- ベストアンサー
日中戦争の正当性
hinode11の回答
- hinode11
- ベストアンサー率55% (2062/3741)
No.8の回答者(thisawayさん)にうかがいます。 「・・たとえロシアの脅威があったからといって、他国(韓国)を占領・併合してよい、ということにはなりません。」と言われますが、それでは、当時、ロシアの脅威に対して日本はどのように対処すべきだったお考えですか。私は、韓国併合は正当だったと考えております。
関連するQ&A
- 日中戦争は何故おきたのですか?
世界史の授業などでは盧溝橋事件が発端であると習いましたが、 本当にたった一発の銃声で戦争が起きる物なんでしょうか? 最近も北朝鮮では韓国に対して砲撃や小規模な銃撃が起きていますが それが大規模な戦闘に繫がる事はなく遺憾の意だけで終わってしまいま すよね。
- ベストアンサー
- 歴史
- 日中戦争開戦について
ここにいくつかの疑問があります。 日中戦争についての事です。詳しい方、教えてくださいm(__)m ◆盧溝橋事件が日中戦争の直接の導火線と言われている理由は何でしょうか。 ◆盧溝橋事件が事実上の日中戦争開戦の日だと言われていますが、対米戦争の時のように「7月7日その日から戦争が始まった」と考えていいのでしょうか? ◆盧溝橋事件は陸軍が戦ったんですよね? その勝利のあと、いつから海軍が参戦したんですか? ◆盧溝橋事件の後世論(新聞)は中国との開戦を煽るなどしたのでしょうか? 一つだけでも構いません、わかるかた、何でもいいので教えてくださいm(__)mよろしくお願いしますm(._.)m
- 締切済み
- 歴史
- 日中戦争勝利の暁には
盧溝橋事件に端を発する日中戦争ですが、 国民党政府の降伏で終結していたら、日本は 中国をどうしたと考えられますか。 第一次大戦中の対華21か条の要求並の 露骨な条件は提示したと推測しますが。 国際社会の圧力で無条件に要求は容れられないにしても 戦勝国が敗戦国に対し、当時として最大限の要求としては 日本は、どういう講和条件を出したでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- 日中戦争。だれが戦争しようと言ったの?
盧溝橋事件は、現地では停戦協定が成立しましたが、いつのまにか宣戦布告のないまま戦争に発展してしまいました。 政府や軍の一部には戦争を回避しようとする動きもあったのでしょうが、それを抑えて この事件を機に中国に派兵して一撃を与えようと画策した積極論者を一人挙げるとすればそれは誰ですか。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 質問:日中戦争について
質問:日中戦争について 中国は日本に対して宣戦を、いつ布告したのですか?当時、中華民国はアメリカから物資を輸入するために戦争時下である事の表明が出来なかった、と聞くのですが・・・。アメリカはモンロー主義による戦時下の国への輸出が禁止されていたとか・・・。
- 締切済み
- 歴史
- 日中戦争の原因は何ですか?
・日中戦争の原因は何ですか?昭和40~50年代の歴史の授業では、盧溝橋の一発の発砲が発端を教えられました。 ・アメリカは偶然にも日本の真珠湾攻撃の信号を傍受して、攻撃されるのを待って参戦のきっかけを得たそうすね。真珠湾は浅かったので沈没した艦艇は全て修理して使用可能になったとか、、、
- ベストアンサー
- 歴史
- 日中戦争のどこが侵略か?
日中戦争は侵略戦争だった、と言われていますが、その侵略というのは、どのことをさしているのか?よく解りません。 例えば盧溝橋の実弾一発が戦争の発端といわれていますが、これはどうも共産党側からの挑発的行為だったという要素が高いようです。 日本側はすぐに不拡大方針を現地に伝達していて、侵略しようという気持ちは無かったようです。 こういう経緯をみると、どの行為が侵略だったか?よく解らなくなります。 どなたか教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 日本は何故日中戦争に勝てなかったの?
よくは知りませんが、日本と中国では兵力に圧倒的な差があったはずです。現に盧溝橋事件からあっという間に首都陥落まで行きました。 そこからは泥沼に陥ってどうしようもなくなるわけですが、 何故その勢いのまま勝てなかったのでしょう?
- ベストアンサー
- 歴史
補足
追加質問ありがとうございます。 私も追加させていただけば、日韓併合については、ロシアに歩み寄っていた李朝は反対でしたが、李完用などの親日派(当時は一大勢力)は賛成してました。また、当時の最大政治団体(公称百万人)の一進会(イルジンフェ)も支持していました。一進会は庶民の団体なので、庶民は李朝に愛想を尽かし、併合に期待したというのが真実でしょう。 李朝については、ついつい日本の皇室のようなイメージで見てしまうので、誤解をしてしまいます。実際は、制度疲労を起こして、庶民の支持を失った徳川幕府のような存在だったのでしょう。