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太平洋戦争でもし降伏が早かったら、また遅れていたら。。。
もし太平洋戦争で日本が無条件降伏するのが 1ヶ月早かったら北方4島はロシアに 占領されなかったのでしょうか? また、もし1ヶ月遅かったら北海道は占領されていたのでしょうか?
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「また、もし1ヶ月遅かったら北海道は占領されていたのでしょうか?」 ソ連は、北海道に侵攻する意図を有していました。侵攻路は、樺太を経由して留萌あたりに上陸する計画だったとのことです。 スターリンは、アメリカのトルーマン大統領に対して、北海道の北半分を占領することへの了承を求めました。それと並行して、軍部に北海道侵攻準備を命じています。留萌近海には潜水艦を活動させ、樺太からの避難民を乗せた日本船を数隻撃沈しています。 スターリンが、最終的に北海道侵攻を止めたのは、 1. 8月15日以降も樺太所在の日本軍部隊が戦意を失わず、南下するソ連軍を食い止めていた。ソ連軍は、アメリカのような圧倒的な空軍力・海軍力を持たないので、日本軍防衛線突破に手間取りました。8月下旬になっても、樺太全島を掌握できない状況でした。 2. トルーマンから、ソ連軍の北海道占領を拒否する返答があった。米軍が日本を単独占領する以上、ソ連軍が北海道に進出すれば米ソの衝突となります。 によるものと言われます。なお、仮にソ連軍が北海道に上陸していれば、 * 日本人はソ連軍が他侵攻地域でやったような無制限の暴行略奪にさらされたはず。女性は全てレイプされ、全てを略奪された日本人は餓死するしかない。 * ソ連軍は、北海道北半分に留まらず、米軍が進駐する前に北海道全島を占領したはず。 * 北海道所在の日本の工場設備や鉄道線路などは、分解してソ連に持ち去られたはず。 * 北海道には、ソ連から日本共産党幹部が送り込まれ、「日本人民共和国」が成立し、北朝鮮のような極貧と圧制が支配する状況になったはず。 という、地獄のような状況になっていたでしょう。 樺太での日本軍の全滅覚悟の抗戦により、樺太在留日本人の引揚チャンスが増え、ソ連軍の暴行略奪から逃れた日本人が多数いたことは忘れてはならないことです。そして、結果としては、樺太の日本軍部隊の奮戦が北海道を守ったと言えます。 樺太の日本軍は、8月下旬までソ連軍に対して抗戦を継続していましたが、大本営の命令で停戦・降伏しました。その後で満州にいた部隊同様にシベリアに拉致され、過酷な強制労働で多数の犠牲を出しています。
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- yakyutuku
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>また、もし1ヶ月遅かったら北海道は占領されていたのでしょうか? ソ連の極東における海軍力は微々たる物です。まず無理じゃないでしょうか?
- buchi-dog
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No9の者です。 「ポツダム宣言は、履行するかしないかは連合国の一存なのだから降伏条件とはいえない。日本の降伏は無条件降伏であった」 とする向きもありますが、同意できません。 国際法や条約など全て無視して恥じる所のなかったソ連は別として、それ以外の連合国はポツダム宣言の各条項を履行しています。ポツダム宣言の条項は守るべき(連合国)、守られるべき(日本)という観念が当時存在し、史実でもそれが実行された以上、日本の降伏は(ソ連以外に対しては)条件付降伏であったと考えるべきで、ポツダム宣言が発せられたから初めて日本が降伏できたと解します。
- buchi-dog
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ポツダム宣言以前、連合国は日本に対して一切降伏条件を示していませんでした。天皇の地位はおろか、日本と言う国家が降伏後に存続できるのか不明な状況で手を上げることはできません。日本全体が、ソ連軍占領下の満洲のような阿鼻叫喚の巷になることを許容しなければ、「無条件降伏」はできません。 ポツダム宣言は、日本に対する最後通告であると同時に「降伏すれば本土4島は残す」と言う譲歩の意思表示でもあります。日本の降伏は「ポツダム宣言を受諾する」と言う意思表示であり、「無条件降伏します」と言う意思表示ではありません。 重大なことは、ポツダム宣言が出された7月末現在ではソ連は未だ日本と国交があり、ポツダム宣言に加わっていないことです。さらに、ポツダム宣言が出された後で日本が「この宣言を黙殺する」と言う意思表示を行い、それがソ連参戦の口実の一つになっています。 ポツダム宣言発表後、直ちに日本が同宣言受諾を表明していれば、ソ連が参戦せずに停戦が成立していたことは想定できます。 ですので、 「太平洋戦争でポツダム宣言発表後直ちに日本が降伏していれば北方4島はソ連に占領されなかったのでしょうか? 」 は 「可能性あり」 と言えるでしょう。 ただし、ソ連と言う国はあらゆる国際法を無視する国であり、昭和20年の日本の味方は世界中どこにもいませんでした。7月末のポツダム宣言受諾後に、適当な理由を作ってソ連が満洲や千島を攻撃しなかったとは誰にも言えません。
- tojyo
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再度の登場ですが・・・。 独ソ戦が1945年5月に終了したのは日本の事情は関係ありません。 むしろ日ソ中立条約が合ったからこそソ連軍は主力部隊をヨーロッパ戦線に投入できたのだから5月に終了できました。 ソ連が「日本は7月に無条件降伏する」ことを知りえたとしても、その戦力を対日戦に投入するためには日数が足りません。 日本が7月に無条件降伏することを知りえたとしても、ドイツがそれを知って1ヶ月早く降伏することはありえないので、7月中に北海道を占領することは不可能です。 原子爆弾については、ドイツが降伏前はドイツよりも先に開発することが求められており、またドイツ降伏後はソ連の対日参戦以前に開発することが求められていました。 プルトニウム型については爆縮技術が確立していなかったので実験が必要で、7月16日におこなわれました。 またウラン型は実験の必要がないため正確にいつ完成したのかわかりませんが、ガス拡散法によるウランの濃縮はかなりの日数が必要であるため7月中の投下は困難でしょう。 ドイツ降伏後は、アメリカにとって原爆投下は、日本を早期降伏に導くというよりもソ連に対する優位性を見せ付けるためのもの以外の何者でもありません。もし、日本が原爆投下よりも先に降伏してしまえば原爆を使用する機会を失ってしまいます。だから、アメリカは原爆の開発・使用を最優先でおこなっています。その状況下で8月に原爆が投下されたのだから、日本が7月中に降伏することを知りえたとしても、原爆開発期間を短縮することはほぼ不可能です。
- lvmhyamzn
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再び5です。 なんか変では無いですか? 皆さんの回答のように、仮に7/15に無条件降伏すれば、ソ連が7月に対日参戦できないというのはどうして? 7/15に無条件降伏すると仮定すれば、その世界の中では、当然連合国側だって日本が降伏することを察知するのも1ヶ月早まるわけです。 そして、各国1ヶ月前倒しで日本降伏に向けた動きをするわけです。 もっと言えば、7/15に無条件降伏すると仮定すれば、そこには我々が知っている史実通りの状況はそこにはなく、 我々が知っている史実通りの出来事も起こらないというとことです。 7/15に降伏すれば、降伏後の8月に原爆投下するのもあり得ないですね。だから7月にすでに投下されてるかもしれません。 でも、降伏前日に陸軍が玉音放送のレコードを奪ってクーデターを起こして戦争は継続し、 やっぱり史実通り、8月に原爆が落とされソ連が参戦するかもしれません。 終戦前夜の陸軍クーデターも全く史実を無視した荒唐無稽の話ではないからです。 つまり、ひとたび歴史にifをつければ、史実はこうだったからというのは何の意味もなさないのです。 SF好きの人ならこういう説明がいいでしょう。 誰かがタイムマシンに乗って大本営を説得して7/15に無条件降伏させたとしても、タイムパラドックスによって、結局は北方4島は占領されてしまう。 でもどうしてもというなら、こういう質問をすればいいでしょう。 日本が無条件降伏するのがだけが1ヶ月早くて、米ソやその他の出来事が史実通りに起こると仮定すれば、 期待通り、北方4島は占領されえないでしょう。 しかし、そんな質問は答えを聞くまでもないですね。
- tojyo
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1945年7月10日に日本の最高戦争指導会議は、ソ連に終戦斡旋依頼のため近衛文麿の派遣を決定しています。もしこの使節が「ソ連の対日参戦が近い」ことを見抜いていれば、ソ連の対日参戦以前の降伏も十分考えられたのではないでしょうか? とは言え、1945年4月5日に日ソ中立条約の延長を行わないと通達されているので、遅かれ早かれソ連の対日参戦は予見できていたはずですが・・・。 1945年5月2日のドイツの降伏申し入れ・5月8日の無条件降伏発効の後に、ソ連軍はシベリア鉄道による部隊の大移動を強行しているので、7月半ばの対日参戦は物理的に言って不可能に近いでしょう。 以上のことから、1ヶ月早く降伏するきっかけはあって、一ヶ月早ければソ連軍が北方領土まで占領することは難しいはずです。 実際、千島列島での日ソ間の戦闘は8月18日以降(無条件降伏受諾後ですね)におきています。 史実の日付から考えてみました。
- lvmhyamzn
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子供相談室みたいですね。 1ヶ月早くても北方4島は占領されたし、1ヶ月遅くても北海道は占領されません。 もし、無条件降伏が7/15としたら、もちろん史実では8/9がソ連参戦なので、 7/15時点で千島樺太満州も占領されなかったと考えるのは小学生。 では、なぜ無条件降伏が7/15としたら、どういう理由で日本は降伏を決断するの?7/10にゴジラでも現れたか? ソ連参戦は日本が降伏を決断させるのに大きく作用した事件だから、無条件降伏が1ヶ月早まると言うことは、ソ連参戦も1ヶ月早まると考えるか、ソ連参戦に匹敵する事件が起こったということ。 1ヶ月遅かったとしても同じ。 歴史にifをつければ、当然もろもろの出来事が史実と異なるわけだから、質問にはなりません。
- tojyo
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1ヶ月早ければロシア(ソ連)に占領されることはなかったでしょうね。 1ヶ月遅ければ・・・、アメリカの出方次第ですね。 一応日本とソ連は日ソ中立条約を結んでいたわけで、ソ連の対日参戦は一方的な条約破棄になります。アメリカが「一方的な条約破棄による北海道の占領」を認めるかどうかは微妙なところですね。 ドイツの場合はドイツが一方的に独ソ不可侵条約を破っているので、ソ連の占領もやむなしと考えるでしょうが・・・。
- Gantz10
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早かったら、ソ連の侵略は間に合わなかったでしょうが、この展開はありえなかったでしょうね。核攻撃するまではアメリカは日本に降伏させる気がありませんでしたし、日本の方でも国際世論に訴えるなどして終戦条件をコントロールして講和に持ち込めるような外交センスおよび権限を持った人がいませんでした。 遅かったら、どうでしょう。 教科書にも載っていないので知られていませんが、不可侵条約を破ってソ連が侵略してきたのは満州だけではなく、千島列島もです。北東端の占守島には日本軍の守備隊もおり、ソ連軍を迎え撃ちました。タイミングとしては、武装解除の途中に来襲という極めて悪いものにも関わらず、戦術的には日本軍は数の多いソ連軍を相手によく持ちこたえました。結果としては、いわゆる城下の盟でソ連軍に降伏したという状況ですから、本気で守る気でいたら、1ヶ月くらいなら持った可能性はあります。 北海道まで侵攻されたかどうかは、微妙な所です。
- aluminizedman
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早かったら 原発は2発くらわなかった。長崎は無事だった。 遅かったら 北海道はドイツやベトナムみたいに南北分割。北海道にロシア移民ふえ。混血すすみ。治安みだれ。共産党が勢いづき。経済的にも打撃。内戦や軍事費、圧迫。ねごと憲法改正してたかも。 なぜアメリカが満足な実験も整わないのに、急いで2発くらわしたか。それはソ連の南下を恐れたから。 専門家でなく、テキトーに描いた。個人の憶測。