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水戸光圀
renyの回答
幕末に講談師の桃林亭東玉が「水戸黄門漫遊記」を創作してからポピュラーになったようです。「この印籠が目に入らぬかぁ!」「ははぁ~!」」というシーンはTBSのドラマだけ。 もともと水戸家は幕末に「勤王の大本山」とされた藩で、水戸光圀が編纂させた「大日本史(明治39年に完成)」は幕末の勤王志士の歴史観に大きな影響を与えていて、光圀は幕末・明治の読書人に身近な存在でした。光圀は、この「大日本史」に必要な資料を集めるために諸国に家臣を派遣しており、そうしたことも諸国漫遊話しの下地になっているようです。 また、光圀は徳川綱吉や柳沢吉保と時代を同じくし、「生類憐れみの令」に反して牛や羊を平気で食べ、将軍へもずけずけものを言ったため、庶民の受けも良く、名君とされる人です。 光圀自身は徳川家康の孫にあたります。当時の将軍の綱吉は家光の四男で家康の曾孫。神君家康を基準とすればより近い尊い血になります。 さらに、水戸家は水戸と言う江戸に近い地理の上、藩主は江戸定府が定められていましたので、徳川を名乗れる者の中では最も将軍に身近な存在でした。 上記の理由もあって、将軍親政を目指していた徳川綱吉に制度外から意見できる数少ない大名の一人でした。 尾張家・紀州家が将軍の血統が絶えたときに将軍を出す家柄である反面、幕政に関与できない立場にあったことと対比して、禄高が少なく、家格も一段低い水戸家を「副将軍」と位置付けたようです。副将軍と言う役職があったわけではありません(下馬将軍とかのような異名ですね)。 水戸光圀と言う人は、日本ではじめてラーメンや餃子を食べた人です。とても好奇心が強い人で、エピソードに事欠かないので調べてみると面白いですよ。^-^
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