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批判するだけの野党を批判する批判するだけの国民
ただ批判するだけの野党を批判するなら、引き出しからお金が出て来た時に国民が「仕事やーめた」とか「納税しませーん」みたいな行動をすれば国にとって恐怖だと思うのですが、絶対にしませんよね笑 まあそれぞれの生活もかかってくるのでアレですが、なぜそういう行動は取れない国民性なのでしょうか? そもそも日常でそういう発言をする人をあまりみませんし、私なんかは言いますが、メッチャ空気が悪くなったり、過激派的な目で見られたり、たしなめられたりと、言ってもサッパリ良い事がありません。 一方、増税メガネみたいな差別用語は平気で広まったりと、ちょっと理解できないです。
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れいわ新選組党首、山本太郎氏の思想関係なく正しい発言の中で「この国のオーナーは総理大臣ではなく国民なんだ」という言がありました。 たしかに民主主義国家において国民感情は政治家にとっての命綱です。 しかし同時に民主主義とは、政治の責任を取るのは最終的に国民であることでもあります。 責任を取るとは法によって裁かれるという意味ではなく、民主主義によって選ばれた役人が作っちゃった法によって縛られる、という責任です。 仰る通り問題の根本に国民性があると思われ、日本人は争いを好まない一方で責任を回避しようとする傾向があり、特に昨今の若い世代には多く見られるように思います。 悲しいですが国の方針を決めるのは国民の権利であり国民の責任であるにも関わらず、自分はそこに何の関与もしようとしない他人任せのくせに、文句だけは一丁前に言うというのが現状です。 いやまだ、文句をいうだけマシなのかもしれず、他人任せというのは無関心や諦めによる権利の放棄に行き着いてしまうところもあり、最終的には一部の権力者や金持ちの良いように物事が進められてしまうわけでしょう。