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ロジャース流カウンセリングを批判する人物はいないのか
私はカウンセリング(カウンセラー)に興味がある素人です。いろいろ本を読んでみたのですが、日本のカウンセリングはロジャースという人の考えに基づくやり方が主流のようですね。患者に対してお説教やら提案やらの具体的な介入をせず、ただ患者の言う事に素直に耳を傾けて、全てを肯定し共感してあげるという治療の仕方、つまり基本的には何もしないというやり方ですね。 「カウンセリングなどまったく役に立たない」「カネと時間の無駄だった」「治るどころかますます悪化した」という患者の意見をよく聞くのも、ロジャース流のやり方に問題と限界があることの証明といえるのではないでしょうか。 そこで質問です。このように日本を(世界を?)席巻するロジャース流の治療法に反対をしたり批判的であったりする勢力や人物またはその著作やサイトはありますでしょうか。今のところ、私一人しか(笑)知らないのですが。
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- kigurumi
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http://epstmlgy.ddo.jp/psycho_therapy4.html 傾聴・共感が一番大事? それはロジャーズの考えではないようですね。 いつでしたっけ? 「チャットして説教された。」って人とネットで話をしたことあります。 聞いていて「あの・・・あなた死にたいって言ったんじゃないですか?」って聞くと「はい 言いました だって死にたいから」って。 「だからですよ 相手は説教したんじゃなくて 怒ったんです」って解説してさしあげたら「やっとわかった どうして相手の人は教えてくれなかったんだろう。 ああ、相手の人に謝りたいがチャットだからもう会えない。どうしたらいいでしょうか」って。 傾聴でも共感でもないが、その人は一応前進したみたい。 他にもネットで自称鬱の人と喧嘩したりしました、、告白。 「それのどこがうつ病なんだよ あんたみたいに私より元気な奴が鬱なら、わたしゃ 一体どーなるんだよ」ってやりあって相手を泣かしたこともあります。。。 その人、誰が話しかけても返事しなくって、いろんな親切な人が賢明に話しかけて「話してごらんなさい」って30人くらい話を聞くって人が現れたけど、一切無視していました。 それで、よっこらせって私が腰をあげて「おらおらおら~」って煽ったら、まさかの「釣れた!」 そのあと、ガンガン書いたら、ガシガシ返事が帰ってきて本音聞けました。 その心理を私なりに細かく解説した文書を返事として書き込みました。 そしたら、「でも だって」って返信があったので、さらに 「それでいいんだよ ボケ 何様のつもりなんだよ」って書いて、さらに相手の本音を書かせて「うら! すっきりしただろ!」ってやりあって、一応決着つけました。 その後 悩みはつきないけど、まあ ちゃんと人の呼びかけに返事する回数増えましたわ。 この件に関しては、私は親切じゃない→罵倒できるって認識を相手がしたため、本音を書くことが容易になったんだと思います。 だって ボケカスって言う相手(私)に容赦いらないから。 親切な人が相手だと言いづらいってありますもんねぇ・・・。 現実 すっごく重度のうつ病の人知ってます。 失語症っぽくなって、一切反応なし。 どうしているかっていと、、、、見るに見かねてそばで腰ふって踊っています。 その人 笑いません・・・ ガックー! でも、薬が効いて状態がいいとき「あなたあの時 踊っていたわね。恥ずかしくないの?」とか笑われて、うつ病・無反応・失語時でもちゃんと認識はできているんだなぁ・・・とか思ったりします。 相手が話したくないのなら、話させる必要はないって思います。 横で踊って馬鹿やっていていいって思います。 私がウザかったら立ち去るでしょうし。 握っていた手をふりほどくでしょうし。 なお わたしはこの種の職業じゃないので無償です。腰振りダンスも無償。 逆に言うと、結果を出さないといけないからって、相手に聞くから話せって向き合うその姿勢、怖いって思う人もいるんじゃないかと。 だって話をする力も無いのに、話せって言っても無理ですもん。 混乱して何を話していいのかわからないのに、相手がじーっとみつめてきたら 私なら嫌だな。 わがまま病で「金払っているからオレがほーと関心するようなアドバイスしやがれ」って人も、商売だから相手にしなきゃならない立場じゃないので、自分なりの慰め方(時には罵倒?(苦笑)ができちゃうだと思う。 いつだったか「傷つきました 死にます」って言う人もいたけど「はいはい、頑張ってください」って返事書いたら、「普通はゴメンなさいだろう ゴラー」って、、、ねぇ・・・ バトル再燃 笑。 死にますって言う人と1月くらいバトルしている人もいましたっけ。 最初はすごい無口で、無反応だった一見失語症っぽい人が、1月間のバトル後、すごい多弁で自分の考えかけるようになっていました。 感情の復活ってやつでしょうか。ぎゃーぎゃー吼えていました。 最後にはバトルしていた人が「それでいいんだよ!」って。 パチパチパチパチ。 お見事。 文化庁長官の河合さんの本を読んだことありますが、ロジャースとは違うみたい。 うん うん ほーほー しか言わない派みたい。 河合さんに習えってなっているので、民間のカウンセリング協会は彼のやり方を笠にした方が、権威づけられるって考えなのかも。 資格化の検討もあるので、彼のやり方じゃないと、後々やばいことになるって考えもあるのかも。 今ざーっと反ロジャース派探しましたけど、無いです。 河合さんが教祖となり、カウンセリング業界は成り立っているみたい。 何がいいんでしょうね。。。 人によって励ましてもらうことで活気づく人もいれば、芸能人のコンサートのチケットをもらったことで、寝床から抜け出せる人もいれば、好きな人から励ましの電話をもらったことで、元気になる人もいれば、しばらく休んでいいよ 元気になるまでちゃんと席は空けておくから って言われてやっと休暇願いを出せる人もいれば、、、、ねぇ。。。 人によって違ってあたり前なのに、同じやり方しかしないって、それってどうよ?って私も思います。
- lui
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私も素人なので、統計的な裏づけはないのですが、クライアント中心療法が日本に浸透したのは、そんなに昔のことではないと思います。日本のカウンセリング自体、歴史が浅いし、クライアント中心療法が主流になってきたのはここ十年くらいではないでしょうか。 悩みを抱える人の中には、ただ誰かに悩みを聞いて欲しいだけで、実は自分以外の誰かから何らかの結論を得ることを望んではいない人がいます。 誰でも人間は、他人に押しつけられた結論に従うより、自分の出した結論に従う方が好きです。そして、その方たちは、自分の内に結論に近いものができているのに、自信が持てないか、その結論に対する責任を負いたがらないだけのことが多いのです。 ですから、このような方たちにカウンセラーが 「あなたの問題を解決するために、こうしたらどうでしょうか」と、本人のベクトルと違う解決策を提案しても、 「でもそれをするには・・・」とか 「そうしたいのはやまやまなんだけど、実は・・・」とか言い出して、受け入れません。 また、相談者がカウンセラーの提案を受け入れたとして、それが上手くいってもいかなかくても、問題が生じます。 上手くいけばいいのですが、相談者が自分の問題を自分で解決できたことにはなりません。人に判断を委ねていると、もっと大きな問題が起きた時、また対処できなくなるかもしれません。 極端な例ですが、子供の頃から母親が何でも仕切ってあげていたため、メニューを渡されても自分で何を食べたいか決めることができない大人になってしまった例もあります。カウンセラーは相談者が自己解決できるようにお手伝いするのですから、過保護な母親になってはいけないのだと思います。 また、上手くいかなかったら、相談者は、自分が上手くいくよう全然努力していなくても、 「上手くいかなかったのは、私のせいじゃない。だって○○さんがこうしろって勧めたからだ」 と責任転嫁してしまうのです。これではいつまでも問題が解決しませんし、そのせいで逆恨みされたという話も実際あります。 相談者が抱える問題の多くは、自分の内面に根ざしていることが多いので、他からの強制でなく、本人が自分の問題を自己発見し、自分が変わるにはどうすればいいのか自分で結論を出さない限り、解決しません。 また、何かに失敗した場合でも、自分で出した結論で失敗する方が、他者に強制された結論による失敗より後悔が少なく、諦めもつくし、再起も早いといいます。 そういう点で、カウンセリングには、自分で「気づき」、最終的に自分で結論を出させることを目的とするロジャーズの手法が取り入れられることが多いので、カウンセリングが全く無意味というわけではないと思います。 ただ、私もクライアント中心療法に限界を感じたことはあります。 この手法は、自己中心的かつ自己肯定の意識が強い人には通用しにくいと思います。 この先、十人一律の手法でなく、クライアント側の性格や思考傾向に合わせたカウンセリングが必要になってくるのかもしれませんね。
お礼
どうもありがとうございました。 いろいろと考えさせられました。
一般にカウンセリングは何もしないのではなく、傾聴し相手に共感することから始まると認識しています。 それがロジャースという人が始めたとは知りませんでした。勉強不足でした。 回答でなく失礼しました。
お礼
どうもありがとうございました
お礼
どうもありがとうございました。 共感するところが多く、参考になりました。