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悟性について知る良書
こんばんは。 大学末期ごろから時々、ある「感情」「理性」を超越した何者かが意識のうちに発生した状態がたびたび起きるようになりました。特に哲学を深く学んだわけではありません。 この「経験上得た超越感」を「悟性」といわれているものに相通ずるものと仮定しています。こんなこと他人に話したら笑われそうなので、自分のうちにとどめていますが、しばし、この「超越感」により情緒が安定してきた感じを覚えています。 ちょっと伝わりにくいかもしれませんが、このような分野に明るい方、もしくは同じような経験をされた方の「お勧めの書籍」をお教えいただければ幸いです。
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- Syo-ya
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このような渦巻く事柄ですが。 如何なものなのでしょうか?? 本来はこうですよね。tt 一般的に、 「理性的=精神的に大人」、 「感情的=子供(精神的に幼い)」 とされていますが。 実態としてですが、彼は場合によっては矢張り一概に言えない、その通りであるとは限らないように思うそうです。 私も一理ありそうに思えなくもないですが。 何故ならですが。 最近の彼は、物事をやたら深く追求したせいもあってか、渦に巻かれて抜け出せませんとの事です。ノイローゼなんですかね? 死にたいぐらいイライラする時もあるみたいで。 前記したオーソドックスなものとは対照的に、こんな場合ありませんかね??普通に。明らかにです。 感情的、すぐに泣く = 理性的な相手から我儘を聞き入れて貰える、仕方無い子だと黙認され、許容されているから、もう誰からも「子供」だなんて言われたりしない、うまく理性的な人を利用する。 だから大人びた賢さ(要領の良さ)を持つと言う事になる。 理性的、冷静で大人びている = すぐ泣いたりするような相手に振り回される、うまく利用されざるを得なくなるから、都合の良い人間となる。 だから「単純」、「子供」だなんて謗られたりする。 突拍子もなく感情的になった時は、すぐさま「子供」、「幼稚」、「まだまだだな。」 等と言われて諭されてしまう。 でも何だかんだ言って、 感情的=愚かで子供、 理性的=冷静で大人、賢い ですか?? そうとも限らないかと思いますし、物事には側面がありますね。 感情的=要領が良い、理性と知恵は子供並だが、違う意味で要領が良い、 理性的、我慢強い=都合の良い人間なので損をしやすい、単純、ある意味子供、我慢強いってだけの面では大人 なんですか?? 皮肉なもので頭に来ませんかと思います。 と言いますか、どちらが寧ろ得なんでしょうか??この俗世では感情的で大胆な方が良いのですか?? 私は特に大した経験ありませんが、ドラマや漫画のシチュエーションには飽き飽きしますね。 理性的で冷静=扱いやすい、 感情的ですぐに泣く=ずるい を補足しておきます。 私が何に腹を立てているか、もう御解りでしょうかね? 確かに扱い難いのも子供だから、子供が得するのは当然かと思いますが。 本来、 理性的=大人、 感情的=子供 の筈が、 まるで、そう、 「感情的=子供」、 「理性的=子供の玩具」 みたいではないでしょうかと。 如何?? *** 冷静で理性的 = 賢く大人(?) 冷静で理性的 = 我儘な人間の思うがままであるからして、まるで 子供みたいに可愛い奴(?) *** では出来る限り、全身全霊振るっての回答を御待ちしております。 ああやって深く考え出すと、まるで矛盾だらけで答えが出ず、渦に巻かれて当分抜け出せなくなると、彼も迷っているようですので。
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- 対応策などわかる方がいましたら、お力添えください。
お礼
ありがとうございます。 瞑想も貴重な訓練ですね。 ヨガの姿勢はリラックスするによいと 覚えます。 何ごとも根気よく地道にがんばります。