• ベストアンサー

「歯痛は人を哲学者にする」?

starfloraの回答

  • ベストアンサー
  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.3

    これは、誰が論じていたのか分かりませんが、変な「哲学的問い」として、歯痛は本来存在しないものである(実際は存在する)。なのに何故わたしは歯痛に悩まされるのか、存在しないものが人を何故悩ますことができるのか? 歯痛はそもそも存在するのか、存在しないのか? 実体として存在しないはずである……ならば、わたしの感じる痛みは何なのか?云々というような議論が確かあり、こんなことを考えている人は哲学者になると云う意味ではないかと一つに思います。(感覚は、実在するのか、という問いです)。     もう一つ、シェイクスピアの有名な言葉があります。     >“There was never yet philosopher who could endure the toothache patiently, however they have writ the style of gods, and made a push at chance and sufferance.” (Shakespeare: Much Ado About Nothing, v. 1.)     古い英語なので、意味が取りにくいのですが、大体、こういう意味のはずです。     >「かつて、歯痛に辛抱強く耐え得た哲学者はいなかった。しかし、彼らは、神々のように著作を著し続け、かくて、時として、歯痛に対し反撃を行ったのだ(苦痛を耐えたのだ)。     訳が間違っているかも知れませんが、歯痛と哲学者をシェイクスピアが、ここで結びつけています。この正しいかどうか分からない解釈から考えると、シェイクスピアの文章は、「歯痛に耐え得た哲学者はいなかったが、哲学者は、神々のような態度で著作を続け、時に、苦痛にも耐えることができた」という風に読めます。つまり、「歯痛を耐えて著作を続けることで、人は歯痛に対抗し、哲学者となるのだ」とも読めます。     (philospher は単数なのに、次に they で出てきて、これは複数です。「苦痛に耐えた哲学者はいなかった」は、哲学者一般なので、単数無冠詞で、次に具体的な哲学者たちが出てくるので、ここは they なのかも知れません。シェイクスピアの文章はかなり難しいと云われていますが、その通りです)。     これが、「歯痛は、人を哲学者にする」の起源ではないでしょうか。  

elthy
質問者

お礼

ありがとうございます、お見事! シェークスピアスタート、と考えておいていいような気がしてきました。 歯痛に耐えるだけで哲学者になれるなら 私は簡単に今哲学者になれてしまうけど、 耐えて何か書くとなるとさすがだね(苦笑)

関連するQ&A

  • いしいひさいちのギャグの元ネタを知りたいのですが

    「風邪性の下痢は人を哲学者にする」(いしいひさいち) というものです。 言葉としてものすごくインパクトあるのですが、 突然こんな哲学至言を吐くような漫画家ではないと思いますし、 これって誰かの言葉のパロディですよね。 私はずっと「歯痛は人を哲学者にする」という言葉を元ネタにしてると思い、 昨日「言語」カテゴリで質問したのですが、 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=195082 そんな言葉は無いんではないか?と言われて、こっちのカテゴリならもしかしてご存知の方いないかな?と思った次第です。 もしこれがオリジナルなら、ついでにこの人のマンガでネタにした言葉で「これは!」といういい言葉も教えてください。

  •  「スイカ甘いかしょっぱいか」という言葉を最初に言ったのは誰なんでしょ

     「スイカ甘いかしょっぱいか」という言葉を最初に言ったのは誰なんでしょうか?  色々検索しても出て来ず、とても不思議です。  本当に良く出来たダジャレだと思っているので落語あたりから派生したのか、と思っていたのですが…検索をかけてもこの言葉が出てくるばかりで、何も出て来ませんでした。  また、元ネタは佐藤春夫さんの詩【秋刀魚 苦いかしょっぱいか】ではないかと思っていましたが、とにかく何もかもが不明です。  私はこの言葉を、いしいひさいち先生の作品『ののちゃん』で見ました。  いしい先生がお考えになった言葉なのでしょうか?  ご存知のお方がいらっしゃいましたら、どうかご教示頂けないでしょうか。  よろしくお願い致します。

  • 「涙で明日が見えません」って・・・

    なんかのパロディーとかで時折「涙で明日が見えません」って言葉が出てきますよね? あれの出典というか、元ネタは何なのでしょう? 友達に聞こうとも思いましたが確実にKY扱いされそうで・・・ ここで聞くのもKYかもしれませんが、検索しても出てこないのです!(TOT) 誰か教えてくださいm(_ _)mぺこり

  • 哲学の事で

    まだ高校3年なので、国語能力がないですし、専門用語も全くわからないので質問も幼稚になってしまうのは大目にみてください。質問が多すぎるので暇などある時に回答してくると幸いです。 1.あやふやなんですが、哲学は考えや思想とは違って、決めたテーマの根本的な理由の事だとどこかの本で読んだような気がしたんですけど、哲学は考えないと哲学になりませんよね?なので哲学が考えと違うといのはありえないと思うんですがどうでしょうか?? 2.ある人が言った言葉なんですが、水をテーマにして、「乾いた時代だったり乾いたシーンが多いけれど、そうゆうことではなくて、もっと潤った気持ちで人を愛したり、人に愛されたりする時代に、僕達は入らなければいけない」という事を言っていたんですが、これは哲学ですか? 3.哲学は理系と文系どっちに入るのでしょうか? 4.哲学はどこからが哲学なんでしょうか?例えば、神はいるのか?をテーマにして、「自分が見たことがないのでいない」というのも哲学なるんでしょうか? お願いします。

  • 哲学が 難しいのは何故ですか?

    通常は 易しく解き明かせないということ自体、その物事の解明はまだ「易しく解き明かす」までには順序良く整理されきってはいないという事を意味していると思います。 この通常の定義の通用しないような思索展開が、 真理とか美とか善とはとか、私たちが生きてるということの不思議さとかその因果とか、あるいは存在自体の因果の謎(?)とか、ではその中での価値とはとか、意味とはとか そういう言葉を使う私たちの言葉自体の可能性とか限界とか、 考えをどんどん深めていくにしても、なぜ哲学という思索の中では起こりえるのかが解かりません。 難しい言葉を使ったほうがより鮮明になる思索展開があったとして、その難しい言葉は、順序良く解かり易く説明できないということはありえないと思うのですが、どうなのでしょうか? もしかしたら 考えすぎて頭のこんがらがったままの人が作った難しい言葉で(概念でもいいです。概念という言葉なら中学生でも解かる概念ですからそれはこの難しい言葉の範疇ではないですからね)、 あるいはむずかしい概念で、さらに考えようとしてきたために、歴史的にだれにも分り易いところまで整理するのが大変な世界となってしまっているのが哲学という学問の世界なのでしょうか?

  • 死んだら無になる宗教や哲学について

    はじめまして。以前から宗教や哲学など、強く信じることのできるものに興味があり、本を読んだり、インターネットで色々と調べているのですが良く分からないため質問させて頂きます。 昔から生きづらいと感じることが多く、何か強く信じられるものが欲しいと思っていました。 しかし、宗教について調べても、基本的に死後幸せになるためのものが多いように思いました。 私は死んだら無になる と思っています。 自殺をした友人が数人います。 死後の世界があるなら、その世界では幸せなことしかないとは思えません。 どんなに楽しいことやうれしいことも、ずっと続けば、それが普通になってしまうような気がします。 天国で先に行った人と、楽しく過ごしているよ という言葉も、 その世界に他の人がいるなら、人と関わることは楽しいことだけではないと思ってしまいます。 辛くて、もう生きていられない と思うほど、生きて居られなかったほど辛い思いをした友人達に、死後にもまだ世界があると考えたくありません。 私はこれからも生きていかなければいけないんだと思っています。 そのために、何かただただ信じることのできるものが欲しいです。 宗教や哲学だと、何かに迷ったときもとにかくその通りにしていれば生きていけるのでは と思ってしまいます。 自分の考えや、まわりの人の考えだけだと、事あるたびに揺らいでしまいます。 なにかおすすめの宗教・哲学、ほかのものでも全く構いません。 お教えいただけると大変助かります。 どうぞ宜しくお願いいたします。

  • 哲学と言う学問について

    日本では、哲学とは学問のカテゴリーに過ぎず、科学や医学とは別の扱いをします。 そのため、このカテゴリーでも「哲学は役に立たない」と言う認識のコメントが多々見られます。 アメリカではすべての学問においての博士号は、Doctor of Philosophyです。 しかし、wikiではこのPhilosophyとは哲学を示しているのではなく、広く学術一般を意味していると書いています。この辺の説明も、日本的に哲学を馬鹿にしている姿勢が見受けられます。 私はこの説明に疑問を抱きます。 そもそも、哲学とは「広く学術一般を意味している学問」だったのではないでしょうか? 哲学の原点は疑問の答えを導く学問だと思います。特に、当時の学問では対処出来ないような疑問に向き合う学問であり、今で言えば宇宙科学や最新医療を研究している人たちと同じ事をしていました(社会的地位はその当時は必ずしも高くないが)。 だからこそ、アメリカでは科学者も医学者もDoctor of Philosophyなのだと思いますが、この考えは間違っていますか?

  • クリスチャンの方、教えてください

    前向きな悩みを持ちつつ頑張ろうとしている人に、メールで名言や格言を贈ろうと思い 「求めよ さらば与えられん」 と送ってしまいました そのすぐ後に、送った相手はクリスチャンで、私が送った言葉は聖書が元ネタであることを知りました 相手から指摘された訳ではありません。相手からはお礼のメールをいただきました クリスチャンでもない人間から、聖書から引用した言葉を贈られるのは不愉快でしょうか? 更に、他の宗教の経典からの引用も不愉快でしょうか? クリスチャンであることは尊重したいので、名言や格言は元ネタが何であるかを調べてから送った方がベターでしょうか?

  • 占いと哲学

    占いには、歴史や伝統的な側面、歴史上の要人が重要視していたり、統計学・地理などの学問に通じるもの、当たるも八卦当たらぬも八卦のように娯楽・気休めに至るまで多種多様ですが、哲学的には、どのような考えが出来るものなのでしょうか? 神と人との間の(神寄りか・人寄りか・ちょうど中間ぐらいなのか・または、他の位置か)どの範囲の位置づけが妥当な事象なのでしょうか?

  • 哲学の本を読んでもあまり釈然としない感じ(なんとなくでしか理解できない)

    1、使ってる言葉の活用が一般感覚と微妙にズレてる。 2、ニュアンスを伝えるのが下手な人が本を作ってる。現代の実社会などに例えるなどの具体例を多用すれば分かりやすいのに それを怠っている。 3、哲学者が主張してる内容そのものが幼稚でどうでもよくてファンタジー(無根拠)。 4、読者に読解力が無い 5、読者が哲学というものの定義を間違えている。読者は、哲学とはもっと普遍的で誰にも当てはまり、かつ深遠な洞察 だと思い込んでるが、実際は個人的(その哲学者だけの考え)なことを各々のたまってるだけなので、難しく考えようとしてる 読者には、あまりに簡単なことしか言ってなくてそのギャップのあまり逆に理解できない 因に自分は3、5だと思います