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フロイトの

Diogenesisの回答

  • Diogenesis
  • ベストアンサー率49% (859/1722)
回答No.3

期末の課題か何かでしょうか。 すでに参考になる回答が寄せられていますが,少しだけ補足を。 イドやら自我やら超自我やらといったものは 神経症の理解のためにフロイトが作り出した仮説的概念装置であって, これらを持ち出すことでどのような行動についても後知恵的解釈ができますし, もっともらしいストーリーを創作することも可能です。 (なので現代の心理学者はこのような説明を採用しません。) 超自我なるものは エディプス的葛藤を乗り越える過程で 親(的存在)との同一化&取り込みによって形成されるとフロイトは考えました。 超自我は道徳観,倫理観の源泉とされますが, 必ずしも「善良な」存在ではなく, 独善的な価値観を押しつけたり過度の禁欲を課したりすることで 自我をがんじがらめにしてその健全な機能を損なうこともあるのです。 たとえば 「若い男性がムラムラと沸き起こる性欲の捌け口を求め(エスのはたらき), 合コンで知り合った女性を口説いてデートを重ねます。 3回目のデートで暗黙の合意が成立して,いざベッドイン(自我のはたらき)。 ところが彼の身体は勃起不全を起こしてしまい,若い二人は気まずい朝を迎えました。 性的なものを嫌悪する過度に禁欲的な超自我が彼の性交の成功を邪魔したのです。」 なんていうストーリーが描けます。

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