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なぜ、鑑真は危険をおかしてまで、日本に渡航したのか。

上記の通りです。どこの文書を読んでも、どこのサイトを見ても、考えられません。確かに、鑑真は日本の文化の発展のためにきたことは明らかなのですが、それはただ、仏教の教えにしたがったからなのでしょうか?他にも深い理由がありそうなので、質問させていただきました。専門家の方々、どうぞ返答お願いします。

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回答No.1

 なぜ弟子でなく高齢で地位も確立した鑑真が、国禁(当時は国外に出ることは禁じられていた)と命の危険(航海に失敗する可能性のほうが高かった)を覚悟で日本に渡ったかについては、   日本側で事情とされているのは、 ・仏教徒としての使命感説 ・聖徳太子を慕った説 ・好条件リクルート説 ・亡命説 ・スパイ説 などがあるようですが、どれも今ひとつ説得力が欠けています。  ところが、ある中国人の研究者は次のように考えていますが、このほうが説得力がありそうです。  当時の中国の状況を見ると、鑑真の生涯は前半が仏教を保護した武則天の時代、後半が道教保護に戻った玄宗の時代ですから、国の政策変更で仏教の立場が弱くなり「先が見えない」状態でした。これに対して、国の総力をあげて仏教保護に力を入れようとしている日本には「将来性」という魅力を感じていたし、唐から遠い日本でも、予想以上に仏教研究が盛んで、すでに優秀な弟子が沢山いる地元より、自分の活躍の場を見出した。  つまり、青年海外協力隊ならぬシニア海外協力隊に参加する方の心情と通じるものがあったのかも知れません。  詳しくは下のページを。  

参考URL:
http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen21.htm
student10
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>日本側で事情とされているのは、 ・仏教徒としての使命感説 ・聖徳太子を慕った説 ・好条件リクルート説 ・亡命説 ・スパイ説 僕が昨日3時間かけて出した結論は結局「仏教徒としての使命感説」だったのですが、他にも「亡命説」「スパイ説」ですか。「スパイ説」なんて考えも着きませんでした。それに「亡命説」では僕の中にある考えでは鑑真は唐でもかなりの地位にいて国を出させてもらえなかったのだからこれは絶対無い。でしたが、この考えの下になってるのは、国を出させてもらえなかったのが重要な僧だったから。という自分の先入観ですね。 もうちょっと色々な視点からものをみられるようになりたいとつくづく思いました。 最終的に >>国の政策変更で仏教の立場が弱くなり「先が見えない」状態でした。これに対して、国の総力をあげて仏教保護に力を入れようとしている日本には「将来性」という魅力を感じていたし、唐から遠い日本でも、予想以上に仏教研究が盛んで、すでに優秀な弟子が沢山いる地元より、自分の活躍の場を見出した。 という結論で、納得しました。 最後に、詳しい説明ありがとうございました。

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回答No.2

回答します。 鑑真が日本に来たのは戒律を伝えるためで、それはさまざまな史書にも載っています。 なぜ戒律を伝えるためにあれほどの危険を冒したのかというと、戒律を伝え、それに基づいて僧侶の認定を出来る人間が日本にいなかったこと、そして日本に行こうとした唐の僧侶が他にいなかったことが挙げられます。その点についてはイエズス会の神父が戦国時代の日本に来たのと同じです。正しい宗教の知識がないと、教える立場にはなれませんから。 仏教が手厚く保護されていた日本に賭けるという気持ちがあったという回答がありましたが、そういうことはあったのかもしれません。 日本人は戒律を嫌うのでその重要性がわからないんです。仏教の本来の戒律から言うと、妻帯も飲酒も肉食も許されないのですが、日本ではそれが許される方向に動いていったのも、そのためです。 しかし、仏教国ではスリランカでもタイでも、そういうことをする人は絶対に僧とは認められません。今でもです。それくらい戒律は厳しいもので、それを守らせる人が必要なのです。鑑真は日本で自分がそういう理由で必要とされていることを留学生から教えられ、懇願されて渡航を決意したのです。

student10
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>日本人は戒律を嫌うのでその重要性がわからないんです。仏教の本来の戒律から言うと、妻帯も飲酒も肉食も許されないのですが、日本ではそれが許される方向に動いていったのも、そのためです。 なるほど、そのようなことからも当時に日本人の中で戒律を心から守る人は極一部しかいなく、それを守らせる人が皆無に近かったというわけですね。 参考になりました。どうもありがとうございました。

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