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真実と事実
真実は人の数だけあり事実は一つしかないという言葉をききますが、 逆ではないのでは? 真実は一つしかなく 事実は人それぞれによって解釈されるのではないでしょうか? どちらが正しいんでしょうか?哲学詳しい方いらっしゃいませんか?
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私も「真実は一つしかなく事実は人それぞれによって解釈される」と思います。 真実とはなんぞや?神のみぞ知る。 Not even justice, I want to get truth.
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事実=科学的手法により実証された事象 真実=科学的手法による実証など必要無い事象 これでどうよ・・・。
- norikunny
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例えば戦争という事実があり、負けた方が全て悪く戦争の責任は負けた側の国にあると解釈されています。 でも、戦争に負けた国にしてもそれなりの理由やいろいろされた経緯があり、戦争に負けたけど自分たちは悪くないと思う真実があるでしょう。 言い換えれば絶対的な真実(神のみぞ知る)は一つ、主観的な真実は人の数だけあると思います。
- hisya
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真実は人の数だけあり、事実は1つしかないという言葉の意味を次のように理解してます。 ここで事実とは客観的事柄なので1つしかないと言ってるのだと思います。日記的記録や報道的記録や歴史的記録のようなものをさして事実といってるのでしょう。 それに対して、ここで真実とは客観だけでなく主観も含めたものなので、人それぞれだと言ってるのだと思うのです。人間は物事を科学者のように客観的にだけは見ないでしょう。この主観も混ざった見方をさして真実だといってるのでしょう。 具体例をあげます。 生みの母と育ての母がいたとします。 この場合、事実の母は生みの親ということになります。答えは1つです。それに対して真実の母は誰かなると、育ての母が真実の母と言う人もいるし、いや、やはり生みの親が真実の母という人もいるでしょう。人によって分かれるわけです。 なお、事実と真実の意味のとらえかたによってはどちらも正しいと言えると思います。
- jamko
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哲学に詳しくないです。ごめんなさい。 事実は 実際に起きたこと。 真実は 誠。 と捉えると この言葉の意味が分かるような気がします。 真実とは 心の問題。一方、事実は もっと 物理的なもので 何時何分何をした、というようなものです。 歴史では 史実が残されていても その当時の人たちの誠は 様々に存在していたのではないでしょうか。でも 事実は 実際に 確実に起こったことを指せば、それは唯一である、と私は思います。 ずっと そう思ってきましたが、どうでしょうか。 的はずれだったら ごめんなさい。
- Azriel
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哲学に詳しいというわけではありませんが、哲学的なことを考えることは好きです。真実は人の数だけあり、事実は1つ。その逆ではないのか。私の考えからいくと両方とも真なり。と言えます。つまりはそれを捉える人の見方によるからです。真の実は、人それぞれが持つ、コンセプトのようなもので捉えると、人それぞれの数だけあります。事の実は、見たものを理解したとき、それが人それぞれに捉え方の違いによって、これも人の数だけあるということではないでしょうか。哲学とは、正しいのは一つという一辺倒な考え方ではないのです。つまりは、どう見るか?どう理解するべきか?ではないでしょうか。それは、やはり人それぞれです。哲学にいろいろな見方があるように。