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全能の神は 難問を解けるのか?

cse_riの回答

  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.24

No.22の返答についてのコメントです。 >その必然性を説明できると思いますよ。例えば熟成という考え方ですよね。 >論理の蓄積と熟成 時間がそれにかかわるわけで必然性は見つかるはず >ですよ。 微積分の話を例にしますと、ニュートンとライプニッツについては、 そういう考え方も取れるかもしれません。両方ともヨーロッパの学者です からね。 しかし、和算学者の関孝和は説明がつきません。 もちろん、彼が微積分の概念を発見したのは、西洋の数学とは全然関連 がないんですよ。 和算の学問的な積み重ねとしても、それだけではニュートン・ライプニッツ とほぼ同時代に発見したという現象について、既存の学問の積上げだけ という概念だけでは説明ができません。 また、chihokoさんが数学のことをどれだけ知っているかわかりませんが、 微積分の概念というのは、当時としては革命的な発見だったんですよ。 単に既存の数学の論理を蓄積して見つけられるようなシロモノではない のです。その革新的発見を、直接的な関係のない和洋3人の学者が別々 に成したというのが驚きなのです。 そもそも、発見・発明というのは本当に不思議な現象です。 私は技術者として普段から創造的な仕事に取り組んでいます。 別に私自身が革新的な発見をしたわけではないのですが、技術的な難問 に取り組んでアレコレ苦労している時、まれにですがフッと今まで自分 の中に存在しなかった、全く新しい閃きが浮かぶことがあります。 その閃きを手がかりにして、問題解決に導かれていく、そういう経験が 何度もありました。 この不思議な閃きがどこから来るのか、私にはわかりません。 何かの本に書いてあったわけでもない、誰かから聞いた情報でもない、 全く新しい概念なのに、それを信じて研究/開発/調査を進めていくと 何故か問題解決に導かれていきます。 こういうのを天啓というのかな、と勝手に信じています。

chihoko
質問者

お礼

●とても興味深いおはなしを ありがとうございます。  ある方の発言です。  ◇関孝和にしてもライプニッツにしても、藩主や王朝家という時の政治権力者に  宮仕えをしていたので、整合性を重視する見方が求められていたはずです。  やがてこのような考え方は、現在各国で使用されている「産業連関表」  (ノーベル賞経済学者のW.レオンチェフが考案した)の作成へと  結実して行くことになります。 ●偶然に思えることの必然性を追求している方は たくさんいらっしゃいます。  すべての事象は偶然である とは言えないが 必然であるとは言える訳です。 ●「死んでも魂は残って またべつの命に生まれ変わる 世界の全ての物は  神様がつくっている。」←これは どんなバカでも言います。  すこしでも知性があるのなら 自分なりに考えてみなけりゃバカと同じなんです。  わたしの考えたいまのところの結論は  魂:そのものがそのものであるための 宇宙の真理(摂理)にてらされた設計図。  従って もし 生まれ変わるとしても そのものそれ自体になります。  物質とエネルギー:見ての通り輪廻転生している。  神:宇宙の真理(摂理)を神と呼称することもできるが 擬人化する必要なない。  と いった感じで認識しています。 ●天啓についてですが 正にあなたが体験されていることがそれにあたるとおもいます。  ただ わたしが思いますに 天啓とは 次のようなことだと思います。  わたしたちの脳の顕在意識は非常にキャパシティの小さいものです。  小さい必然性は 生きるための自然淘汰の知恵でして 深く考えるよりも  すばやく処理するというとことが生き残ることによって選択された結果だと  思います。しかし深く考えることを繰り返すと潜在意識がその思考を  代替してくれるようになります。表層では敵と戦いつつもその影では  戦略を練ることができるわけです。  いろいろ悩んでて ひと寝したら解決したということがよくありますよね。  これも天啓の小さいものです。  ご回答ありがとうございました。また面白いお話がございましたら教えてください。  

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