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感謝の念

こんばんわ。 よく、「感謝の念を忘れないでいましょう」とか「感謝の念を大切に」と聞きます。 私自身も非常に大事だと思います。 しかし、最近改めて「なぜ大切なのか?」と聞かれると何でなんだろう?とわからなくなってしまいました。 感謝の念を忘れないことでどうなのか。 ちょっと疑問(謎)の壺にハマってしまっています。 どなたか知恵を貸してくだされば幸いです。。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.7

感謝の念に限らず、思いやりの気持ちとか、慈しむ気持ち、哀れむ気持ち、仏教でいう慈悲喜捨の気持ちというのは、拡がり続ける想いなんです。無量心ともいわれています。 逆説的に「怒りの念」も拡がっていく念ですが、必ず、敵をつくり反発を買うので、それ以上は拡がらないんです。 「欲望の念」は外に向かって拡がるどころか、うちに向かう念ですよね。 自分のほうに何かを引き寄せようとする念ですから、器の小さな人間になっていくんです。 利己的で「俺が、俺が」と自分のことしか考えられない人間になってしまうんです。 そうなると、<気の弱い人間>になってしまうんです。 ですから慈悲喜捨の気持ちを持つと、自分の気も大きくなるし、相手のためにもなるしで、自他をともに幸福にしてくれるんです。 また、おごり高ぶる気持ちも、「欲望」同様に自分を小さくしてしまう念なので、そういう不善な心が起きないようにするためにも、「ありがとうございます」という、謙虚な気持ちを保つことが必要なだと想います。

torinoparupa
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 返事が遅くなってしまい申し訳ありません。 とても勉強になりました。 >~慈悲喜捨の気持ちを持つと、自分の気も大きくなるし、相手のためにもなるしで、自他をともに幸福にしてくれるんです。 そうですね。 ぼんやりと考えていたことがぴったりと文章になったかのようです。 ご回答ありがとうございました!!

torinoparupa
質問者

補足

この補足の場を借りて、皆様にお礼を再度申し上げたいと思います。 ポイント差し上げられない方には、まことに申し訳ないのですが、今回非常に勉強になり、本当に皆様に感謝しています。 どうもありがとうございました!!!

その他の回答 (6)

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.6

こんにちは。 質問者さんは、きっと正直で優しい方なんですね。 私の考えは以下のようなものです。 我々は生きてゆくために、ありとあらゆるものの恩恵に預かっています。 両親や友人、収入源、電車や道路などの社会的インフラ、国や治安による権利の保障、エネルギー、食物連鎖、ごはん、自然環境など、これら全てのものが「感謝の対象」ですよね。 かたや、生きるということには様々な苦悩が付き纏います。こちらは「不満の対象」になります。 「感謝の対象」はその量が途轍もなく膨大であるのに対し、「不満の対象」というのは時々の一時的なもので、部分部分の限られたものでしかありません。ところが、我々は身の回りで当たり前のように存在する感謝の対象を忘れてしまい、ついつい目先の不満にばかり心を奪われてしまいます。 「感謝の対象」に比べたら、「不満の対象」なんてものはほんの僅かでしかありません。にも拘わらず、「感謝の念」を忘れてしまいますと、自分の周りはたちまち不満だらけになってしまいます。こんな生活、誰だって嫌ですよね。

参考URL:
  
torinoparupa
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 返事が遅くなってしまい申し訳ありません。 とても勉強になりました。 ご回答ありがとうございました!!

  • hisya
  • ベストアンサー率22% (65/285)
回答No.5

感謝の念があると幸せな気持ちになるからです。

torinoparupa
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 返事が遅くなってしまい申し訳ありません。 とても勉強になりました。 ご回答ありがとうございました!!

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

「感謝する」は、ある事象を自分にとって価値のあるものとして捉える、ということだと思います。 実際、そのもの自体があなたにとって価値あらん、と意図していなかったとしても。 あえて言ってみれば、万象が感謝の対象であっても不思議ではないのかもしれません。 「私」として生きているのは、遺伝子の継続が実行された結果であり、その継続を意図した男女がいたからであり、その彼らを生み出した者がさらに居り、それらの継続は、この世のあらゆる動くもの動かないもの、見えるもの見えないもののによって支えられているはずです。 その意味では、人間の浅知恵でその価値を推し量ることは危険なのかもしれません。 「自分にとって快いことのみに感謝しましょう」ということではなく、 『この世のあらゆることに感謝しましょう』という意味にとらえようとするのは陳腐すぎるでしょうか。 ひとつの視点として参考にしていただければ幸いです。

torinoparupa
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 返事が遅くなってしまい申し訳ありません。 とても勉強になりました。 >「自分にとって快いことのみに感謝しましょう」ということではなく、 『この世のあらゆることに感謝しましょう』という意味にとらえようとするのは陳腐すぎるでしょうか。 いえ、非常に納得いたしました。 ご回答ありがとうございました!!

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.3

torinoparupaさん、こんにちは。 「念」という文字は、「今の心」と書きます。 ですから、念とは今現在のその人(生命)の心の状態のことですね。 また、心は「エネルギー」でもありますし、「波動」でもあります。 また、心は送信器でもあり、受信器でもあります。 この広い宇宙の中で、一番大切な念は、「愛の念」です。 「愛」は人間や動物や植物などの生命が進化発展していくために不可欠なエネルギーです。 そして、人間や動物や植物などは、 「愛の念」を受信したり発信したりしている時に、 一番幸せだと感じます。 そのように設計されているのです! そこで本題ですが、 「感謝の念」は「愛の念」と同波長なのです。 本質的には同じもの、と考えていいのです。 ですから、「ありがとう」という感謝の念を乗せたことばは、 生命の進化発展を促しますから、 発信する方も受信する方も快いものを感じるのです。 ありがとうございました。(*^_^*)

torinoparupa
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 返事が遅くなってしまい申し訳ありません。 とても勉強になりました。 ご回答ありがとうございました!!

  • giornom
  • ベストアンサー率17% (13/74)
回答No.2

僕はよく、いろいろなことで不満を覚えます。 それは、今の境遇と、未来に自分がなりたい理想像とのギャップから怒るものが多いのですが、そんなとき、人のせいにしてしまいます。 そのほうが簡単だし、一時でもすっきりします。 でも、それだと、どんどん暗い思考になってきます。自分自身不快です。 他人に対する不満不平は、それが態度にもあらわれ、結局は自分に帰ってきます。 しかし、よく考えてみると、今まで自分が生きてこれたのは、他人がいたからで、絶対にひとりでは生きてこれなかった。 夢をもって努力できるのも、すべて他人のおかげです。 感謝すると、自分自身の精神がきれいになります。 それが、感謝の一番大事な効用だとおもいます。 ・・ちょっと答えになってないかもしれませんが・・・。

torinoparupa
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 返事が遅くなり申し訳ありません。 とても勉強になりました。 >感謝すると、自分自身の精神がきれいになります。 本当にそうですね。 ご回答ありがとうございました!!

  • hanzo2000
  • ベストアンサー率30% (552/1792)
回答No.1

感謝の念は、自己の相対化のために必要だと思います。 相互依存というか、合理的分業が発達していまの社会があるのだと思っていますので、 誰もが「他者に感謝される」ようなことを行わないと生きていけないわけです。 そのような現状において、自分の生命や行動に何か意味づけをしようと思うと、 やはり相互依存に目を向けないとならないと思います。 他者に感謝することは相互依存を認めることであり、 それは自分が他者に役立っていることを認める、あるいは求めることに繋がると思います。 それが感謝の必要性ではないでしょうか。

torinoparupa
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 返事が遅くなり申し訳ありません。 とても勉強になりました。 ご回答ありがとうございました!!

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