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日中戦争開戦について

ここにいくつかの疑問があります。  日中戦争についての事です。詳しい方、教えてくださいm(__)m ◆盧溝橋事件が日中戦争の直接の導火線と言われている理由は何でしょうか。 ◆盧溝橋事件が事実上の日中戦争開戦の日だと言われていますが、対米戦争の時のように「7月7日その日から戦争が始まった」と考えていいのでしょうか? ◆盧溝橋事件は陸軍が戦ったんですよね? その勝利のあと、いつから海軍が参戦したんですか? ◆盧溝橋事件の後世論(新聞)は中国との開戦を煽るなどしたのでしょうか? 一つだけでも構いません、わかるかた、何でもいいので教えてくださいm(__)mよろしくお願いしますm(._.)m

みんなの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.8

※ このあと1941年12月9日の宣戦布告まで、停戦が実現しなかった ↓ え、真珠湾攻撃の翌日に停戦しているんですか!? 知りませんでした。。 てっきり、昭和20年9月2日の調印でやっと戦争が終わったのだと。。 ↓ 舌っ足らずでしたね。すみません ○ 日中戦争は、宣戦布告がなかった。 ※ 宣戦布告をすると紛争国になるので、いろいろと日中両国とも不都合なので。 ○ 停戦協定は結ばれた ※ 満州事変以降、日中15年戦争(1931から1945)と呼ぶ場合もあります。満州事変も宣戦布告がないので戦争でない。だが1933年に塘沽協定が結ばれて一応の停戦になった。そしてその後数年は本格的な武力衝突ににはなっていない。 紛争というレベルの停戦が実現することもなく、戦争というレベルの宣戦布告が1941年12月9日に行われた ということでございます

yukari--n
質問者

お礼

詳しく教えてくださりありがとうございますm(__)m よくわかりました!

  • chiha2525
  • ベストアンサー率10% (245/2384)
回答No.7

目からウロコか、目にウロコを入れたのか、分からないようなものです。 教科書は起こったことを大雑把に書いているので、仔細な記述がされていないことは十分に考えられます。近代史ならば、幕末からの大きな流れをつかむほうが大切でしょう。 またここの回答は、何かのTV番組の『週間、実は…』みたいに、面白さを優先した話が多いので、その辺りも気をつけてください。

yukari--n
質問者

お礼

ありがとうございます。 もちろん、ここでいただいたご意見はそのまま鵜呑みにするのでなく、自分でそのことについてあらゆる角度から調べて自分なりに解釈しています。 一つの側面だけ見ても物事の本質は掴めないし、一つの側面を見たからといって物事を知った気にならないことが歴史を学ぶ上での鉄則だと思っています。 歴史が好きなので幕末からの流れは大丈夫だと思います!

  • fgjkjn
  • ベストアンサー率0% (0/8)
回答No.6

教科書に依る日中戦争とは日教組による誤った史実です。よく満洲事変から「15年戦争」などと、あたかも日本からシナ事変が始まったような表現をしますが満洲事変後も協定にて事変は集結しております。盧溝橋事件も同じく現地で協定が結ばれ集結しております。第二次上海事変以降は協定が結ばれる事はなく日シが戦闘状態になりました。

yukari--n
質問者

お礼

ありがとうございます。(*^-^*) 日教組ですか……。関東だから関係ないと思っていましたが、教科書にまで広がっているとは。 学生ですからただ素直に書かれていることを信じてしまうので、本当に正しいことを教えてもらいたいものです。。 戦争ですし、日本に完全に非が無いとは言えないでしょうが、対支戦争と対米戦争については日本が全部悪い、みたいな自虐的な風潮があるから、ちょっと疑問を抱いていました。 敗戦……降伏した国だから仕方ないのですかね……。 でも、日本人なら本当の事を知るべきだし、みんなもっと自分の国に誇りを持ってほしいです。 教えられたまま自虐的に祖国を見ているなんて、先人に申し訳ない……。

  • area_99
  • ベストアンサー率20% (226/1124)
回答No.5

◆盧溝橋事件が日中戦争の直接の導火線と言われている理由は何でしょうか。 正式には 1941年12月9日に蒋介石の重慶政府が日本に宣戦布告。 ここからですね。 それまでのテロ行為を日華事変や、支那事変と呼んでいます。 盧溝橋事件からが支那事変ですね。 ◆盧溝橋事件が事実上の日中戦争開戦の日だと言われていますが、対米戦争の時のように「7月7日その日から戦争が始まった」と考えていいのでしょうか? 既に回答した通りです。 ◆盧溝橋事件は陸軍が戦ったんですよね? その勝利のあと、いつから海軍が参戦したんですか? 1937年(昭和12年)8月13日から第三艦隊が参加しました。 ◆盧溝橋事件の後世論(新聞)は中国との開戦を煽るなどしたのでしょうか? http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-431.html ここにすべて載ってます。 ※特に朝日に注目。

yukari--n
質問者

お礼

丁寧に詳しく教えてくださりありがとうございますm(__)m 貼付けてくださったURL、大変に参考になりましたm(__)m 当時の新聞はどう伝えたのかとか知りたかったので、area_99さんはまさに私の知りたかったこと、疑問を解決してくださいました。 ありがとうございました。感謝いたします。

  • kyon5491
  • ベストアンサー率30% (3/10)
回答No.4

簡単に要点だけ述べると、 ・ 盧溝橋事件は、北支事変の切欠ではありました。 ・ 盧溝橋事件で戦ったのは、陸軍の支那駐屯軍です。 ・ 海軍(陸戦隊)が戦ったのは、上海で8月13日からです。 ・ 世論が高まったのは、7月29日の通州事件からでしょう。 この事件では、日本人居留民385名のうち223名が惨殺されました。 ・ 上海での戦闘から、北支事変は支那事変とよばれました。 「シナ事変」というのは、戦後の造語です。

yukari--n
質問者

お礼

通州事件、という事件をはじめて知りました。 そんなことがあったのですね(泣) では、8月の上海の戦闘で、北支事変が支那事変、と呼ばれるようになったということでしょうか。 詳しく教えてくださりありがとうございます!

  • WhatisLOVE
  • ベストアンサー率34% (391/1147)
回答No.3

いくつかだけの回答になりますが。 盧溝橋事件はあくまできっかけで、たまに北朝鮮と韓国がやるような小競り合いみたいなものだと思います。 確かに事実上はこの日から戦闘は始まっていますが、国際的には宣戦布告をした時点から戦争は始まると考えるべきではないでしょうか。 当時、陸軍と海軍は対立していたようなので、海軍が参戦してかは疑問です。しても限定的だったのではないでしょうか。 結果として、太平洋戦争では陸軍と海軍の方向性がバラバラになり、戦線はいびつな形で広がっていってしまうわけですが。 盧溝橋事件の後の世論は、それ以前の日清・日露・第一次大戦での連勝から浮き足立っていたので、戦争には負けないと考えていたみたいなので、開戦には前向きだったと考えられます。

yukari--n
質問者

お礼

ありがとうございますm(__)m やはり対米戦争開戦時のように世論は前向きだったのですね。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

日中戦争をどう定義するかで変わる話です http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89 ◆盧溝橋事件が日中戦争の直接の導火線と言われている理由は何でしょうか。 ↓ 1936年12月7日、張学良は蒋介石に国共内戦を停止し、対日戦に向かうことが救国となると勧告する ※ つまりこの段階では日中は正面衝突していない 1937年(昭和12年)7月7日、当時北支に駐屯していた日本軍の演習中に実弾が二度発射され、 ※ このあと1941年12月9日の宣戦布告まで、停戦が実現しなかった

yukari--n
質問者

お礼

ありがとうございますm(__)m え、真珠湾攻撃の翌日に停戦しているんですか!? 知りませんでした。。 てっきり、昭和20年9月2日の調印でやっと戦争が終わったのだと。。

  • fgjkjn
  • ベストアンサー率0% (0/8)
回答No.1

誤りが多いです。まず、日中戦争という言葉が違います。正しくはシナ事変です。理由はどちらも宣戦布告をしておりません。盧溝橋事件からシナ事変が始まったという事も誤りです。理由は、現地で協定が結ばれ、この事件は集結しております。正しくは8月13日の第二次上海事変からシナ事変は始まっております。

yukari--n
質問者

お礼

ありがとうございます。 学校では支那事変ではなく日中戦争と習いましたもので……。 それに、盧溝橋事件が直接の導火線となった、と教科書にかかれていて……。 なぜなのかは詳しくかかれていなかったのでここで尋ねてみたのですが。。 違ったなんて、知りませんでした。 教えてくださりありがとうございますm(__)m

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