• ベストアンサー

専門家が癒される効果は?

心理学を学ぶ者、もしくは専門家がカウンセリングや心理療法を受けるときの効果はどの程度なのでしょうか? 例えば臨床の場での「抵抗」という現象がありますが、この概念を知っている者が、「あ、私は今『抵抗』している時期に入った」、「先生に『転移』しそう」などと(つい)考えることと思います。 悩みなどをもつクライアントはセラピストの前では明らかに主体ですが、知識を持つ者、専門家であれば同時に客体としても成立します。その場合、悩み=主体としてのその問題に対する何らかの作用があるとしたらどのように影響されるのでしょうか? 別の意味では「演じる」ようなこともできてしまいます。専門知識を知る者が個人的な問題を解決するとき、その知識は障害とはならないのでしょうか?それでも心の動きや法則(があるとしたら)は、単に得た知識に無影響なのでしょうか?

  • frau
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

他の方はどうかわかりませんが私の実感で答えるならば、カウンセリングの促進は、カウンセラーや専門家の方が早いと思います。 カウンセラーは、カウンセリングの最中にカウンセラー自身の気持ちを動きも同時につかまえていないといけません。自分の内面のわずかな動きを捕まえる能力が長けてくるので、結果として自分がカウンセリングを受けても気づきの促進がすすむのだと思います。 クライエントが自身の抵抗や転移の気づくことは、カウンセリングの促進をもたらすものです。カウンセラーが解釈する前に、クライエントが自分でそのことに気づいたのなら、カウンセリングは促進しないわけがありません。 カウンセリングは、クライエントが自分自身の成長のために行なうものです。質問者さまの言われる「演じる」必要性はどこにもありません。 ちなみに、私は抵抗や転移を扱う精神分析がベースではなく、体験過程療法(ロージャース派の一派)ベースですので自然と自己洞察能力が高まっているだけかもしれません。 精神分析系の方の意見も聞いてみたいですね。(^。^)

frau
質問者

お礼

お礼が遅くなってすみません。 回答を伺って安心しました。ただ抵抗を感じたと知る自分が、抵抗を感じないように「演じる」として、カウンセラーの方はどう読み取るのか?と質問した方が妥当でした。 仮にもそんな疑問を抱かなくても、心の法則は、演じることなど関係なく起こるのでしょう。そのような意味で『「演じる」必要性はどこにもありません』という回答を読み取っています。 なので心理学を学ぶことはプラス作用になるということを伺って、勉強してよかったと思っています。 参考になりました、ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • mokoronai
  • ベストアンサー率33% (24/71)
回答No.4

心理学を学ぶ物・もしくは専門家と言うお話ですが こころを学ぶ物も多種多様で、スキルも人それぞれだと思います。 カウンセリング(ロジャース)を学ぶ者・ 心理療法を学ぶ物・分析や解釈を学ぶ者・ 認知行動療法を学ぶ者・専門としている分野でも 傾向性や違いが出てくると思います。 心理学を学ぶ者と、カウンセリングを学ぶ者は 私は微妙に違うような感じがしています。 カウンセリングを学ぶ者は、自己一致が基本になるので 常に自分の気持ち・現状・目標などが見えており また、分からなくなり悩んだ時カウンセリングや スーパーバイスを受けた時に、気が付いて修正 一致して行くと思われます・・・ また、他の手法がメインな方は、それぞれの手法により 自己を癒す方法を試され、それぞれにおいて効果が 他の人が行う、施行されるより、有効的に働くと思います。 「よきカウンセラーは、よきクライアントである」 とよく言われるとおりだと思います。 自分の習得している、手法や自身を信じられなくなった時、逆に知識が邪魔をして、悪影響が出る場合もあります。(ここを具体的に知りたいように思える質問ですが・・それこそ可能性だけの問題なので幾らでもあるでしょう・・) ここで、質問者様の仮定で補足要求なのですが 心理学を学ぶ者が、病気の場合の想定なのか? ただ単に、健康な学ぶ人が 悩みが発生した時の癒され方を想定されて 居るのか?という所でまた違いが出てくると思います。 ただ単に悩みが発生し、心理療法(スーパーバイズ)を 受ける場合において、やはりどの手法を学ばれた人でも カウンセリングについての知識は+に働く場合が多いと 思います、その際クライアントがカウンセラーを信頼 しているのが大前提であると思いますが・・・ (演じたりする必要が無い) 脳内生体アミンのバランス失調が原因のこころの 病気を患ってしまった場合、どのような内容かにもより 異なると思いますが、自分自身を信じられなく・人を信じれなく、何もかも否定的になっている際は 心理療法自体も信じられなく心理療法を受ける 際も、最初から否定しながら受ければ 知識は邪魔をし、気がつく妨げになるでしょう・・ ただし、本当に話を聴けるカウンセラーにお願いしたなら、影響は少ないと思います。 また病気で本当に苦しい時は カウンセリングや心理療法をする事は、良いことでは ありません、こころの状態の回復を待ち ある程度、冷静になったときに行えば、良い結果が 得られると思います。 ちなみに、私は一般人で個人で心理療法を学んで 居ますので、実際の専門家にもお話を伺いたいと思いますので、他のレス(回答)を楽しみにしています。

frau
質問者

補足

>心理学を学ぶ者と、カウンセリングを学ぶ者 心理学とカウンセリングは違うという意見もあるようですが、私はすべて同じ範疇、つまり「こころに関すること」として私は同じこととみています。 例えば、今臨床心理を学んでいますが、フロイト、ユングのパーソナリティ理論からの治療方法がでてきます。これは別に精神分析としても別カテにあります。ただ、mokoronaiさんの「微妙な違い」というのもお伺いしたいところです。 >質問者様の仮定で補足要求なのですが それは「心理学を学ぶ者が、病気の場合の想定なのか?」という疑問です。「健康な学ぶ人が悩みが発生した時の癒され方を想定されて居るのか?」ということであれば、ガイダンス的な段階のカウンセリングで足りると学びました。 信頼関係はカウンセリングの基本ですが、逆にカウンセラーを信用していないとき、「演じる」などの場合も生じるかもしれません。もちろん信頼関係を築くのが大前提ですが、信頼していても、自分の知識が集中力を妨げるのではないかと思いました。ただ私の場合、生理的な疾患はないし、むしろ健康的に自分の想いや考えを訴えることができる、といっては、カウンセリングの必要性があることは病的である事実からすればそれは矛盾した言い方ですが、カウンセリングへの積極性はあると思っています。

回答No.3

えへへ、お邪魔します。^^; 実は、さっきfrauさんからの御返事を拝見したあとで、ここをお見かけしたものだから、おもしろいな~と思って・・・。これは、御免なさい、回答とはお世辞にも言えません、素人の素朴な疑問と言うか、私、心理学大好き人間なんで不安を感じてしまって・・・。 frauさんの御返事には、こういうくだりがありました。『私たちは自分の中に「もう一人の自分」を感じることができます。また対話もできます。~でもその客体も主体であるかもしれません。~そこで迷ったときや葛藤するとき、対極の相手がでてくるわけですが、~』 この部分を思い出して、顔を出す気になりました。 『対極の相手』というのを「神」と信じるなら「演じる」ことをしようと思うでしょうか? もしかして心理学徒でいらっしゃりながら、この学問に対する疑念とか不信感を隠し持っておられるのかなあと思っちゃいました。 No.2のかたが「カウンセリングの促進をもたらすもの」と仰ってますね。私はこれを読んで「神に近づきなさい、そうすれば神のほうから、あなたに近づいてくれるだろう」ということばを思い出しました。 カウンセリングというものが治療としての役割を持つものなら専門家が、こうした御質問のような疑問をお持ちになるというのは素人から見ると、まるで、お医者が「私は専門知識を持ってるから今飲んだ薬が効きにくかろう」と言ってるような面妖な感じがするような気がします・・・。^^; プロセスにおいてプラスの作用が或いはマイナスの作用が有り得るとしても結果オーライ!ってことになれば心理療法の信用にキズがつかないですよね??

frau
質問者

お礼

sirayukihimeさん、いらっしゃいませ。こんにちは。 時間がたってしまいましたが、もうひとつの回答へのお礼に対して、自分も意図せずこのような新しい質問をしましたが、あなたのご回答で私は「共時性」を感じました。つまりリンクしているのですよね。でもふたつの私の回答について、sirayukihimeさんが提示してくださって私も、あ、矛盾していると思いました。 >この学問に対する疑念とか不信感 一瞬ドキリとしました。でも学んでいる上でのふとした疑問なんですよ。カウンセラーは神であって欲しいと願いつつクライエントは相談にくる場合もあるわけです(そのクライエントは現にこの私です)。でも、学ぶ者としての客観性が、どう影響を与えてしまうのかという疑念というより不安でしょうね、それがふと思いついたわけです。しかし私たちは誰でも自己治癒力というものをもっていて、それは「『対極の相手』というのを「神」と信じるなら「演じる」ことをしようと思うでしょうか?」というお答えに通じる者だと思っています。 ただ、カウンセリングにおける過程というのは、これは法則というものがあって、治癒までの過程に「転移」や「抵抗」などのような心の動きがあるわけです。学ぶことをしないで、治癒する側に自由に身をゆだねるのと、多かれ少なかれ、そうした知識を知る者がそのような「自由な身」になれるのだろうか、知ることによって不自由があれば治癒に影響するのだろうか、と思ったのです(これについてはANo.2の方が答えてくださったので安心しましたが)。 「もうひとりの自分」が神であると仮定しても、相手は人間なのだから、そこにはそのような技術(もちろん共感や深い人間理解なども含め)を駆使しなければ、「神」の国に到達できません。学問や人に対して信用できないとき、そのように「内なる神」を信じるべきだと思いました。 参考になりました。いつもどうもありがとうございます。

回答No.1

私は素人ですが、あなたの質問は重要なものだろうと思います。私は、自分というものが存在することは分かっても(おそらくデカルトはそのことを「こぎと、えるごすむ。」と表現したのではないかと思います)それでは自分とは何者かというと分からないものなのだろうと考えています。このことは知能とか知識の有無で変わることはなく、人間である限り自分のことだけは分からないというのは原理的なものだと思います。つまり認識の主体である為には主体は不可知でなければならないという事です。この意味で自分探しなどという言葉は実に矛盾を含んだもののように思われます。最も汝自身を知れという託宣もありますが、デカルトはこれをどのようにうけとめたのでしょうか。ひとは自分というものを知ることが出来ないので自分が住み着いている体をはじめとする対象化できるものを自分ということにします。これはあくまで虚構というか仮定であると思います。この虚構なり仮定を事実と思えるのは他人から見た自分という観念の助けを借りることができるからだと思います。結論的には専門家といえども自分というのは対象化された自分ですから、この専門家が普段患者を治療している時と同じく自分も自分にとっては一人の患者でしかないのではないでしょうか。

frau
質問者

お礼

お礼が遅くなりすみません。 >認識の主体である為には主体は不可知 まさにそのとおりですよね。意外にも自分のことをわかっているようでわからない、例えば人の言動や悩みなどには意見を言えるけれど、日常での自分自身の問題から「自分とは何か?」という高尚な疑問となると、わからなくなります。 「人生は自分探しの旅」でありますが、その主体が何もかも認識や悟ってしまったのならば、成長や人生はそこで終わってしまうのでしょう。「汝自身」という言葉も含め、これが最も難しい問題なのではないでしょうか。そのために「他者」というかけがえのない存在を必要とするのでしょう。その意味では社会や、すべての事象は、それこそ無機的で浮遊的で、「汝を知る」目的のために存在する、私たちの骨肉となる単なる要素なのかもしれません。「固」がそれぞれの意味を固有の属性に応じて汲み取り、そこから何かを得る、それが「生」なのでしょうね。 おっしゃるように「心の専門家」もそのような生身のひとりの人間です。もちろん専門家も治療される対象ですが(カウンセラーもカウンセリングを受けているといいます)、誰しも「神」を求めているということでしょうか。今学んでいる臨床心理学でも、カウンセラーは万能ではないと明言されています。しかし私たちの中には共通して「自己治癒力」というものが存在します。私はそれも神の一部だと思っています。 このような意味で、心理学と哲学はもっと接触してもよいと思われますが、現在題4の心理学といわれているトランスパーソナル心理学という学派は、よりスピチュアルな世界からアプローチしているのですが、まだ新しく、浸透していません。期待するところです。 でものっけからこのような哲学的なご回答があるとは思わなかったので嬉しかったです。 参考になりました、ありがとうございました。

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