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旧石器時代研究の進展

juntの回答

  • junt
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回答No.2

 2000年11月ニ暴露された、東北旧石器文化研究所の藤村新一副理事長による、数十万年~4万年前の『前・中期旧石器遺跡』の捏造事件は、学界と行政の検証作業によって決着しました。  03年5月、日本考古学協会は総会の場でその最終報告を行い報告書を刊行しました。山形県袖原、埼玉県子鹿坂、北海道総進不動坂、宮城県上高森・座散乱木、岩手県ひょうたん穴など186ヶ所について『今後、学術資料として無効である』と藤村関連の遺跡を全て否定しました。国史跡に指定されていた座散乱木は、文化庁が指定を解除しました。歴史教科書では、藤村関連遺跡を全て抹消し、増した。26年に及ぶ捏造が、学界・社会に与えた被害は甚大です。  人類学では、現代人の直接の祖先にあたる新人はアフリカに20万~15万年前に登場し、10万年前にユーラシア大陸各地に拡散し、原人や旧人にとって代わった、とされます。すなわち、かつての定説であった原人から旧人そして新人への進化は現在否定されており、日本列島に原人がいたとしても、縄文人、ひいては私達とは無関係であるとされています。今、最も古いとされている岩手県金取(かねどり)遺跡から発掘された礫器(れっき)と剥片(はくへん)石器は、石器を出土した地層中に含まれていた火山灰の年代から約8.5万~5万年だといいます。光ルミネッセンス法石器の出土層が12万~8万年前と測定されたという長崎県入口遺跡とあわせ、年代測定には議論が必要です。礫器と不定形の剥片石器は、東京都中山谷遺跡・西之台遺跡、宮崎県後牟田遺跡などからも見つかっており、3.5万年以前の日本列島の代表的な石器です。刃を磨いた石斧(せきふ)や台形の剥片石器はその直後にあらわれます。鹿児島県種子島の立切遺跡から約3.4万年前の礫器・磨製石斧・磨石・石皿が、焼けた礫多数を伴って発掘されています。石斧は、日本列島の後期旧石器を特徴づける石器で、北海道から鹿児島県奄美大島までの範囲から見つかっています。 大型動物の解体や皮なめしに使ったとも、木の伐採・加工に使ったとも考えられます。磨石・石皿は食材の加工具、焼いた礫は石蒸し料理用の石で、いずれも植物質食料とかかわります。このような石器文化は、東南アジアでは5万年前まえさかのぼるとされ、石蒸し料理は現在も行われています。縄文人の南方系の形質は、彼らの祖先が東南アジアから渡来してきたことを示唆します。化石人骨の年代測定も進み、大分県聖獄(ひじりだき)、栃木県葛生(くずう)の人骨は中世頃、静岡県三ヶ日の人骨は縄文早期と判定されました。なお、愛知県牛川の『人骨』は他の動物の骨だといいます。戦争で焼失した明石の人骨は、複製品の研究では新人の骨とされています。年代測定を経て確かな人骨とされているのは、静岡県浜北、沖縄県山下町・港川・下地原・ピンザアブの人骨だけです。約3.5万年前の山下町の人骨に礫石器が伴っていたことは、最近確実になりました。

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質問者

お礼

詳しい説明ありがとうございます。 とても参考になりました。

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