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全能の神は 難問を解けるのか?

cse_riの回答

  • cse_ri
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回答No.22

全知全能の神、創造主を考えてみましょう。 私達が感覚する事柄、空間・時間・物体・物理法則をすべて創造主が 作ったとしたら、創造主にわからないことがなにかあるでしょうか、 という答えになるかと思います。 では、その全知全能の神が具体的に何か難問の答えを教えてくれたか というと、どうも直接には教えてくれないようです。 このことについて、もう少し考察してみます。 四色問題は私もよく知らないのですが、別の箇所で微分・積分の話題 がありましたので、それを例に取り上げてみます。 微分・積分の概念を最初に考えたのはニュートンとされていますが、 ほとんど同時期にライプニッツという数学者も同じ問題に取り組んで いました。ただ発表がわずかにニュートンの方が早かっただけです。 そして、なんと同時代にはるか地理的に離れた日本でも、関孝和(だと思った...) という和算学者が、微積分の計算方法を編み出していました。 この不思議な現象について、こう考えています。 微積分の内容を知っている全知の存在が別にあり、彼が望む時期に その内容を最も努力する人間に示したのではないかと。 微積分の問題については、和洋合わせて3人の学者が努力していた ので、それぞれに示したのだと思います。後は誰が最初に論文を書いて 発表するかです。 似たような話は他でもあります。電話を発明したのはグラハム・ベル ですが、やはりほとんど同時期にエジソンも発明に着手していました。 これもタッチの差でグラハム・ベルの方が実用化が早かったので、彼の 名が残ったわけです。もっともエジソンは他でも名を成しているので 一つぐらいは譲ってもいいのではと勝手に思っていますが。 ---------------------------------------- 聖書にヨブ記という話があります。 長い話なので要約しますが、金持ちだけれども神の前に誠実な男であった ヨブが、悪魔の試練を受け、全財産と子供をすべて失い、さらに自分は 難病にかかってしまいます。 誠実であったヨブもすっかりしょげてしまい、見舞いにきた友人にこう 問い掛けます。 「私は、こんな思い罰を受けるようなことをした覚えはない。  なぜこんな目に会うのか」 友人達は「いや、隠れて悪いことしてたんだろう」とかいろいろ言います が、ヨブは納得しません。延々と問答を続けます。 ついには友人達への問いかけを止め、切々と神に訴えます。 そして最後に神が現れ、ヨブに語りかけます。しかしそれは、 ヨブの疑問に直接答える内容ではありませんでした。 「無知の言葉をもって、神の計ごとを暗くするものはだれか。  あなたは腰に帯して、男らしくせよ。  わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。」 ... 「非難するものが全能者と争うとするのか、神と論ずる者はこれに答えよ」 友人達には屈しなかったヨブも、少し謙虚になります。 「見よ、わたしはまことに卑しいものです、なんとあなたに答えましょうか。」 神の言葉はさらに続きます。 「あなたはなお、わたしに責任を負わそうとするのか。  あなたはわたしを非とし、自分を是としようとするのか。  あなたは神のような腕を持っているのか、  神のような声でとどろきわたることができるか。 ...  すべての高ぶる者を見て、これをかがませ、  また悪人をその所で踏みつけ、  彼らをともにちりの中にうずめ、  その顔を隠れた所に閉じ込めよ。  そうすれば、わたしもまた、あなたをほめて、  あなたの右の手は  あなたを救うことができるでしょう。」 最後にヨブは悟ります。 「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、  またいかなるおぼしめしでも、  あなたにできないことはないことを。  『無知をもって神の計りごとをおおうこの者はだれか』  それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、  みずから知らない、計り難い事を述べました...」 悟ったヨブは、神から祝福され、再び繁栄するようになり、 多くの子孫に恵まれて安らかに死ぬというところで話は終わります。 長々とヨブ記のことを記しましが、これを読んでわかることは、 全知全能の存在があったとしてもそう容易く真理を教えてくれたりは しないということです。 しかし絶対教えないわけではなく、切実に求める人には相応の導きが 必ずあるのではないか、そういう教訓が含まれているように思います。

chihoko
質問者

お礼

●まず たいへん読みやすく文字がならべられておりましたので  心遣いのある方だと拝察いたしました。ありがとうございます。  さて ヨブのお話ですが マジっすか? って感じです。  こんなお話を信じちゃってる方達が いるんですかね?   ●同時期に同じような研究がなされる ということは神によらずとも  その必然性を説明できると思いますよ。例えば熟成という考え方ですよね。  論理の蓄積と熟成 時間がそれにかかわるわけで 必然性は見つかるはずですよ。 ●ヨブは 単に神にびびっちゃってるだけのように感じました。  丁寧な姿勢で書き込みいただいたので すこし同調しちゃおうかな  とも思いましたが やっぱりそれは失礼だとおもいまして  わたしの感じたままを 述べさせていただきました。  ご回答ありがとうございました。

chihoko
質問者

補足

●全能の神とヨブのお話ですが 人間界におきかえて思いますと。  やくざ(神)とチンピラ(ヨブ)のお話に酷似していますね。  このお話は こそくな人間のしがらみからの発想だなあ と  つくづく感じるのはわたしだけなのでしょうか?

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