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八王子城址と北条氏照

この前初めて八王子城址に行き、そのときに八王子城址の歴史を知りました。ネットでも調べてみたのですが調べきれないことがいくつかあるので詳しい方教えて下さい!北条氏照はあの伊豆の北条とは関係がないのですか?北条氏照の家系を辿るともともとの名字は違うみたいでしたが・・・。『郡青』とは何でしょう??八王子城址についての小説なのでしょうか? または八王子城址をテーマにした小説があるのでしょうか?分かりにくい文章ですいませんがよろしくお願いします。

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回答No.2

北条氏照の「北条氏」は鎌倉時代の「北条氏」とは違うものです。源頼朝を擁立して鎌倉幕府開府を果たした北条時政以来代々「執権」の地位に着いた「北条氏」と、「伊勢氏」の流れを汲むとされる伊勢新九郎長氏(後の「北条早雲」)が起こした「北条氏」とでは異なるのです。後者の「北条氏」を鎌倉時代のものと区分けするため「後北条氏」または「小田原北条氏」と呼ぶこともあります。 さて北条氏照ですが 北条早雲――→氏綱――→氏康――→氏政――→氏直                       ―→氏照 …となり3代目氏康の子、4代目氏政の弟です。氏康は武田信玄・上杉謙信・今川義元などと同時代、しかも領土が隣接した状態であったにも関わらず「名将」の誉れ高かった人です。また治世家としても優れた人物でした。氏政と氏照はその子に当たるわけですが、兄・氏政は「当主」として治世家としては優れていた ものの軍事家としては疎く、その分弟・氏照は軍事家としては優れていたらしいのでその部分で兄を輔けて北条軍をよく統率していたそうです。 兄の氏政と甥の5代目氏直をよく輔けた氏照でしたが、さすがに時代の波には勝てませんでした。小田原に押し寄せた秀吉の十五万もの軍勢に3ヶ月ほど包囲された挙句、降伏・開城となりました。 八王子城や滝山城はその際の舞台となった地です。両城とも現在の八王子市にありますが、確か滝山城の方は「リング」という映画で舞台となったらしいです。ビデオの中で貞子がその父により突き落とされた井戸が見えますが、あの井戸は滝山城にあるそうです。夜に行くと“とても不気味”とのことなのでもしよろしければ今度お試しを。 ちなみに『群青』と小説の件についてはわかりません。ただ、秀吉・家康の小田原遠征と北条軍との攻防がテーマになっている小説であればエピソードが記されているかもしれません。

777matsu
質問者

お礼

詳しいご説明ありがとうございます!すごいですね~。私もそのようになりたいです。歴史って奥が深いですね。八王子城址に実際行ってみて昔ここで行われたことを想像すると不思議な気持ちになりました。 八王子城址もかなりの心霊スポットですよね。実はそれが理由で今まで近づかなかったのですが、その日は天気も良く昼間だったので思い切って行ってみました。行って本当に良かったと思います。八王子の歴史をもっと知りたいと思いました!滝山城址の井戸の話は初めて聞きました!怖すぎです。でもここも八王子の歴史とは切っても切れないとこですよね・・・。今度天気の良い昼間に行ってみようと思います。豊臣秀吉等の歴史書も読んでみます。回答ありがとうございます。

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  • LINERS
  • ベストアンサー率21% (211/974)
回答No.1

>北条氏照はあの伊豆の北条とは関係がないのですか?北条氏照の家系を辿るともともとの名字は違うみたいでしたが・・・。 一度養子縁組してますね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F%E7%85%A7 違ってたらすみません。

777matsu
質問者

お礼

URLありがとうございます。北条氏照の他にも興味深い人達がたくさん出てきたので勉強します。回答ありがとうございました☆

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このQ&Aのポイント
  • 私が可愛くなかったら、仲良くしてなかったの?
  • 相手が自分を可愛くないと思っている場合、仲良くしている理由は何か考えた方が良いでしょう。
  • 同性の場合、相手が自分を可愛くないと感じていることにイライラすることもあるかもしれません。
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