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日中戦争は何故おきたのですか?

世界史の授業などでは盧溝橋事件が発端であると習いましたが、 本当にたった一発の銃声で戦争が起きる物なんでしょうか? 最近も北朝鮮では韓国に対して砲撃や小規模な銃撃が起きていますが それが大規模な戦闘に繫がる事はなく遺憾の意だけで終わってしまいま すよね。

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noname#192862
noname#192862
回答No.6

質問1 日中戦争と言うのは誤りとおっしゃいますが教科書には「日中戦争」とはっきり書かれてますよ。 回答1 日中戦争という呼称は戦後、日教組が呼称したものです。そもそもシナ事変で日シ共に宣戦布告を起なっていないのは本当です。従って教科書の記載が誤りです。 質問2 停戦協定を守らなかったというのは日本が上海に入植、占領した事への中国人の抵抗であり正当防衛ではないでしょうか。 回答 2 質問の意味が解りません。 昭和12年7月7日が盧溝橋事件です。それから第二次上海事変に至る迄のシナ側の協定違反です。 7月13日、大紅門事件。支那兵が北平(北京)大紅門で移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み日本兵4人が死亡。 7月14日、中国兵が日本の騎馬兵を惨殺。 7月25日、郎坊事件、日本軍が攻撃を受ける。 7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける。 7月29日、日本人居留民約260名が虐殺される通州事件が発生。 8月9日、船津和平会談の日だったが、中国軍が日本兵2人を惨殺してぶち壊した。 8月13日、第二次上海事変。 となります。 質問3 私が知りたいのは帝国陸軍が何を考えて油田もボーキサイトもない華南、華中に攻め込んだのかです。占領した処で得るものもないし結局8年の時と資源を浪費しただけに終わった日中戦争の原因ときっかけは何だったのでしょうか? 回答3 原因はシナ人特有の「平気で約束をやぶる。嘘をつく。」等の協定違反です。 きっかけは、盧溝橋事件で例えますが、最初の砲撃は、コミンテルン共産党員が犯人です。シナに日本を釘付けさせたかったためです。しかしあくまでも盧溝橋事件は現地で停戦しておりますのでシナ事変に含んで考えるのは誤りです。 シナ事変の目的などありません。日本は本当にシナの土地など欲しくないのです。 泥沼化した原因は、近衛文麿氏のブレーンに尾崎秀実氏がおり北進させなかったためです。

その他の回答 (5)

回答No.5

たった1発の銃声で戦争は起きますよ? 第一次世界大戦もたった1発の銃声で始まりました

noname#192862
noname#192862
回答No.4

まず質問に誤りがあります。日中戦争という呼称は誤りです。理由は日シ共に宣戦布告は行っておりません。正しくはシナ事変です。シナ事変が盧溝橋事件から始まったという事も誤りです。この事件は現地で停戦協定が結ばれて終結しております。シナ事変が起った理由は、シナ人がこうした約束、協定をまるで守れなかった事が原因です。シナ人が嘘つきで約束を守れない下等民族である事は現在と同じです。シナ事変は 第二次上海事変1937年(昭和12年)8月13日から始まります。盧溝橋事件はシナ事変、大東亜戦争に含みません。

217samuel
質問者

補足

日中戦争と言うのは誤りとおっしゃいますが教科書には「日中戦争」とはっきり書かれてますよ。 停戦協定を守らなかったというのは日本が上海に入植、占領した事への中国人の抵抗であり正当防衛で はないでしょうか。 私が知りたいのは帝国陸軍が何を考えて油田もボーキサイトもない華南、華中に攻め込んだの かです。占領した処で得るものもないし結局8年の時と資源を浪費しただけに終わった日中戦争の 原因ときっかけは何だったのでしょうか?

回答No.3

私は65歳です。戦争を知りませんが日本が中国や韓国に誤りを認め謝罪したと認知しています。過去は終わったのです。何時まで謝ったら済むのですか?孫子の世代まで、傷つけられた人には過去は無いのは承知していますが「日本と他国での戦争教育の違いなのかな?」若者よ現代文明で友好を広めて下さい。 「過去の事に負い目を持つな」日中戦争などどうでもよいのだ

217samuel
質問者

補足

>>gonzou1948さん 温故知新という言葉かあります過去の事を知らずしては未来は開けません。

回答No.2

汕頭邦人巡査射殺事件…1935年1月21日、 上海邦人商人射殺事件…7月10日、中華民国上海共同租界で発生。被害者は上海居住の日本人商社マン。上海日本人水兵狙撃事件…1936年9月23日、中華民国上海共同租界で発生。被害者は寄港してた出雲の乗員。 中山水兵射殺事件…1935年11月9日、中華民国上海共同租界で発生。被害者は上海陸戦隊隊員。 萱生事件…1936年7月、 成都事件…8月24日、成都で発生した邦人4名が殺された事件 北海事件…9月3日、商店経営者の日本人が反日暴動により店舗を襲撃されて殺された事件 漢口邦人巡査射殺事件…9月19日、漢口領事館の警備していた巡査が襲撃されて殺された事件 盧溝橋事件…1937年7月7日、北京郊外盧溝橋で発生した日本軍への銃撃事件 廊坊事件…1937年7月25-26日、北京近郊の廊坊駅で発生した日本軍への攻撃事件 広安門事件…1937年7月26日、北京で起きた日本軍への襲撃事件 通州事件…1937年7月29日、通州に避難していた日本人が中国治安当局に襲撃されて225名が殺された事件 大山事件…1937年8月9日、上海特別陸戦隊の大山中尉と運転手の水兵が襲撃されて殺害された事件 一発の銃声だったなら事件は大きくなりませんが、2年で13件起きたんです

  • lv4u
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回答No.1

>>世界史の授業などでは盧溝橋事件が発端であると習いましたが、 本当にたった一発の銃声で戦争が起きる物なんでしょうか? このサイトの以下のQAが参考になると思います。 http://okwave.jp/qa/q8448943.html No.8さんの回答の一部 ----------------------------------------------------------------------------- 日中戦争は、中国が朝鮮(当時は併合で日本領)を侵略したのが原因です。 当時の中国ですが、清国が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態でした。 彼らは大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。 1937年 7月7日、盧溝橋事件。演習中の日本軍が銃撃される。 7月9日、停戦協定が成立 7月10日、200人以上の支那兵が迫撃砲で攻撃再開 7月11日、停戦協定が成立 7月13日、支那兵が移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み全員を爆死 7月14日、支那兵が日本の騎馬兵を惨殺 7月25日、郎坊事件、日本軍が攻撃を受ける。 7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける。 7月28日、日本軍が華北への攻撃を開始。 7月29日、通州事件。日本人居留民約260名が虐殺される。 8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。 8月13日、蒋介石軍が包囲した上海の国際租界の日本人3万人居留区を攻撃開始 8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。これを日本軍の仕業と世界中に宣伝。 8月23日、支那軍が上海のデパートを爆撃。これも日本軍の仕業と世界中に宣伝。 ----------------------------------------------------------------------------- これを見るように、盧溝橋事件のあと、停戦協定が成立しています。蒋介石軍の上海爆撃が発端です。 それまで、中国側は、日本を攻撃し挑発を続けていますけど、民間人260名が蒋介石軍に虐殺されても、日本軍は戦争になるのを良しとせず、我慢をしていたのです。 でも、さすがに空襲で、爆弾投下までされたら、日本軍は応戦するしかありませんでした。 ちなみに、南京虐殺は、蒋介石軍が撤退するときに行ったことです。日本軍が南京城に入る前に虐殺が起こっていたのです。 ちなみに、日本軍が戦った相手は、現在の台湾です。 現在の中国は、日本の敗戦後、中国の内戦で毛沢東が、蒋介石を台湾に追い出して作ったものです。

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