- 締切済み
日本人中国人、韓国人は、小麦を食べるのに、体に会っ
日本人中国人、韓国人は、小麦を食べるのに、体に会ってない気がするんですが、どうでしょうか? 弥生時代とかから日本人で小麦食べてますか? うどんを食べ始めたので、どのくらいからですか? 日本人の体に合って、ないような気がするんですけど?
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tabey0okome
- ベストアンサー率58% (124/213)
おっしゃる通りです。 「身土不二(しんどふじ)」と言って、生まれ育った地元の恵みが最も体に合い、積極的に食べましょうという考え方があります。 おうどんの日本での発症は諸説ありますが、遣唐使がもたらしたと言われているのでかなりの歴史がありますね。奈良時代には日本でも小麦が栽培されていたようです。 でも、小麦と相性がよくない日本人は時代を重ねて増えてきて、現在は5人中4人もの割合なので「日本人の体質には合わない」と言えます。 特に昔よりもおいしさを意識した食感にするための品種改良でグルテンが増えているので体に合わない方も増えました。でも、毎日おうどんやパンを食べて健康な方も大勢いらっしゃいます。 生姜や舞茸、納豆、キウイ等のグルテンの消化をサポートするものと一緒に食べられるといいですね。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11129/34638)
「日本は日本人の体に麦が合わなかったから米を食べるようになった」わけではありません。他の皆さんがおっしゃるように少なくとも弥生時代にはおそらく米と同じくらいのタイミングで日本に伝わってきています。 ではなぜ日本では麦栽培が広まらなかったのかというと、最大の理由は「麦は連作障害を起こすから」です。同じ場所で同じものばかりを作っていると土地が痩せてしまって作物ができなくなることを連作障害といいます。麦はこの連作障害を起こしてしまうのです。 そこでヨーロッパでは、三圃制といって「麦を作る畑、違う作物を作る畑、休ませる畑」をローテーションで回すようになったのです。土地が沢山あるヨーロッパだからこそできることですね。 日本は耕作地が狭いので、ローテーションができるほどの広い土地がありません。 それに加えて、麦は生産効率が悪いのです。1粒からだいたい15粒から25粒くらいが作られますが、お米は1粒から最大で400粒までとることができます。麦は中世ヨーロッパでは1粒から3粒くらいしかできなかったともいわれています。 お米は連作障害を起こさず、さらに1粒から大量生産することが可能です。ただし、基本的に南の植物なので冷害に弱く、水田にするために大量の水が必要です。けれど幸いなことに、日本では「湯水のごとく」という言葉があるくらい水が豊富だったので米作が普及したのです。 朝鮮半島はお米を作るにはちょいと寒すぎたので、基本的にお米が美味しい地域ではありません。だから彼の国では「ご飯とおかずを混ぜて食べる」って文化になったらしいです。お米が美味しくないからおかずと混ぜちゃうのです。 韓国で米どころとして有名なのは、南部の全羅南道です。ここは朝鮮半島では一番温暖な気候で平地が多く、降雨量が多くて水も豊富だからです。 韓国で麦作が主流にならなかったのは、日本と同じで耕作地が狭かったからでしょうね。 ちなみに戦中戦後を知る世代の父の話ですと、戦後日本では「日本人はお米ばかり食べていたからアメリカに戦争に負けた。だから日本人はパンを食べるべきである」という話がかなり真剣に交わされていたそうですよ。どうもGHQの陰謀ぽい話なんですけどね。
- aafafafa
- ベストアンサー率25% (13/51)
中国では紀元前3000年前頃から食べられていて、日本にも中国から弥生時代に伝わってきたようです。韓国もこの感じだとだいぶ昔から食べていそうですね。なんか思ったより長いですね(;^_^A 中国は他の国と地続きだし文化の交流も盛んでしたから、当たり前かもしれませんが。 身体に合わない??というのはどういうことか分からないですが…グルテンフリー信者の人ならそう思うのかもですね。
- Reynella
- ベストアンサー率51% (552/1073)
まったく合っていなければ、小麦から作った麺がこれほど日本の文化に浸透はしなかったでしょう。 大陸から日本に「穀物栽培」が伝わったのは紀元前1世紀~4世紀の弥生時代、別々に伝わったのではなく、稲も小麦もその他の穀物も一緒です。ただ、当時伝わった穀物の中では、米が最初から日本での耕作に適したので一気に広がったのに対し、小麦は乾燥気候を好む上、収穫時期が梅雨どきであったことで積極的に栽培されることはなかったようです。 うどんは遅くとも室町時代。室町時代の日記類に饂飩(うんどん)、うとんの言葉が現れている。小麦粉でつくっためんを細かく切って煮て食べたことから切りめん、切麦とも呼ばれています。索餅、索麺、素麺という言葉も使われていました。 天武天皇の孫・長屋王の邸宅跡(奈良市)から出土した木簡に「索餅」という言葉があり、これが麺を表すという説は有力ですが、まだ確定はしていません。これがそうなら、8世紀ですね。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1504/3660)
>日本人中国人、韓国人は、小麦を食べるのに、体に会ってない気がするんですが、どうでしょうか? そのようにお考えになる根拠は何でしょうか。 中国は世界最大の小麦の生産国であり、世界最大の小麦の消費国でもあります。饅頭や餃子、麺類など中国料理で小麦(粉)を使うものが多いことはご存知のとおりです。「身体にあっていない」ならそうはならないでしょう。 日本では弥生時代の中期ころには小麦が伝わったと考えられています。各地の遺跡から出土しています うどんの起源には諸説あって定かではない(古いものでは弘法大師が中国から伝えたという説まであります)ようですが、江戸時代の前半には現在のようなうどんが広まっていたと見られます。浮世絵にも落語にもうどんが登場します。農村などでは「ハレの日」のごちそうだったようで、現在でも婚礼にうどんを食べる風習が残っている地方があります。 小麦アレルギーの人にとっては「身体にあっていない」ことは確かですが、日本人中国人、韓国人一般についてそうは言えないと考えます。
はい。それでよろしいかと思います。