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 バイリンガルのみなさん,言語によって,思考は変わりますか?

 言語について勉強している大学1年の者です. 授業で,その人の母語によって,思考に違いがでてくる,という話がでてきました. Sapir-WhorfHypothesis ですね.   私は英語は習ってきているのですがまだまだネイティブスピーカーの感覚は分かりません。 日本語だけしか分からないでは,この仮説がよくわかりません.  歌手のソニンさんは,韓国語だとかわいらしくなる気がして,日本語だと表現の仕方が繊細になる,と仰っていました.  それから,授業では,絵を見せられた時,日本人は「犬がいる,」とか,「人がいる,」とか,その数を明示しないのに対し,英語では言語の特性上必ずその数を明示する,という違いについても触れられました。  特に,どんな言語でも,二ヶ国語以上,言語を使いこなせる方にお尋ねしたいのですが,話す言語によってもののとらえ方や,感覚や,また気分や自分の性格に変化があったりするのでしょうか. テーマが大きくなってしまうのですが,どんな事でも教えていただけたら幸いです。 よろしくお願いします。

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  • Damayanti
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回答No.7

日本語と韓国語のバイリンガルです。 どちらが母語?と言われると困ってしまいます。 "普段夢はどちらで?"、"考えるのはどっち?"と聞かれても困ってしまいます。 ちなみに、韓国語を話すときと、日本語を話すときでは、性格、振る舞い、声も変わります。 よく別人だ!!と言われますが、自分は二重人格のつもりはないですね。 言語を取り巻く文化はそれぞれ異なります。 日本語で"牛"と言って思い浮かべるものと、 ヒンズー語で、"牛"と言って思い浮かべるものは全く意味合いが違うと思います。 その違いを意識せずせず理解できるのが、バイリンガルであると。言語がしゃべれるだけで、バイリンガルとは言わないと思います。 私の場合おそらく、日本語に囲まれて育った環境と、 韓国語に囲まれて育った環境の差から、 言語をしゃべる際の私の性格の違いは出るのだと思います。 思考の段階で、まだ言語にたどり着いていない段階がありますね。考えたことがまだ言葉になっていない状態です。 バイリンガルでない方は、 思考-母語-外国語 となり、 外国語をしゃべるときも、母語が持っている文化で成り立つのかもしれません。。 私の場合は、母語が二つありますので、 それぞれの母語をしゃべる際に、母語が持っている文化から性格が持ち込まれている気がします。 漠然としてしまいましたが、更にご質問があればどうぞ。

ikuna
質問者

お礼

  ご回答、ありがとうございました!      すごいですねー、どちらが母語かと言われて困るとは、本当に偏りなくそれぞれの言語を捉えることができるわけですね。 「母語が持っている文化から性格が持ち込まれている気がする」 ですか、なるほど。   確かに私は阜で生まれたわけですが、もし東京で生まれていたなら言葉も違って、性格も違っていたのだろうなあ、というふうに思います。 二通りの自分が同居している感じなんでしょうか、私自身も、知り合った友達と打ち解け、方言で話せるようになってくると、自分がもっと出せるようになってくるような気がします。     わかりやすかったです、どうもありがとうございました!

その他の回答 (13)

  • get2moon
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回答No.14

こんにちは。 既に多くのご返事を頂いているようですが、 私個人の経験を書きます。 私は大人になってから 台湾に留学しました。 その後アメリカ人と結婚して アメリカに 二十年以上住んでいます。 在米の中国人と中国語や英語で話すことが多いです。 中国に住んでいる中国人よりもアメリカナイズされている方もいれば 何年アメリカに住んでいても 変わらない方もいます。 元々の性格の違いだと思います。 言語によっての物の捉え方が変わるというより, 経験や接する文化が考え方に影響するのだと思います。視野が広くなると言う事もありますね。 アメリカで生まれ育って 英語しか話さなくても 私の子供達は一般のアメリカ人より東洋的な考え方をしています。 日本人の母親の影響が出ているわけです。 日本語の曖昧さは 一般的には 中国語や英語では通用しません。 それでも アメリカ人にも中国人にも”曖昧な話し方”をする人がいます。 アメリカのコメディー番組は 曖昧な会話が誤解を生んで・・・というエピソードがあります。 アメリカ人の友人が日本に行った時 日本人の高校生ぐらいの男の子に 英語で罵言(F-word)を中指を立てて言われたそうです。 多分 その子はアメリカでそれがどれほど悪い言葉か理解できていないのだと思います。 映画で使われているから 格好よい・クールだと思い込んでいるのでしょう。 外国語だからどれほど 汚い言葉であっても 簡単に口にできるということが往々にしてあります。 これは 性格や気分に変化があったというのではなく 単に 無知だからだと思います。    

ikuna
質問者

お礼

 ご回答、ありがとうございました。色々な例、とても参考になりました。  「アメリカで生まれ育って 英語しか話さなくても 私の子供達は一般のアメリカ人より東洋的な考え方」という事はやはりあるんですね、遺伝や、また母親のget2moonさんと接する中で日本の文化について触れている事になるのでしょうか。とても興味深い事です。  「アメリカ人にも中国人にも”曖昧な話し方”をする人がいます」というのは、ちょっと意外でした、かと言って日本人以外の人はみんな曖昧な表現などしない、などと思っていた訳ではないのですが、やっぱりその人の性格なんだなと改めて思いました。  なんか妙に安心した(?)ような気もしましたが、でも「日本語の曖昧さは 一般的には 中国語や英語では通用しません」という事なんですよね(笑)、やはり日本語は曖昧な表現好きな日本人の為に色々整っている訳ですね(笑)。  それから母国語以外の言語を話すときは、その言葉の意味や重さを知らないと本当に大変な事になるということですね。その重さを知らないからつい言ってしまった、なんて事は取り返しがつきませんよね。  別の問題ですが、不用意に海外で日本語を発すると、現地のとんでもない言葉に似てる、という事もありそうですよね。いずれにせよ、言葉を学ぶという事にはその意味をよく知る事と、文化を学ぶ事が大切なんですね。  ありがとうございました!  

回答No.13

さて、ご質問に関してですが 私は「人格が二つある」というよりは「それぞれの言語をそれぞれ異なった文化の思考回路を使う様に話す事によって、より合理的に意思疎通を計る」 という感じです。

ikuna
質問者

お礼

無礼な文面のまま投稿してしまい、大変失礼いたしました。以後気をつけます。ご回答頂きましてありがとうございました。

  • Misje
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回答No.12

こんにちは。 #6です。 仕事で家を空けていた為、補足の回答が遅くなってしまいました・・・ごめんなさいxxx >ちょっと疑問に思うのは、それはやはり話す相手が旦那様で、オランダ人であり、オランダ語を話すからでしょうか。 いいえ、話す相手が夫以外のオランダ人でも同じ感覚です。 オランダ語を話す時はオランダ的感覚、英語の時はイギリス的(イギリスで英語を勉強したので)感覚(同じ英語でも、イギリス・アメリカ・カナダ・オーストラリアなど、国によって感覚も異なってくると思います)に、自動的になります。  あ・・・でも、そういう風に、感覚が自動的に切り替わるようになったのは、どちらも十分に話せるようになってから(どちらも、英検で1級程度に相応する資格を持っています)です。 習い始めた頃は、まだ日本語を訳しているような感じでした。 >旦那様に日本語で話す事はありますか? その場合は、まるっきり変わるという事はなくとも、多少日本人的な発想になったりするわけでしょうか。 夫は日本語は話しません。  オランダ人の友人に、大学で日本語を学び、日本人と結婚した人がいますが、そういわれてみれば彼も、オランダ語を話す時と日本語を話す時とでは別人のようです。 面白いくらいに日本人的になってます!  >あまりありえない事かもしれませんが、オランダ語に堪能な日本人とオランダ語で話す場合はどうなるのでしょうか、場所が日本だったら、どんな感じなんでしょうか。 日本人の同僚にオランダ語ができる人が他にも何人かいますが、彼女と話す時にオランダ語(あるいは英語)を使うのは、他にオランダ語(あるいは英語)しかわからない(=日本語は話せない)人が加わっている場合だけですので、場所が日本でも、オランダ語を話している時はオランダの感覚になります。 彼女と二人きりの時には、日本でなくても、日本人同士ですから、やっぱり日本語で話します。 >お子様の例は本当に面白いですね、二つの言語を同時に習い始めた人の成長過程を見る事はすごくいい研究になるような気がします。 やはり、オランダ語で話してる時は元気で活発な感じなんでしょうか? でももしかしたらそれも聞き手の印象だけなのかもしれないとすると、難しいですね・・。やはり、お友達もオランダ人でしょうから、環境からして気質的にはオランダ人と言えるのしょうか、日本語が話せる、バイリンガルなオランダ人、と言えるのでしょうか? 子供達は、オランダ人の友達や夫の家族からは「日本語も話せるバイリンガルなオランダ人」、日本の家族からは「オランダ語も話せるバイリンガルな日本人」と見られています。 どちらの言葉も、現地人同様に話しています。 子供達は後々学校で英語・ドイツ語・フランス語も習い始め、(夫が実はオランダ人とギリシャ人のハーフなので)ギリシャ語も勉強すると思うので、将来は恐らく少なくとも6ヶ国語話せるようになるでしょう。 見ていて、本当にすごくいい研究(?)になってます。 子供達曰く「日本語はオランダ語より簡単」だそうですヨ。 それから、子供達を見ていて知ったのは、アルファベットが同じだと他の言葉を学ぶのが速い! 英語は学校ではまだ習っていないのに、プレイステーションのゲームソフトに英語が出てくると、スラスラと読めてしまう(しかも読むテンポも速い!!)し、意味も大体察することができてしまうのです。 (確かに、外国語が全部ひらがな・カタカナで書かれていたら、読むのも簡単ですよね~) こんな感じの回答でよかったでしょうか・・・お待たせしてすみませんでしたxxx

ikuna
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。  貴重な体験例をいくつも教えて頂き、ありがとうございました。Misjeさんも十分にすばらしい語学力でしょうに、お子様の方はさらに恐ろしいまでのものですね・・。いいなあ、なんて羨ましがるのは(では勉強しろ、という事なので)真っ当ではないかもしれませんが、おそらくあまり苦労なく覚えていかれるのでしょうね。やっぱりいいなあ(笑)。  ありがとうございました。

  • G-san
  • ベストアンサー率13% (9/68)
回答No.11

ネイティブのバイリンガルです。 >言語によって,思考は変わりますか? ネイティブスピーカーの感覚が日本人と異なる理由として、まず文化の違いが根底にある事が挙げられます。モノに対する価値観、感情、認識などは言語より低い思想レベルで理解されており、その上に位置するコミュニケーションの道具とも言われる言語が全てを表す訳ではありません。従い、言語には必ずその文化的要素がペアとして存在するのです。つまり、本当の意味でのバイリンガルの人は、単純に単語・文法での知識を有しているのではなく、バイカルチュラルの常識を習得しているのです。 だから、英語で話すと言うより、相手が米人なら、米国の価値観と習慣にマッチする表現を自然に使います。つまり、簡単に言うと、相手の言語、文化、常識、ユーモアのセンス等に自動的、且つ無意識に合わせてしまうのです。 日本人と米人が一緒の場合、全員がバイリンガルだととても面白いのですが、大体このような場合英語で会話することになります(米人の方が一般的に日本語の知識がないため)。そうなれば、全くの米人ネイティブの感覚になりますが、それって別に意識するものではありません。ある意味では二重人格でもありながらその違いにはあまり気がつきません。なぜならば頭の中で英語を理解する「場所」と日本語を理解する「場所」が別にあるからです。これはバイリンガルではない人にうまく説明できません。 最後に、会話のあり方ですが、ネイティブは単語を並べてしゃべっているわけではなく、複数のフレーズをつなげて会話するような感覚です。言いたいことはフレーズレベルで表現するのです。 又、もう少しきちんと調べたいのなら、先ず二言語使用者のタイプが3種類あり、等位型、複合型、さらに従属型があるので、それぞれの違いを先ず把握するのが肝要かと。 これでいいかな?

ikuna
質問者

お礼

   ご回答、ありがとうございました!  頭の中で英語を理解する場所と日本語を理解する場所が別にある、という事は、やはりどちらも自分でありながら、二人の自分がいるような感じなのでしょうか。   そういえば、こんな例に近いのでしょうか、友達でも、ものすごく元気な友達の中ではそれに合わせて、おとなしい感じの友達の中ではそんなふうに合わせる、という。 別に演技とかではなく、どちらも本当の自分の一面なんだけど、違う自分がいるような気もします。 その時は話し方ばかりか、行動や意見にもなんか違いがでてくるような気もします。 人格が二つあるような、そんな感じに近いような気もします。  面白いことに気が付きました。 ありがとうございました!

回答No.10

Gです。 補足を読ませてもらいました。 >こういった場合はどうでしょう、同じ場で、日本人とアメリカ人の友人がいて、それぞれに話すときに日本語と、英語を使いわけている場合、違和感というか、何か言語が変わる度に脳内や気持ちに変わりとかはありませんか? 敬語が入らない場合(私にとって苦手ともいえるTPOでなければ)私の性格が素直に出てくると思いますよ。 つまり、その友達との間で判断されるTPOでは、この場合自分を素直に出せるTPOと言う事ですが、言語が変わっても日本的な雰囲気にはならないと思います。 しかし相手が日本人の友達であればその人とのTPOで変わると思います。 つまり、アメリカ人の友達としばらく花していてその後別な場所で日本人の友達と話すと言う状況であれば当然のごとくまた自然に無意識に変わっているでしょう。 また、友達ではなく、例えば両方とも気難しいお客さんであれば、それなりに言葉遣いや態度も変わってくるでしょうね。 意識的か無意識的かはその相手との間柄でも変わると思います。 こちらの気難しいお客さんが最初でその後アメリカ人であればかなり無為指摘に変わると思いますが、その逆はかなり意識的に敬語も間違わないように私の知っている限りのTPOに合うように話すと思います。 また、日本人のお客さんでも気さくな話しやすい人であれば敬語への意識も少なくなってしまうでしょうし、ここに住んでいるのは永いと分かっている人には「甘え」がでるかもしれません。 TPOとは文化、状況、間柄、そしてお互いの性格、などすべてが関わっていると言う意味です。 特に私の場合は敬語と言う日本語への劣等感を持っていますので、素直に自分を出すように勤めています。 つまり、私のイメージよりも私自身を見てもらいたいという自分勝手な期待があるのでしょう。 また、今の日本は昔と違い文化と言ってもまとまったものがなくなっているように思います。 このサイトでも丁寧に書く人とギャル文字やかなり砕けた表現をする人もいます。 また、面と向かっては言えない事でも匿名と言う蓑を被って悪い性格を丸出しにしている人もいますね。 言葉遣いを重要視する人としない人がいますね。 私みたいに敬語の使い方も知らないと言う日本人もいるということを聞いていますし、言葉と言うものへの文化そのものが変わってきていていわゆる千差万別がまかり通る時代になってきたと思います。 つまり基準と言うものが薄れてきていると言う事かもしれませんし、また、それがアメリカのように文化的規則やルールを嫌う社会へ突入しているかもしれません。 >それから、もし日記を書く場合、それはやはり日本語ですか? もしそうだとしたら、それは日本語の方が英語より馴染んでいる、という事でしょうか、もし日記を英語で書くとしたら、どんな感じになりますか? 同じように気持ちを表現する事はできますか?  私は日記を書きませんが、仕事でのジャーナルはコミュニケーションの必要性からすべて英語です。 全く個人的な日記でしたら、敬語も要らないしそのときの気分で日本語でちょこっと書くかもしれませんね。 漢字が分かる人も私の周りにいますので秘密性を高めるためにもひらがなで書いたり私の筆記体は誰も読めませんがそれで書くかもしれません。 <g> 全くの秘密の日記であればそれは自分と言う出来上がったものの表現ですので、学校での英作文と違い、自由自在にどちらの言語でも書くことになるのではないでしょうか。 しかし、それを読む人が自分でなければ、今度は読む人のその人個人を取り巻く文化を基にして私を判断する事でしょうね。 そしてそれが「日本人だから」「アメリカ人だから」と言ってその人の批評・判断は他の人と一貫性は持たないと思います。 学校時代優等生であったり、両親の立場から言葉遣いが横柄な人は住職してから言葉遣いで苦労する人もいると思います。 新しい社会でTPOの変化を感じ取る事の出来ない人は今までどおりの言葉遣いや感情むき出しの自分勝手な表現をすれば早速首になると言う事も充分考えられますね。 また、それを直す事が出来ずに結果的に精神病患者じゃないかと思われる人もでてくると思います。 と言う事で「文化」と言うとどうも一つの基準があるように聞こえますし、人それぞれに違う文化に浸っていると思いますし、言葉遣いが自分のものになっているかどうかでも(新米と玄人の違いなど)変わってくると思いますのであえて自分が判断するTPOという物が言葉遣いを影響し、また、意識的にするのか無意識的に自然に自分の言葉遣いを変化させる事が出来るかどうかで変わって来てそれが「思考の変化」ではないと私は書かせてもらったのです。 全くの個人主張の回答でした。

ikuna
質問者

お礼

 ご回答、ありがとうございました!  TPOとはものすごく広いですね。 私自身、日本語において、様々なTPOに合わせて話し方が変わっていて、それと同じような事だ、ということでしょうか。   やはり英語に関していえば、まだ私の中には自分のものにできていないという、壁があるのでなかなかそのよう捉えることはできないのですが。  Ganbatteruyoさんはとてもボーダレスな考え方ができる方ですね。 ご回答ありがとうございました!  

noname#61064
noname#61064
回答No.9

No8です。補足について: 中国語は低音から急に高音になったりして、早口で確かに忙しいですね。せっかちというより、頭の回転が速い人が多い気がします。映画で字幕をよく見ると分かるかと思いますが、例えば英語や中国語で1シーンに話せる言葉と日本語のそれとでは、量が違うので、同じ3分スピーチでも、英語の方が内容が濃かったりするのかなと思います。海外生活の後、久しぶりに日本に帰ると「あれ、こんなに日本語ってゆっくりだったかな?」と感じます。 あと、個人的に思うのはイタリア語は「やったぁ!」というように語尾が上がるので、楽しそうな気がします。人も明るい人が多いです。どんな言語でも楽しい時や悲しい時の抑揚って似てる気がします・・・言葉が分からなくても抑揚で、あ、怒ってるとか困ってるとか分かりますねー。

ikuna
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました!  中国語はせっかちというより、個人的にも中国の人って頭の回転が速いような気がしていたのですが、それを言うと他の国の方に失礼なような気がして述べなかったのですが、やはりそのような印象はありますよね。  「日本人は真面目だ」というのと同じように、一概に言えないという事はわかりますが、やはりあれだけ様々な音を判別し、喋り分けているという事は、言語能力はかなり高いのではないかと思えます。  イタリア語はNHKで見る程度ですが、そういう印象を私も受けました。 語尾上がるんですよねー。 話し方も、やはり情熱的というか、感情をすごく出してる感じがします。  やはりそういう民族だからそのような言葉になったのですかね、そういう言葉がなおそういう民族性を保っているような気もしますし。  ご回答、ありがとうございました!

noname#61064
noname#61064
回答No.8

面白い説ですね。協力したくなりました。日本語と英語が話せます。 日本語の場合、これを言ったら相手が傷つくかもとか、どう思うかとかあれこれ考えてしまって、口数が少なくなってしまうのですが、 英語の場合、自分の考えをそのまま言ったほうが話がはずむので、すごくおしゃべりになります。あと英語を覚えるときに、周りの人がどうしゃべっているかを観察していたせいか、英語を話すときはネイティブの人のように大げさな身振り手振り、声も大きくなります。日本語のようにあれこれ余計なことを考えなくてすむので、話の最中にいろんなアイデアが浮かびやすい気がします。 他の言語も少しだけ勉強中です。まだ話せる段階ではないですが、習い始めは言葉が音楽のように感じます。私の中では日本語は高音でゆっくり、英語は低音で早いイメージです。楽しい音楽を聴くと楽しくなったり、クラシックを聞くと落ち着いてきたりするように、そういうリズムも思考に関係あるのかなと思いますが・・・どうでしょう?

ikuna
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました!    やはり、その言語の文化に自然に合わせている、というか、言語を学びながら文化を学んでいるわけですから、その文化に従っているという事は自然な事なのでしょうね。    

ikuna
質問者

補足

 言語が持つ音の印象については、例えば、中国語は全く分からないのですが、一つ一つ音が切れていて、次から次へと文字を発音していくわけですから聞いていてすごく忙しく、せっかちな印象を受けますが、どうなんでしょうか。 ジャッキ-・チェンの映画とか、内容が慌しくせっかちだからかもしれませんが、みんなすごくせっかちに話し、ものすごい勢いで言葉が飛び交っているような印象を受けます。 それで実際、やはりせっかちな人が多いのでしょうか? 一概には言えないですかね・・。

  • Misje
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回答No.6

こんにちは。 ヨーロッパ在住13年目になります。 夫はオランダ人です。 夫とはオランダ語、子供達とは日本語、仕事で英語(イギリス英語)を使っています。 「話す言語によってもののとらえ方や,感覚や,また気分や自分の性格に変化があったりするのか」なんて、今まで考えたことがなかったことだったので、この機会によくよく考えてみました。  (とても面白い質問だと思います!) 私の場合は、オランダ語を話す時はオランダ人的(言いたいことをかなりダイレクトに伝える)になり、日本語の時は普通(=日本に住んでいた頃の自分と同じ感覚)で、英語を話す時は丁寧語になる(=なぜかWouldとかCouldを使って丁寧に話そうとしてしまう)傾向があります。 オランダ語や英語を話している時は、いつもの自分とは違います。 言葉遣いや考え方も、その言語を使っている国の文化に、自然に合わせようとするようです。 子供達は、オランダ語と日本語を話しますが(本物のバイリンガルで、日本語も完璧に話し、オランダ語も私よりもずっと上手です・・・羨ましい限りです。)、聞いていると、やはり、日本語を話している時は日本人的なのに、オランダ語になるとまるでオランダ人のような言い方(日本語よりもダイレクト=あまり丁寧な言い方ではない)で、オランダ人の様な意見を言っています。(=相手が傷つこうが構わず正直に自分の意見を述べる。) 「話す言葉によってもののとらえ方や、感覚や、また気分や自分の性格に変化があったりする」のだと思います。 面白いですね!!

ikuna
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました!  「言葉遣いや考え方も、その国の文化に、自然に合わせようとする、」ですか、なるほど、自然にそうなるものなんですね、とても参考になりました。

ikuna
質問者

補足

ちょっと疑問に思うのは、それはやはり話す相手が旦那様で、オランダ人であり、オランダ語を話すからでしょうか。旦那様に日本語で話す事はありますか? その場合は、まるっきり変わるという事はなくとも、多少日本人的な発想になったりするわけでしょうか。 それから、あまりありえない事かもしれませんが、オランダ語に堪能な日本人とオランダ語で話す場合はどうなるのでしょうか、場所が日本だったら、どんな感じなんでしょうか。  お子様の例は本当に面白いですね、二つの言語を同時に習い始めた人の成長過程を見る事はすごくいい研究になるような気がします。 やはり、オランダ語で話してる時は元気で活発な感じなんでしょうか? でももしかしたらそれも聞き手の印象だけなのかもしれないとすると、難しいですね・・。 やはり、お友達もオランダ人でしょうから、環境からして気質的にはオランダ人と言えるのしょうか、日本語が話せる、バイリンガルなオランダ人、と言えるのでしょうか?

回答No.5

アメリカに37年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 こう考えてみたらいかがでしょうか。Sapir-WhorfHypothesisがあくまでもhypothesisである事がお分かりになると思います。 言葉を論じるときに多くの人は言語によってその背景となる言語文化が表現を変えると言います。 しかし、本当でしょうか。 丁度アメリカン人は~だ、日本人は~だ、と断言できる湖とは非常に少ないことと似ていると思います。 私は言語(外国語・方言)が変わるからではなく「その言葉を使いこなすにはその社会の言語的ルール、すなわちTPOに適した表現を求める事で言葉による表現が意思の表現としてとらえられる事を実感として感じそれに合う様に表現する」と言う事だと思います。 すなわち、言語そのものではなく、その社会での表現の仕方が自然に変わると言う事が使いこなせると言う事なんですね。 だから、言語が変わらなくても、また、標準語であろうと方言であろうと、その言葉が使われる社会でのTPOによっても表現の仕方も変わる、と言う事なわけです。 標準語でも友達と「砕ける事の出来る」TPOでは「素直」とも言える表現方法が使われるだろうし、新米営業マンは顧客との会話がぎこちなくなるだろうし、プロの営業マンであれば「素直に営業表現」がでてくるでしょう。 つまり、プロは日本語の標準語の営業言葉をTPOにあわせて「使いこなせる実力を持っている」と言う事になるわけです。 それを自然に出せるプロがトップ俳優と言う事でもあると言えると思います。 言語が変わると「思考」が変わると言う説明も妥当だと思います。 ですからこのhypothesisが存在するのです。 しかし、もう少し深く言葉と言うものを観察するとそんな簡単なものではないと言う事が分かると私は思います。 つまり、妥当だと考えられる理由として、同じフィーリングでもその言葉の社会的ルールによってそのフィーリングの表現の仕方が変わる、表現方法に対する思考が違う、と見るわけです。 それを私はもっとマイクロに見てTPOを判断出来る能力に基づいて表現方法が変わり、フィーリング自体は英語であろうと日本語であろうと、標準語であろうと方言であろうと、また、友達間であろうと顧客にたいしてであろうと、変わらない、と言いたいのです。 TPOに「適切な」表現を求めるという根本的な思考は変わらないのです。 その違いを自由に無意識な反応に基づいて表現する事が出来るか出来ないかの違いが実力があるかかないかの違いにもなってくると言いたいわけです。 私の場合は日本語、特に敬語に疎いので、謙遜的になる必要があると感じてしまいます。 つまり、意識的な反応である、と言う事ですね。 つまり、敬語を使う必要のある社会では「考えながら」と言う表現方法が追加すると言う事になります。 よって、敬語に関しては私はバイリンガルとはとてもいえない、と言う事になります。 これでなぜこれがhypothesisと呼ばれるのかお分かりだと思います。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

ikuna
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました!   言語がどうこうというより、TPOによって変わってくると、同じ言語であってもTPOによって変わってくるという事ですね。 

ikuna
質問者

補足

では、こういった場合はどうでしょう、同じ場で、日本人とアメリカ人の友人がいて、それぞれに話すときに日本語と、英語を使いわけている場合、違和感というか、何か言語が変わる度に脳内や気持ちに変わりとかはありませんか? (私の場合、まだ考えながらしか英語を話せないため、全然同じ感覚で話せないのですが)  もし、ある方言も、標準語もうまく使いこなせるなら、やはり英語と日本語もそのような感覚に近いのでしょうか?  それから、もし日記を書く場合、それはやはり日本語ですか? もしそうだとしたら、それは日本語の方が英語より馴染んでいる、という事でしょうか、もし日記を英語で書くとしたら、どんな感じになりますか? 同じように気持ちを表現する事はできますか? 

noname#118466
noname#118466
回答No.4

あなたが地方出身者なら方言で仲間と話す場合と標準語で話す場合の差が分かるでしょう。分かりやすくいえばあの感覚の差でしょう。関西弁と標準語を完全に使いこなせる人は一種のバイリンガルといえるでしょう。両者はイタリア語とスペイン語以上の差があるかもしれません。 各言語には言葉の差以上にその言葉が成立する過程で身につけた歴史と文化があります。「暑い」というひとことでも北国の人と南の人では同じように「暑い」といいながら、その内容はまったく異なります。 また言葉は考えだけでなく、感情も伝える道具です。 話すときの抑揚やアクセントが言語によってことなり、声の高低も変わります。日本語は女性の場合、非常に甲高く聞こえ、ある国民の耳には子供っぽく聞こえるでしょう。 バイリンガルのヒスパニックの女性の場合、スペイン語を話すときは女性らしく可愛く聞こえ(見え)ますが英語に切り替わった途端、いかにもアメリカ人らしく、はっきり、少しきつく聞こえます。この差は大きいです。

ikuna
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! なるほど、そのような違いがあるのですね。 関西弁と標準語はそんなに違うという事をそんなに意識した事はありませんでした。 気候など住環境の違いや、人種自体の違いなどもある事に気がつきました。   スペイン語とイタリア語って、似てるんですか? ドイツ語を今年から習い始めたのですが、英語に似ている点はあるなあ、と思いました。  やはり、日本語以外の言語と比べても、英語ははっきり意見を主張する特性のある言語なのでしょうか? そこらへんも気になってきました。 この場をお借りしてしまいますが、ご存知の方は教えていただけませんか。  どうもありがとうございました!

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