• 締切済み

意識的にトリップしてしまいます

はじめまして。 私は小学校6年生の頃から、意識的に「“今”ってなんなんだろう?私ってなんで生きてるんだろう?」という疑問を持ち、神経を集中させた時に自分が現実から浮遊してしまうような(いわゆる“離人”的な感覚でしょうか)感覚に陥ることに気がつきました。 その最中は、見慣れたはずの風景が違って見え、自分が属している世界のものとは思えず、自分がそこで確かに生きていたという記憶はあるものの再びそこで生活することが考えられず、現実に戻ることに恐怖を覚えます。 一見怖い体験に思えますが、私はこの感覚が楽しくて暇な時(夜寝る前とか)にわざと意識的にこのトリップ状態を作っては「不思議だなあ」と軽い気持ちでいました。この状態は90%の確率で作り出すことが出来ます。 けれど、これって決して良いことではありませんよね?「離人」や「解離」という現象があるようですが、私のように意識的にこのようなトリップ状態を作り出すことができる人は多いのでしょうか?特にトラウマになるような経験も思い当たらないし、自分でも今まで深く考えていなかったのですが、つい最近のトリップ状態が今までよりも少し長かったんですね(いつもは30秒前後で今回は1分前後だと思います)。それで少し怖くなってしまいまして・・・。トリップしたまま戻れなくなるということも十分に考えられますよね。 ストレスとかが原因なのでしょうか。精神的にも何も異常がないし、他人は理解出来ないだろうなと思って特に人に相談したこともありません。表現は違っても皆こういう様な現象を経験しているんだろうとも思っているのですが。 どんな意見でも構いませんのでお待ちしています。

みんなの回答

  • hide104
  • ベストアンサー率30% (3/10)
回答No.5

あなたにピッタリの本を以前読んだことがあるのでご紹介します。 中古で9円からあるので是非お手にとって見てください。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140802235/250-8073376-9557023
kokoa-august
質問者

お礼

回答ありふがとうございます。哲学書みたいですね。題名だけは知っています。 一度読んでみます。

  • zentarooo
  • ベストアンサー率37% (64/169)
回答No.4

 体外離脱という現象でしょうか?    私自身、経験はないし、心理学のこともわからないのですが、『臨死体験』立花隆著 という本に、そのようなことが書いてあります。  本の主題は臨死の現象ですが、健康な人でも同じような感覚に陥ることができる機械があるそうです。長い本ですが23章後半から記述があります。    興味があれば読んで見られてはいかがでしょうか?単なるオカルトの本ではないです。

kokoa-august
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「体外離脱」ですか。。。私の場合、自分の体を外から眺めたり、自分の体から離れるという感覚は全くなく、むしろ自分が誰だか分からなくなるという感覚なんですね。「今まで、自分がそこで生きていたという記憶を持ちはしているものの、その実感がない」みたいな。 けれど、「臨死体験」一度ぜひ読んでみたいと思います。

  • 301007
  • ベストアンサー率22% (27/121)
回答No.3

kokoa-augustさん、はじめまして! 赤毛のアンって小説読まれたことがありますか? 思春期の夢見勝ちな少女が経験する「デイ・ドリーム」ってものではないかしら? 今から30年前の一般教養の心理学ではそんなふうに習いましたよ。 最近は、思春期の人の心の「健全な」「必要な」成長過程を昨今の様々な社会の歪を通して独断偏見してしまうイジメ、不当なレッテル貼り。又、自分自身、不必要に不安に陥る若者を思います。(大抵、イジメる子供は、その自然な発達段階の子供らしい未熟さを受容されていない鬱憤をいじめ・エネルギーとして出さないと彼自身やっていけないのでしょう) 最近の作家物でなく、昔からの名作というのを読んでると、若者の思春期の悩みが不健康なものでないことが分るのですが。。 読書でなく映像(テレビ、ビデオ)でのドラマの疑似体験は、自分の頭を使って想像したり思考する必要が異変少ないです。 判断、思考に頭を使わない分、神経が頭を使います。 又、犬猫のように言葉によらないコミュニケーションが小さいときほど沢山受けるはずですが、それが無い。いきなり、言語によるもので情緒が人として潤沢に育っていない人が自分の無いものを知って、言葉達者なものですから、羨むイジメ。。 こういうのを念頭において、「言葉」で貴女に病人レッテル貼ることで自分が受けた疎外感を晴らすターゲットにされないように。。 自分自身で追い込まず、「現実逃避」くらいが妥当な線に思えますが。 《解離》など精神病レベルでしたら、自分自身を分析したり、皆もそうだとおもうのですが、とシンパシー(共感)を持っていないと思います。 又、犬猫など動物を見てると、人間みたいに一通り食べて安らかに寝て、遊べれば、それ以上に幸せを求めないので不自然な無理もしないのを思います。 最近、人間でも平凡な一地球生物としての人としての幸せに満足できる人と、征服欲、競争心がその人の生き甲斐になってる人とに大別したら、後者はトラウマ人ではと思えるほど、ガツガツ(合法的にしろ地球上の資源?)略奪が切がない。 段々多くなってるのを思います。その状況が前者にはストレスになり、デイドリームで現実逃避の時間が必要なのではないかしら。 すべきことが目の前に歴然とあるのにしないでデイ・ドリームに浸ってるのは病気かもしれませんが、睡眠、息抜き時では、上手に気分転換してる集中力のある方と言えるのではないかしら。

kokoa-august
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 デイ・ドリームというものが私の体験しているものと同じものかは分かりませんが、非常に興味深く読ませていただきました。 赤毛のアン、一度読んでみます。

  • pinnhead
  • ベストアンサー率28% (16/56)
回答No.2

日本語ではそれを「空想」といいます そして何の根拠もない理論を作ってその気になってしまう事を「妄想」といいます 薬物でも使わない限り戻れなくなることはありません それにあなたの感じている状態はトリップですらありません 平たく言えば「ボーとしている」だけです 大人の現実逃避の習慣でなければ問題ないと思います かえって睡眠前にリラックスできていいかも どちらかと言うとトリップ云々よりも特別な能力のように思い込んでしまうことの方が危険だと思います それがエスカレートして神様になった人も多いです 気をつけましょう

kokoa-august
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たしかに、あの浮遊感覚を特別な能力であると思い込むことは危険ですね。その心配はないですが。

回答No.1

わりと多いと思いますよ。 恐らくそれをひどくしたのが、多重人格なんだと思われます

kokoa-august
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。多重人格も意識的に作りだすものですよね。やはり解離の一種なのでしょうね。

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