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太平洋戦争開戦。陸軍の訓示。

海軍では山本五十六連合艦隊司令長官の「諸子十年養うは、一日これ用いんが為なり」という訓示が有名ですが、開戦に際しての陸軍の訓示を教えてください。 太平洋戦争開戦は、陸軍の南方作戦が主体です。 どのような目的があって英領マレーへ侵攻するのか、兵士の戦闘意欲を奮い立たせる訓示があったと思います。 よろしくお願いします。

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再度、失礼致します。 海軍が山本五十六ならば、陸軍は寺内壽一(山下奉文も居ますが)と単純に考えていました。 御要望にどれだけ接近出来るか定かではありませんが、下記など如何でしょうか。 肝心の本文は手入力&旧字変換等が遅々として進まないため、 申し訳ありませんが下記原本画像にて御確認いただければと思います。 〇件名:陣中日誌 第二号 自昭和16年12月1日至昭和16年12月31日(1) (※歩兵第十一聯隊第三中隊※) [階層]防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>南西>マレー・ジャワ [レファレンスコード]C14110583800[年代域]昭和16年[画像数]50 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14110583800 <19~23/50> 訓示…(中略)…昭和十六年十一月二十日 第二十五軍司令官 山下奉文 <24~26/50> 訓示…(中略)… 昭和十六年十二月一日 河村少將 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです。 お手柔らかにお願い致します^^

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質問者からのお礼

丁寧な再度のご回答真にありがとうございます。 歩兵第11聯隊第3中隊「陣中日誌」、このような史料が保存されていたのですね。 終戦直前厖大な書類を焼却したものと思っていましたので、驚いています。 このような史料を読みたかったので、教えて下さってホントにありがとうございます。 漢字とカナの手書きなので読みにくいですが、活字と違って臨場感が伝わってきます。 読み始めると面白くて自分が何を質問したのか、忘れてしまうほどです。 質問は「どのような目的があって英領マレーへ侵攻するのか」でした。 河村少將の訓示は、寺内壽一の訓示に比べると具体的です。 目的については、 「今次作戦が亜細亜民族解放を目指す聖戦たるの意義を体得し彼等に真に神兵来たるの観念を与え…」と述べています。 そして、「…南進男児の意気を中外に輝かさんことを茲に諸子の武運を祈り以て訓示なす」と結んでいます。 このような訓示で士気を奮い立たせたということが分かりました。 しかし、もっと興味を惹いたのは「山下奉文の訓示」です。 昭和十六年十一月二十日、第二十五軍司令官 山下奉文の訓示は三つの項目からなっています。 最も強調すべきことを第1項に書くと思いますが、その最初の1項は次のとおりです。 「皇軍は道義を生命とす 軍紀森厳命令必ず行はれ秋毫笱も犯す所なく(中略) 車両燃料薪炭糧秣等の物資材料は各級指揮官の命令を以て現地に之を徴発を許すと雖も笱も私利私欲に発したる掠奪暴行は武士道に反し大御心に背き奉る所以にして断じて許容すべきに非ず」と述べています。 この部隊は中国戦線から来たのですが、こんなことを最初に言わねばならないほど軍紀が乱れていたのでしょう。 中国戦線における皇軍の軍紀がかなり乱れていたことは、書籍でなんとはなく知ってはいましたが、「陣中日誌」を読んで確信しました。 第2項は、「敵は英人なり(中略)土人兵は之を愛撫し以て敵軍を内部崩壊に導くの着意を必要とす」であり、第3項で敵前上陸の心構えを説いています。 「陣中日誌」は実に面白いですね。 12月7日の項(42ページ)に合言葉を“山”“川”に決めたとあります。 米軍は、合言葉を日本兵が真似て騙されるのを防ぐため、日本人が発音しにくいRとLを含む単語にして、しかも一日の内で数回変えたそうです。 また、シンゴラ上陸の模様も書いてあるので後日再度読んでみます。 >肝心の本文は手入力&旧字変換等が遅々として進まないため、 >申し訳ありませんが下記原本画像にて御確認いただければと思います。 いつも丁寧に源史料から転記してくださって真にありがとうございます。 これまで大いに助けて頂きましたが、いつまでも甘えてばかりではいけません。 今回のように史料のURLだけで十分です。 感謝の気持ちでいっぱいです。

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その他の回答 (4)

  • 回答No.5

またまたお騒がせ致します。 No.3投稿の冒頭3行目の階級「(※中佐)」補足の件 「軍揚陸作業隊長 西村仁藏(※中佐)」の階級「(※中佐)」に関しまして、 訓示内では階級空欄のため、気を利かしたつもりで補完的に付記したものの、 典拠を省略したために、余計なお手間をお掛けした御様子で、 大変申し訳ありませんでしたm(_"_)m No.3投稿「〇件名:訓示 昭和16年12月2日」と同一簿冊 「(簿冊:)第1揚陸隊関係資料綴 1/2 昭和16.11.14~16.12.8」の中にある 下記から抽出しました。 〇件名:揚陸作業計画 昭和16年12月2日 [階層]防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>南西>マレー・ジャワ> (簿冊:)第1揚陸隊関係資料綴 1/2 昭和16.11.14~16.12.8 [レファレンスコード]C14110554600[年代域]昭和16年[画像数]30 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14110554600 <4/30> 第二 揚陸作業隊ノ編成及部署 三、編成長 陸軍中佐 西村仁藏 以上 

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質問者からのお礼

わざわざ調べて下さって真にありがとうございます。 お手を煩わせました。もっと根気よく関連史料を読むべきでした。 陸軍中佐ですね。 綿密な揚陸計画を立てていることを確認できました。

  • 回答No.4

いつもながら過分の御言葉を賜り恐縮至極でございます。 また、いつもながらの飽くなき探求心には脱帽です^^ 予定外の連続投稿…結果的には新ネタではありませんが…大変失礼致します。 さて、No.2投稿のお礼コメント欄にいただいた kouki-koureisya 様の「「陣中日誌」は実に面白いですね。 12月7日の項(42ページ)に合言葉を“山”“川”に決めたとあります。」の御言葉、 そこまでは未読の私は、早速42頁にアクセスしてみますと、 最初に目に飛び込んだのは六、二の「山」「川」ではなく四、の訓示!! 何と開戦前日と言うよりは約6時間前の訓示ではありませんか!! 「山」「川」まで読み進まれた kouki-koureisya 様が、これを見逃すはずもなく、 「探せば12月7日の訓示も有るじゃないか!!」との私に対する叱咤激励のように 勝手に受け止めました(笑) No.3投稿の12月2日付訓示で一服している場合ではありませんね(><) とは言いましても…言い訳になりますが… アジ歴の検索キーワード「訓示 昭和十六年」でヒットするのは113件に過ぎません。 この中にはNo.3投稿のように件名に「訓示」を含むものと、件名には含まれないものの 閲覧欄クリックではなく件名欄クリックで表示される内容(要旨又は最初の本文一部)に 「訓示」を含むものがヒットしているに過ぎないようで、逆に言えば、どうやら 件名からも内容(要旨又は最初の本文)からも漏れた「訓示」はヒットせず、 残念ながら全文検索機能では無いようです。 と言うことで、膨大な記録の中から113件以外の「訓示」を探すのは至難の業… そこで改めて「陣中日誌」&「昭和十六年十二月」の範囲35件の内の 「マレー・ジャワ」4件と「比島」18件の中で探してみましたところ、 No.2投稿既出分とレファレンスコードが違うものの内容同一分を除外すると、 …見落としの可能性も残りますが…唯一(実際は唯二)下記が見つかりました。 まさに直前の12月7日24時頃に独立自動車第42大隊第1中隊長が 第二十五軍司令官(山下奉文)の昭和十六年十一月二十日訓示を朗読したものでした。 〇件名:陣中日誌 第3号 自昭和16年12月1日至昭和16年12月31日(1) [階層]防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>南西>マレー・ジャワ> 簿冊:独立自動車第42大隊第1中隊 行動詳報 昭和16.10.14~16.12.31 [レファレンスコード]C14110628000[年代域]昭和16年[画像数]50 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14110628000 <24/50> 十二月七日(日)快晴/一、… <28~33/50> 十七、二四、〇〇…後 中隊長ノ第二十五軍司令官ノ訓示朗讀アリ 訓示 皇國ノ隆替ト… …大元帥陛下ノ御宸襟ヲ安ンシ奉ランコトヲ期ス 昭和十六年十一月二十日 第二十五軍司令官 山下奉文 以上 日時だけは12月7日24時まで辿り着きましたが、内容が旧ネタ…。 上記が稀な例か否かは何とも言えませんが、 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^

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質問者からのお礼

再度のご回答真にありがとうございます。 第二十五軍司令官 山下奉文の11月20日付けの訓示を開戦直前に中隊長が“朗読”したのですね。 おそらく多くの大隊・中隊単位で代読されたことでしょう。 今次作戦の目的を訓示では 「若し夫れ我に抵抗せざる無辜の土民に至りては之を愛護し彼等をして英人の桎梏より解放すべく聖戦の直義を理解せしめ進んで我に協力せしむること…」と言っています。 植民地支配から解放してやるのだ、これが“聖戦”だと言っていますね。 兵士は、自分の命を懸けてマレーの住民を「英人の桎梏より解放」してやれ、ということでしょうかね。 南方の資源、とりわけ石油がなければ国家が立ち行かぬので、資源確保が真の最大の目的とは言っていないのですね。 考えが整理できませんが、訓示ではそのように述べている、ということが分かりました。 質問する前に  凱風社 (1996/12)『シンガポール近い昔の話 1942~1945―日本軍占領下の人びとと暮らし』 シンガポールヘリテージソサエティ(編集), 越田 稜(翻訳), 新田 準(翻訳), リー ギョク・ボイ を読んでいたのですが、聖戦とは名ばかりだ、と知りました。

  • 回答No.3

再びお騒がせ致します。 その後、アジア歴史資料センター内(のみ)の再検索を試みましたところ、 「軍揚陸作業隊長 西村仁藏(※中佐)」氏の訓示<4~6/14>がありました。 やや日付と現場には近づきましたが、本文内容に難があります。 下記文中少なくとも「…?…」5箇所に脱字の可能性、 また「茲ニ於テカ」の「カ」が誤字の可能性もありますが、 内容は概ね把握出来るようです。 実のところワザワザ誤字・脱字の訓示を選んだワケではなく、 アジ歴内での探し方が悪いのか、記録が残っていないためか、 時期が合いそうな訓示が他に見出せませんでした(><) 〇件名:訓示 昭和16年12月2日 (※軍揚陸作業隊※) [階層]防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>南西>マレー・ジャワ> 第1揚陸隊関係資料綴 1/2 昭和16.11.14~16.12.8 [レファレンスコード]C14110554700[年代域]昭和16年[画像数]14 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14110554700 <2・3/14>? <4~6/14> 訓示 不肖西村茲ニ揚陸作業隊長ノ榮職ヲ辱シ諸子ト共ニ前占未曾有ノ今次ノ大作戰ニ 参加シ得ルハ予ノ最モ光榮トスル處ナリ 惟フニ本次ノ作戰タルヤ實ニ帝國ヲ盟主トスル東亜共榮圏確立ノ爲ニシテ其ノ 一翼タラシムヘキ南方諸民族ヲシテ皇化ニ浴セシムヘキ絶好無二ノ好機ナリ 茲ニ於テカ吾等ハ愈々至嚴ナル軍紀至誠ナ風紀ヲ振作シ其ノ武力抵抗スルモノ…?… 對シテハ斷乎之ヲ膺懲破摧スヘキト…?… 其ノ服スルハ討タス來ルハ迎へ無辜ノ…?… ニ對シテハ冐ス處ナク以テ皇軍本來…?… 姿ヲ顯現シ彼等ヲシテ衷心進ンテ軍…?… カセシムル如ク指導ヲ要ス 夫レ我等ノ向ハントスルハ赤道直下多年暴戻搾取飽クナキ英米ノ東亜ニ於ケル壁ヲ期シ 皇軍今次作戰ノ成果ヲシテ彌々光輝アラシムル如ク奮勵センコトヲ切望ス 昭和十六年十二月二日 軍揚陸作業隊長 西村仁藏 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^

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質問者からのお礼

再度のご回答真にありがとうございます。 よく分かりました。 編成表等関係資料をよく見たのですが、軍揚陸作業隊長 西村仁藏の名を見つけることができず、階級が分かりません。 このような訓示をできるのは、佐官?尉官?クラスなのでしょうか。 佐官でも尉官でもよいのですが、このクラスの人が今次作戦をどのように認識していたのかは、 「本次ノ作戰タルヤ實ニ確立ノ爲ニシテ其ノ一翼タラシムヘキ南方諸民族ヲシテ皇化ニ浴セシムヘキ絶好無二ノ好機ナリ」 と言っていますから、開戦前の12月2日にすでに“帝國ヲ盟主トスル東亜共榮圏”の思想があったことが分かりました。 つまり、「多年暴戻搾取飽クナキ英米」に取って代わり、日本が植民地として支配する強い意思を感じました。 兵士は、これを聞いて“やる気”を出したことでしょう。 (勝手ながら私自身のメモとして)上陸部隊を輸送した「三池丸」の船員が見た上陸時の様子。 http://www.kanpusaiban.net/kanpu_news/no-48/hirao.htm 

  • 回答No.1

下記「〇件名:2.隷下に与ふる訓示 昭和16年11月10日」(=「〇件名:訓示」)が 該当するのではないでしょうか。 〇件名:2.隷下に与ふる訓示 昭和16年11月10日 [階層]防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>南西>全般> 大東亜戦争南方軍祝電及び総司令官訓示綴 昭16~17 [レファレンスコード]C14060016700[年代域]昭和16年[画像数]2 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14060016700 <1/2> 隷下ニ與フル訓示 國運興隆ノ轉機ニ際シ寺内圖ラズモ南方軍統率ノ重任ヲ拜ス予ノ光榮感激何モノカ 之ニ加ヘム本職ハ各軍司令官以下將兵ノ忠勇ニ信賴シ負託ノ重任ニ對ヘ奉ラントス 將兵宜シク今次聖戰ノ本義ニ透徹シ其ノ重責ヲ銘肝シ堅鐵ノ意志ヲ以テ至誠ニ一貫シ 陸海和衷彼此協同鞏固ナル團結ノ下各々精強ノ極致ヲ發揮シ神武必勝短期間ニ出師ノ 目的ヲ達成セムコト期スベシ 若夫レ無辜ノ官民衆庶ニ對シテハ綏撫啓誘能ク 皇軍ノ威徳ヲ顯揚シ秋毫犯スコト勿レ 地方酷熱ニシテ瘴癘多シ特ニ自重健鬪ヲ祈ル 右訓示ス 昭和十六年十一月十日 <2/2> 南方軍總司令官伯爵寺内壽一 〇件名:訓示 [階層]防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>南西>全般>南方軍上奏.訓示等綴 昭16.11.10~17.7.25 [レファレンスコード]C14060020200[年代域]昭和16年[画像数]4 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14060020200 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^ 他関連URL 〇件名:1.幕僚に与ふる訓示 昭和16年11月6日 [階層]防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>南西>全般> 大東亜戦争南方軍祝電及び総司令官訓示綴 昭16~17 [レファレンスコード]C14060016600[年代域]昭和16[画像数]2 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14060016600 〇件名:3.総司令部職員に与ふる訓示 昭和16年11月11日 [階層]同前 [レファレンスコード]C14060016800[年代域]昭和16年[画像数]3 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14060016800 〇件名:4.進攻開始に方りGB南憲に与ふる訓示 昭和16年12月6日 (※進攻開始ニ方リ南仏印ヲ陥ル近衛歩兵団長及南方軍憲兵隊長ニ與フル訓示※) [階層]同前 [レファレンスコード]C14060016900[年代域]昭和16年[画像数]1 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14060016900 〇件名:5.第56師団長に与ふる訓示 昭和16年12月 [階層]同前 [レファレンスコード]C14060017000[年代域]昭和16年12月[画像数]1 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14060017000 〇件名:6.第14.15.25軍.川口支隊.第3.第5飛行集団各部隊長に与ふる訓示 昭和16年12月 [階層]同前 [レファレンスコード]C14060017100[年代域]昭和16年12月[画像数]1 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14060017100

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質問者からのお礼

親切なご回答真にありがとうございます。 全て南方軍總司令官伯爵寺内壽一の訓示ですね。 私が想定していたより高位・高官に向けての訓示でした。 「將兵宜シク今次聖戰ノ本義ニ透徹シ其ノ重責ヲ銘肝シ堅鐵ノ意志ヲ以テ至誠ニ一貫シ…」とありますから、将に始めんとする戦いを“聖戦”と呼び、そして“聖戦の本義”と言えば何を指すかを理解しているクラスの将兵を対象にしていますね。 件名1,3,4,5,6は、「聖慮を安んじ奉らむことを期すべし」と結んでいます。 これをどのように解釈すればよいのか、平和の時代に生きる私にはよく分かりませんが、天皇のために戦うという意思を感じます。 「天皇のために」と言えば、最も“やる気”が起こってくる時代であり、またそのように教育された将兵(職業軍人)を念頭にしての訓示だったのでしょう。 前線の連隊長や大隊長は、兵士に向けてもっと具体的に、どんな大義があって戦うのかを訓示したのではないのかな、と想像しています。 でなければ士気も高まらず、一致団結できないような気がします。 それとも“先制奇襲戦法”にそんな理屈は不要で、敵兵を蹴散らして進めばよいのだ、という程度の話だったのかも。 できれば、戦い直前の前線の訓示を知りたいです。 大変参考になりました。感謝申し上げます。

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