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村上天皇と梅について

平安時代、村上天皇の時に都で悪疫が広まり、天皇ご自身もその病に。 その時、梅干しとこぶ茶でたちまち回復。という話をたまに聞くのですが、このエピソードが実際に記載されている昔の文献をご存知の方はいらっしゃいませんか? もしご存知でしたら文献の名称と文献のどのあたりの記述されているかを教えていただきたいのですが。古典に詳しい皆様、宜しくお願い致します。

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回答No.2

多分、『都名所図絵雑談抄』ではないでしょうか? 「天皇御脳にかかり給いしが、この茶を服し給えば御脳たち所に平癒す。 これより王服と称して毎年元旦にこの茶を服し給い、 萬民これを倣い年中の疫病邪気を除き長寿幸福を得るなり。」 という文があります。

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質問者

お礼

HaruSakura様、ご回答ありがとうございます。 いろいろ調べてもわからず途方にくれておりました。助かりました。 ところで、早速『都名所図絵雑談抄』を読んでみようと思ったのですが 国会図書館他この本を検索してもヒットしません。 あつかましいのですが、この本を閲覧できる図書館あるいは資料館をご存知ないでしょうか?

その他の回答 (3)

回答No.4

実際に読んだわけではないのですが、それは京都の六波羅蜜寺の寺伝に記されている伝説のようです。六波羅蜜寺では現在でも正月三が日に「皇服茶」として参詣者に梅干しと結び昆布を加えたお茶を振る舞って下さいますが、それは「寺伝」に拠り所のある年中行事とされています。一度「六波羅密寺」で検索なさってみて下さい。 尚、「都名所図会」は江戸時代の出版ですから、寺伝よりは遥かに後のものですが、六波羅蜜寺の項に以下のようにあります。 「伝に曰く、村上帝御宇、天暦五年に疫癘流行て死するもの数しらず。空也上人これを憐み給ひ、十一面観音の像を作りて車に乗せ、洛中を自身牽きありき給ふ。これ当寺の本尊なり。観音に供ずる典茶を疫人にあたへ給へば、一同に平癒す。村上帝これを聞召して吉例とし、毎年元三に服し給ふ。万民今にこの例を行なふて名を王服と号し、年中の疫を免るゝとなり。」 御参考までに。

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質問者

お礼

Kuroishippoさんご回答ありがとうございます。 六波羅蜜寺の寺伝ははじめて聞きました。 さっそくそれについて調べてみます。 ありがとうございました。

回答No.3

お礼ありがとうございました。 お恥ずかしい話、私もこの作品については詳しくなく、 以前京都の北野天満宮の栞に書かれてあったものなのです。 ただ少し調べてみたところ、 『京都 写真名所図絵』という書籍が、 『都名所図絵』を元に写真集を出版しているとのことなので、 そこから何か足がかりがつかめないかと思うのですが……。 一応、その本が乗っているページをリンクしておきます。 はっきりとした回答ができなくて申し訳ありませんでした。

参考URL:
http://www.mitsumura-suiko.co.jp/newbooks/ISBN4-8381-0316-6.html
HSHSHSHS
質問者

お礼

Haru_Sakura様、ご返答ありがとうございました。 リンクにあります『京都写真名所図絵』を見てみます。 何度もお答えいただきましてありがとうございました。

回答No.1

聞いたことあるなぁ。申年の梅は体にいいってやつでしょ。 江戸か明治くらいに作ったコピーだって祖父に聞いたことがあったけど。 当時の文献では見たことがないな。そんなに詳しいわけじゃないけど。

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