• ベストアンサー

デカルトに詳しい方いますか?

こんばんわ!さいきん、哲学に興味を持ち始めました!!そこで、とても気になることが出てきてしまって、有名な言葉「我思うゆえに我あり」この言葉は、例えば、自分が何を将来やって良いのか分からなくなってしまった時など、自分の好きな事、何をしている時一番幸せか?など疑って、疑っていくことで真実が分かるということには、当てはまりますか?? ちょっと、意味が違うのでしょうか??

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

 デカルトの「我思うゆえに我あり」は、「確かに実在するものは何か」と疑って疑った結果、疑うということをしている自分だけは確かにある、という考えを言ったものです。  なので、mikann-さんのいっていることと同じかといえばちょっと違うなとは思います。  mikann-さんが解釈したような「人間(自分)とはどのような存在(であるべき)か」といった問いはキェルケゴール以降の実存哲学にあてはまるのではないかと思います。他にはサルトルやヤスパース、実存哲学とは若干ズレますが、有名どころでは、ニーチェやハイデガーなども関わってくるかと思います。  哲学に興味を持ち始められたのであれば、まずは哲学の入門の本を読んでみてはいかがでしょうか。デカルトにしても日本の学者の書いた新書などの入門本ならわかりやすく書いてあるかと思います。・。  余計なことながら、ここで質問するだけでは限界があるなと思い、このようなことを書かせていただきました。失礼しました。正直、哲学をちゃんと学ぶ最初の場であろう大学の授業よりも、入門本の方がいいかもといえるくらいですので・・・。  

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.3

まったくあてはまらないわけではないんだけど、この言葉自体はそういうことも含め物事を判断するための根拠として、理性のよりどころとしての確かなものが つまり自分がいままさに考えている、その自分の存在である、ということです。 当時はヨーロッパ、特にドイツは戦乱の時代で、価値観も生活も宗教もすべてが混乱をきわめていました。 であればこそ元傭兵のルネ君はこれこそ確かなもの、というのをもとめたんだと思います。 そっからあとは「方法序説」読んでください。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • BLUEPIXY
  • ベストアンサー率50% (3003/5914)
回答No.1

物事の存在について疑義があって、 あれは、夢・幻で現実の存在ではないのではないかなどと疑念を抱いた時に、 考えられる全ての存在がたとえ実在でないとしても、 そのような物事を実在か実在でないか考えている私の存在は疑いようがない。 そういうことから、 「我思うゆえに我あり」 という結論に達します。 なので、質問文のような場合にはちょっとあてはまらないのではないかと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • デカルトの、、、

    哲学が全然わからなくて困っています。 夏休みのレポートでデカルトの(我思う、故に我あり)という命題の意味するところ を彼の学問方法論との関連で説明せよ、また彼の哲学体系との関連で説明せよとだされました、、、、。もぉ何がなんだかさっぱりわからないんです。ちなみに400字の原稿用紙三枚以上で書けと、、、、。定期試験の勉強でもいっぱいいっぱいでこまっています。何か教えていただけたらと思って書き込みしました。 お願いします。

  • デカルトとは無関係で

    デカルトの哲学を歴史的に理解することではありません。 1)「ワレ惟ウ、故ニワレ在リ」 2)「ワレ在り、故ニワレ惟ウ」 この違いに、どのような意味があるのでしょう。 どちらかが「真」で一方が「偽」でしょうか。 本当は、結構困っています。

  • デカルトの言葉

    こんにちは。 デカルトの言葉で、「わたしは考える ゆえにわたしは存在する」というのがありますけど、どういう意味なんでしょう? お願いします。

  • デカルトについて教えてください

    哲学に詳しい方、暇な時に回答お願いします。 デカルトの言う「物質は延長である」というときの「延長」とはどういう意味なのでしょうか。入門書などを読んだのですがいまいち腑に落ちないのです。 「野球中継が30分延長した」とかいう時の「延長」とは違うのですよね。素人にもわかるように説明いただけますでしょうか。

  • デカルト<コギト>の意義

    はじめまして。 自分は哲学とは無縁の素人ですが、趣味(というか好きなので)哲学関係の著作はよく読みます。けれどもやはりわからないことが多く、質問させていただきたいことがあります。 デカルトのコギト、つまり方法的懐疑によって取り出された「我思う、ゆえに我あり」という<コギト>が哲学史的にどのように乗り越えられたか、またはどのような意義を持つものだったのか、という点がよくわかりません。 また、それと関連してデカルトは心身二元論の元祖として捉えられていると聞きますが、それはどうしてなのでしょうか? <コギト>の思想と心身二元論がすぐに結びつくものなのでしょうか? なんとなくわからないではないのですが、どうもすっきりしません。 どなたか回答いただければ大変嬉しいです。

  • 哲学者のデカルトについてお教えください。

    私は哲学のことを全く知らないものです。 最近、現代の科学技術文明について、その元の思想としてデカルトという人のことをときどき聞くのですが、デカルトの思想とはどのようなものなのでしょうか? 人間が自然を支配できるとか、自然などをすべて数式に置き換えることができるとかを言った人とかをテレビで聞いたのですが、はずかしいことですが哲学の本を一冊も読んだことのない私には難しくてよくわかりません。 哲学を全く知らない私に、ご無理を言って申し訳ございませんが、易しい言葉でお教えいただけましたら助かります。 本当に初歩的な質問で申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

  • 男性の方、アドバイスをください。

    男性からよく『もう少し、化粧をしたらいいのに~』と言う様な 事を言われます。 自分の容姿を言うと、 体格は中肉中背で日本人顔と言うよりは、 ハーフに近い顔です。(もちろん生粋の日本人ですが) それゆえ化粧をするときつくなる上に、 肌荒れも逆にひどくなるという理由から、 ずっと、スッピンで通して来ました。 これが自分のカラーだと思っているのですが、 多くの男性から毎度同じ言葉が出てくるので、 これは、変えなければいけないのかな?なんて考え始めて しまいました。 しかし、私は、彼らの彼女でもないし~、 別に関係ないじゃない?と思うのですが、 男性がこのような言葉を発する時って、 どのような、意味があるのでしょうか? ただ、この事と共通して言えることは色気が欠けているので、 自分が良いと思っている男性で相手が好いてくれているときでも、 私が相手に対して興味がないと映っているようで、 よく、『君にとって僕は興味がない存在なんだよね~』って、 言われてしまいます。(涙) ですので、結構、損をしている気もします。 先日も、ある男性から、「君は僕なんかに興味がないのさ~」と 言われての付け加え、昨日は昨日で初対面だけど、 以前から私の母を知っている私と同世代の男性から、 「お母さんに似ているけど化粧っ気がないのが惜しい!!」 的な事を言われました。 一瞬、またか?って思ったけれど、 皆が皆、同じこと言うのって何か意味があるのでしょうか? 男性がこのような言動をするときって、 何を指して言うのか教えてください。 よろしくお願いします。

  • 【哲学を知った所で人間は何を得たのでしょう?】

    【哲学を知った所で人間は何を得たのでしょう?】 フランシスコ・ベーコンはこう言った。 「 海のほか何も見えない時に陸地がないと考えるのは決してすぐれた探検家ではない 」 と。 要するに人間の真理は観察ではなく自分の経験でしか得られないと。 で、自分の経験は他人の経験ではないのであなたの経験が全ての真理ではないと。 歴代の哲学者は人生の真理を追いかけたが矛盾というか誰にも否定されない真理を解き明かすことが出来ないまま月日が過ぎた。 ソクラテスは「汝、自身を知れ」と言った。 ソクラテス以前の哲学者は1つの答えを出そうと必死に答えを探していたが、 ソクラテスはその人生の真理を見つけたという人物にその答えに対する疑問を投げかけて、ついに真理を見つけたという人物は言葉に詰まって自分が自分のことを良く分かっていなかったと悟り 「無知の知」 自分のことを自分が1番分かっているようで実際は自分自身の問題についての結論を自分で出した回答も答えが間違っていることは多く 自分のことが分かっていないことを知っている人の方が人生の真理に近いと説いた。 で、また月日が過ぎて、 デカルトが現れた。 デカルトは「我思う故に我あり」という矛盾がない答えを出した。 人生の真理の答えは我思う故に我ありという結論で決着が着いた。 けど、 人生の真理の答えが我思う故に我ありという矛盾がない答えだったと答えが出て納得がいかない人が 人生の真理は分かったがなぜ生きているのだと生きている意味を知りたがるようになった。 人生の幸福である。 人生の目的を人生の真理から人生の幸福へと興味が移っていった。 アランは「幸せになろうとしない限り、絶対に幸せにはなれない」と言った。 幸福だから笑うのではなく、笑うから幸せなのだと。 ショーペンハウアーは「富は海水に似ている。飲めば飲むほど喉が乾く」と。 要するに人生の真理はデカルトの結果で結論が既にもう出ていたってこと。 あとの時代の哲学者は人生の真理の追加要素に過ぎない。 で、人生の真理はデカルトの我思う故に我ありで決着が着いたがその人生の真理を知ったところで何を得たのでしょう?って話です。 人生の答えが哲学で分かったが分かったところで何も人生は変わらない。 人間は得たのに変わらなかった。 哲学で何を得たのでしょう?

  • 東洋哲学ってどんな感じ?

     大学に行ったら哲学を勉強したいです。それで、最近東洋哲学に興味を持ち始めました。でも、東洋哲学って、西洋哲学のようにみんなで論議しあったり真実を追究しようとかそんな感じではない気がするんです。もっと宗教的な感じで、悟りを開くみたいな感じ。だから現状を打破しようとか、積極的なな考え方が生まれてこないような気がするんです。東洋哲学において、議論や思索はできるんですか?あと、ユングとかが東洋哲学に注目してたらしいけど、どうしてなのですか?

  • 病院に行った方がいいんでしょうか?

    私は過去にいろいろな事があり、その時言われた言葉やされた態度、行為とかをされると精神不安定になり、その時あった事、言われた言葉などはっきり思い出せなくなってしまうんです‥‥。 その状態で友達に内容を聞かれるとあやふやで少し話を盛って話してしまいます。 なので自分でも真実がわからなくなって思い出を塗り替えるような真似をしてしまいます。 だからその辛かった時をもう一度何度も思い出してやっと真実にたどり着けます‥‥。 これって病気なんでしょうか? 病気行った方がいいんでしょうか? 本気で悩んでます。 ちゃんとしたご回答よろしくお願いします。