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初代内閣総理大臣
なぜ三条実美ではなく、伊藤博文が初代内閣総理大臣になったのですか?伊藤が英語ができるからというのは表向きの理由ですか?教えて下さい。
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以下のとおりお答えします。 >なぜ三条実美ではなく、伊藤博文が初代内閣総理大臣になったのですか?伊藤が英語ができるからというのは表向きの理由ですか?教えて下さい。 ⇒はい、伊藤が英語ができるからというのが「表向きの理由でもあり、実質上の理由でもあった」ようです。 このあたりの事情については、その筋の文献(Wikipedia) が次のように説明しています。 《内閣制度移行に際し、誰が初代内閣総理大臣になるかが注目された。衆目の一致する所は、太政大臣として名目上ながらも政府のトップに立っていた三条と、大久保の死後事実上の宰相として明治政府を切り回し内閣制度を作り上げた伊藤だった。しかし三条は、藤原北家閑院流の嫡流で清華家の1つ三条家の生まれという高貴な身分、公爵である。一方伊藤といえば、貧農の出で武士になったのも維新の直前という低い身分の出身、お手盛りで伯爵になってはいるものの、その差は歴然としていた。太政大臣に代わる初代内閣総理大臣を決める宮中での会議では、誰もが口をつぐんでいる中、伊藤の盟友であった井上馨は「これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくてはだめだ」と口火を切り、これに山縣有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成、これには三条を支持する保守派の参議も返す言葉がなくなった。つまり英語力が決め手となって三条は初代内閣総理大臣になり損ねたのである。》
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- oska2
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>なぜ三条実美ではなく、伊藤博文が初代内閣総理大臣になったのですか? 天智天皇時代から、皇族・貴族は直接政治を行わない事になっていたからです。 例えば、天智天皇以降は藤原一族が政治の実権を握っていましたよね。 ※天智天皇までは、合議制で蘇我氏中心に政治を行っていました。 政治的に何か大事件が起きると、皇族・貴族自らが責任を追及されます。 薩長政権としては、徳川から政権を取っただけの事です。 天皇から統治を委任された将軍が、幕閣に政治を委ねたのと同じ。 >伊藤が英語ができるからというのは表向きの理由ですか? 表向きの理由ですね。 三条実美は、孝明天皇から「朝敵・国賊扱い」とされ(幕府・京都所司代に)追討命令が出ました。 捕まる前に、長州藩1500名?に守られて都落ちしたのです。 この時に、裕宮(後の明治天皇)を人質にしたとの逸話が残っています。 当時の関西人は、この事を知ってました。 幕府が崩壊して新政権が誕生しても、三条実美を政治のトップにする事は出来なかったでしよう。 また、三条実美は「後醍醐天皇と同じ政治体制」を考えていました。 アメリカに使節団長として向かっても、「ちょんまげ」を一人だけ頑なに守っていましたよね。 同行使節団の「これでは、日本開国が理解してもらえない」との日記も分かります。 これらの状況から、意図的に新政権への参加を拒まれたのです。 余談ですが・・・。 天皇には政治権力がなかった!と書きましたが、これを伊藤博文も実行しています。 明治天皇の専属医(外国人医師)の日記。 「皇太子は、マナーばかり覚えさせられる。天皇になれば、取り巻きに命じられる通り踊らされる」 と、伊藤博文総理が述べたと書いています。 専属医は、聞いてびっくりした様です。 また、幼少時には虚弱体質で右利きだった裕宮。 明治天皇に即位した姿は、大男で筋肉体質。左利きだった。 裕宮を知っている人たちは「誰や?あの大男は?」と、不思議がった様です。 逸話では、裕宮は長州で死亡。 明治天皇になったのは、伊藤博文が結成した「相撲隊」の隊員との事です。 ※高杉晋作の奇兵隊は有名ですが・・・。
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