それに対して「参考文献」などがあれば,ご教示いただきたく思います。このあたりは,宮沢賢治作品から演繹できる類のものでしょうか。

その他の回答 (5)

回答No.6

 「××分析」などの難しいことはわかりませんが、共通するモチーフという観点で、まだ挙がっていないものをピックアップしてみました。 ・上半身が大きくて足元のふらつくキャラクター。  …ラピュタに登場する金属のロボット、ナウシカに登場する巨神兵の群れ、ゲドにでてくるクモがラストで老人化した姿。わりと怖い系のキャラクターに見られます。 ・第二の名前。  …ラピュタに出てくるムスカやシータ、千と千尋、ゲドにでてくるゲド、アレン、テルーなども、第二の実は第二の名前を持っています。千と千尋では、名前を千に変えられることによって、自己のアイデンティティーの所在を問う意図が作者側にはあったようですね。 ・自然との共存を訴える内容。  …モチーフとは言えないかもしれませんが、トトロ、ナウシカ、もののけ、ゲドに共通するメッセージとして、自然との共存を訴えている点が挙げられるのではないでしょうか。

elttac
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  こういった繰り返し形を変えて出てくるものが,宮崎作品を特徴付けるとともに,それに安心して身をゆだねられる評価につながっているのでしょうか。

回答No.5

#2です。 >宮崎監督がそれをどうして「断髪」として描くにいたったのかが,気になりますね。 「断髪」シーンですが、 宮崎アニメは旧来男性がやっていた男性的役割を 女性がやるという特徴があります。 女性尊重というか、少女賛美思想のようなものがあります。 断髪は、決意する、吹っ切れるという意味もありますが、 男性化するという意味もあると思います。 従来女性は髪をなびかすことで女性らしさを表現していました。 宮崎アニメでは髪を切ることによって、女性に男性の役割を負わせています。 髪の代わりに女性らしさを表現するものがスカートです。 長いスカートがふわふわする場面が何度もでてきますね。 スカートは髪の代償だと思います。 少女は成長することにより、本来の自分を発見します。 それが髪を切った姿です。 もっとも断髪しなくても、ヒロインは最初から髪が短いことが多いです。

elttac
質問者

お礼

 重ねてのご回答,ありがとうございます。  「長髪」に女性のイメージが重ねられているからころ,断髪が意味を持つ,という解釈でしょうかね。

noname#37852
noname#37852
回答No.4

宮崎作品を全部フォローしているわけでもなく、特別にファンというわけではないのですが、結局のところけっこう好きです。 分析は分かりませんので、共通するモチーフを。 ・少年少女 ・少女はかしこくて強くて可愛い。 ・高貴な血(姫とか王子とか、族長とか) ・飛ぶ ・飛行機、武器・武具、城、戦い ・ペットや動物と心を通わせる ・紋章 ・毛長牛 ・森 ・父母の不在、または葛藤 ・血縁者ではないが、親切な大人や老人 飛行機や武具やメカ、それと紋章のようなものが好きなのは、もともとあの人(宮崎さん)がそういうもののマニアだからだろうと思います。中世ヨーロッパみたいなのも好きなようですし。 昔っからもう、そういうものが大好きなんです。この愛好ぶりは、恐らく理屈抜きでしょう。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4499226775/250-5784457-6455402?v=glance&n=465392&s=books うわ、こんな本も出てるんですね(^^; http://www.amazon.co.jp/gp/product/4499227909/250-5784457-6455402?v=glance&n=465392&s=books それと、どうも高地や谷間の土地柄もお好きみたい。 『ナウシカ』『ラピュタ』もそうですし、『シュナの旅』もそうです。 『On Your Mark』という短編を見て、宮崎駿の世界が色濃く反映されているなあ、と思ったことがあります。 残念ながらDVDが出ていないようなのですが、CHAGE&ASKAが宮崎氏に依頼して製作されたビデオクリップです。歌の内容とは全然関係ないというか、歌の内容から宮崎的に発展させた世界です。 翼のある少女、汚染された世界、怪しげな教団(ナウシカの土鬼を思い出しました)、自由への解放、清らかなものを守る・・・などなど。 余談ですが、「宮崎泣き」というものがありまして(昔『アニメージュ』で覚えたんですが、どうも今も言うみたいですね)、少女が両手で顔を覆ってうつむいて泣くシーンです。 これも黄金パターン。分析には関係ないと思いますが。 (強いけど硬いのでなく、優しくてエモーショナルなヒロインが多い、と言えるのかもしれません) 宮崎駿のことを知りたければ、『風の谷のナウシカ』原作マンガをお読みになると良いと思います。 それが宮崎作品のすべてを表わすとは言えないと思いますが、決して外せない世界観だと思います。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005FVPJ/250-5784457-6455402?v=glance&n=561960
elttac
質問者

お礼

 興味深いご回答,ありがとうございます。  宮崎監督の表現は,その好きなもののあらわれだと言われれば,納得できる部分もありますね。  「ナウシカ」の原作は,かつて知人に勧められた覚えがあるのですが,未読です。この機に検討してみたいと思います。

回答No.2

「飛行・飛翔」=自由・放浪・旅の象徴 「ヒロインの断髪」=女性(受身)からの脱皮 いずれにせよ、拘束されているものからの開放を表しているのだと思います。 宮崎アニメでは、「成長」というモチーフが主を占めているので、 過去の自分からの脱皮、魂の開放、自由への飛翔などの象徴としてそのようなものが繰り返し現れるのだと思います。 もうひとつ考えられるのは「冒険」です。 旅も断髪も冒険の一部と考えられます。 そのときの魂の躍動が「飛翔」シーンにみられる 「浮遊感」でしょう。 宮崎アニメの最大の魅力だと思います。 旅に出て、冒険し、自分と向き合い、成長する、この一連のテーマとして、「飛翔」「断髪」が出てくると思われます。

elttac
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  確かに「断髪」のシーンは,決意する,吹っ切れるという状況に前後して当てはまると思います。  そうすると,宮崎監督がそれをどうして「断髪」として描くにいたったのかが,気になりますね。

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.1

>そのほかに共通するモチーフ 私は、「親、特に母親の不在」をあげたいと思います。 カリオストロの城の クラリス 未来少年コナンの ラナとコナン コミック版ナウシカの クシャナとナウシカ ラピュタの パズーとシータ トトロの サツキとメイ(病気不在) もののけ姫の サンとアシタカ 千と千尋の 千 ハウルの動く城の ハウル ちょっと違うかもですがが、魔女宅の キキ(修行開始後) <おまけ>宮崎作品とはいえないでしょうが ゲド戦記のテルーとゲド 反面、祖父母、またはその世代の人が重要な役割をしめるものは多数あります。 ラナの おじいちゃん ナウシカの 「そのもの青き衣をまといて」のおばあちゃん シータの おばあちゃんと海賊のおばあちゃん サツキとメイの 「まっくろくろすけ」のおばあちゃん もののけ姫の 長老 千と千尋の ふたりのおばあちゃん 耳をすませばの 地球屋主人 魔女宅の ニシンパイのおばあちゃんとメイドのおばあちゃん ハウルの 二人の魔法使い

elttac
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  おっしゃる類型も確かに多いと思います。それが意識的であれ無意識的であれ,何を象徴するのかは,興味深いところです。

関連するQ&A

  • 天空の城ラピュタのシータみたいな・・・・・・

    天空の城ラピュタのヒロインであるシータが大好きです。 こんな感じの理想的な女の子が出てくるアニメとかマンガやゲーム(18禁でもいいです) を知っていたら教えていただけますか? (宮崎作品以外で) あとラピュタの同人誌でいいものがあったら教えていただけますか?

  • あなたが思う、宮崎駿監督の最高傑作アニメ

    ・カリオストロの城 ・風の谷のナウシカ ・天空の城ラピュタ ・となりのトトロ ・魔女の宅急便 ・紅の豚 ・もののけ姫 ・千と千尋の神隠し ・ハウルの動く城 このなかから、皆さんの中でそれぞれ 「一番すき!」と思う作品を、理由を添えて教えて下さい。 ちなみに私は、ナウシカ・ラピュタ・トトロ・紅の豚の中から、 どうしても一つにしぼれません。 なので、ぜひ皆さんの「いちばん!」という理由が聞きたくなったのです。 よろしくお願いします。

  • 好きなアニメヒロイン

    好きなアニメヒロインは何ですか? 何人でも構いません。 自分は「エスパー魔美」の佐倉魔美、「天空の城ラピュタ」のシータ、 「タッチ」の浅倉南、「らんま1/2」の天道あかねです。 (古いのばっかりですいません・・・)

  • 天空の城ラピュタ

    天空の城ラピュタで、最初のシーンの飛行船にいるシータがドーラ一家に襲われてから、最後のシーンでシータとパズーの2人がゴンドアの谷に向かうまでの間って何日間ぐらいの出来事だったのでしょうか?

  • 天空の城ラピュタについての質問

    天空の城ラピュタで最初ドーラ一家がシータの飛行船を襲います。 それでシータが落ちるのですが、 その後ドーラ一家はどうやって飛行船から 出たのでしょうか?

  • ラピュタのシータ落下シーンの美しさ FFVIIとの類似性

    『天空の城ラピュタ』の冒頭で、シータが飛行船から落下した後、飛行石の力で浮くシーンがあります。多くの人がこのシーンを美しいと感じると思うのですが、このシーンの美しさ、神秘性はどこからきているのでしょうか? 私が考えたのは、『ファイナルファンタジーVII』でエアリスが忘らるる都の泉に沈められるシーンとの類似性です。死んだ(ような)女性が、画面中央から奥に向かって沈むように遠のいていく構図が酷似しているように思います。 そこから、 1)女性の死の姿に魅力が感じられる 2)人物が画面中央から奥に向かって遠のいていく演出に魅力が感じられる というふうに考えました。1)はちょっと大袈裟かとも思いましたが、もしあそこでシータが目を開けていたら、呼吸している様子が見えていたらと思うと、やはり死んだように見えることが美しさと関連している気がします。 このような考えについてどう思いますか? また、上記の1)か2)の条件を満たす表現作品がありましたら、類似性について考えてみたいので教えてください。 ラピュタかFFVIIのどちらかしか知らない方でも結構です。よろしくお願いします。

  • ジブリ作品の名シーン

    スタジオジブリ作品のこれぞ名シーンと思われるものを語ってください。 ポイントとして、名セリフというより名シーンです。 今ちょうど『天空の城ラピュタ』の、パズーが塔にいるシータをかっさらうシーンを観ていて、「これ以上の名シーンがあるかぁ!」と少し興奮ぎみで視野が狭くなっていますので、ここであえて質問させていただきました。 ※厳密に言うとジブリ作品にならないらしい『風の谷のナウシカ』も含めます。

  • パズーは何故「このままではムスカが王に」と考えた?

     スタジオジブリのアニメーション映画『天空の城ラピュタ』に関して解らない事がありますのでお教え願います。  主人公のパズーとヒロインのシータの2人は、軍に捕らえられたドーラ達を助けるためにラピュタ上を移動中、ラピュタに残されていた財宝を略奪する兵士たちの様子を見た後の場面において、 パズー:「ひどいことするなぁ」 シータ:「あの人達が上の庭へ行ったら・・・」 パズー:「シータ、飛行石を取り戻そう」 シータ:「えっ!!」 パズー:「ここをやつらから守るには、それしかないよ。なぜ雲が晴れたのか、気になってたんだ。こんな風にならなければ、やつらは上陸できなかったはずなんだ」 シータ:「わたしのおまじないのせい?」 パズー:「ムスカの言った、封印が解けたって、これなんだよ。きっと。もう、この城は眠りから覚めてるんだ。嵐に乗って飛行石を持つものを迎えに来たんだよ。このままではムスカが王になってしまう。・・・略奪より、もっとひどいことが始まるよ!!」 という会話をしていましたが、その際、パズーが 「このままではムスカが王になってしまう。・・・略奪より、もっとひどいことが始まるよ!!」 と考えたのは何故なのでしょうか?  その時点におけるパズーは、ムスカが政府あるいは軍の関係者であるという事と、職務のためならシータをさらって無理やり言う事を聞かせようとするような人間だという事くらいしかムスカという人物にについて知っていなかったのですから、例えムスカがラピュタを手中にしたところで、政府或いは軍のために動いていると思われるムスカは、ラピュタに関する権限を彼が属する国の政府に明け渡し、ラピュタは国のものになるだけという可能性が高いと考えるのが普通だと思います。  そしてその国の現状はパズー達がそれなりに平和に暮らしているのですから、ラピュタが国のものになったからといって必ずしも「略奪より、もっとひどいことが始まる」事になるおそれはそれほど高くはない筈です。(ラピュタをめぐって戦争が起きるおそれも無いとは言えませんが、それもラピュタの雷の威力を前もって公開しておけば防げる可能性が高いと思われます)  それ以前の話として、シータが飛行船から落ちた時に飛行石の力で落下速度が極端に遅くなったのに対し、パズーがシータから借りた飛行石を首に付けて飛び降りた際には飛行石の力が発動せずにそのまま落ちてしまった事を考えれば、「飛行石の主であるラピュタの王族の末裔たるシータかその血族」以外の人間には飛行石は扱えないと推測されるので、ムスカが飛行石を持っていたところで 「大丈夫、飛行石を使えるのはシータだけなんだから、ムスカは何も出来ないよ」 などといった具合に、彼がラピュタの王となる恐れはまずないと考えるのが普通だと思います。  しかし実際にはパズーは 「このままではムスカが王になってしまう。・・・略奪より、もっとひどいことが始まるよ!!」 と言っています。それは何故なのでしょうか?  尚、ムスカもシータ同様ラピュタの王族の末裔である事が明らかとなるのは上記のパズーとシータの会話よりも後の時点になってからの話であり、上記の台詞を口にした時点においてパズーやシータは「ムスカがラピュタの王族の末裔である」事など知る由もありませんでしたから、「ムスカがラピュタの王族の末裔である」事は理由になりませんので、その点を考慮しない回答は御遠慮願います。

  • 天空の城ラピュタで使われている曲について

    宮崎駿監督の天空の城ラピュタでポムじいさんが石を割り、その後坑道の上にある飛行石の原石が輝いているシーンがあります。星空のように見えるシーンです。あの場面で流れている曲には曲名があるのでしょうか?又、ラピュタのサントラは色々な種類が出ていますが、CDに収録されているのでしょうか? マニアの方教えてください。宜しくお願いします。

  • 宮崎駿が作品に込めているメッセージ

    とは何だと思いますか? 個々の作品に対してではなく作品全体を通して言える共通するメッセージと言うのは一体何なのでしょうか? 彼が作品に込める想い。それは非常に深いと思います。 皆様が考える彼の思想というようなものとは 何なのでしょうか? 出来れば長文での回答お待ちしております。 そしてもしよろしければ、 「もののけ姫」 「天空の城ラピュタ」、 それぞれの作品が伝えている事、そしてそれらが私達に感じてほしいと思う事とは何か、 自分なりの考えで結構ですの何か意見がある方は教えて頂きたいです。