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福留繁中将の真珠湾攻撃の謎
pri_tamaの回答
>戦後、わずか数年の状況でどうやって情報を入手したのか、非常に不思議です。どう思われるでしょうか? GHQの戦史室調査に協力(強制された?)したからでは? ⇒有名どころだと大井篤大佐(海上護衛戦を上梓)や千早正隆中佐(戦史作家)がいらっしゃいます。 なお、GHQは終戦直後に幣原喜重郎内閣下で設立した戦争調査会を廃止させた事からも分かる様に、日本独自の戦史研究を許可しませんでした。 (極東軍事裁判の判決結果の否定に繋がると見られていた。) なお、日本独自の戦史編纂「戦史叢書」は、米国からの資料返還や元軍人からの資料提供があった事から、1966年頃(20年以上経ってます。)より本格化します。 ちなみに福留繁中将は、終戦直後は戦犯として抑留(禁固刑の実刑)されており、個人としての戦史研究は非常に不利です。 ただ、彼は戦後に野村吉三郎大将を中心とした旧海軍高級士官グループに参加し、米国と協調した上での再軍備(自衛隊の創立)に尽力しており、自衛隊設立後は防衛庁の顧問に就任していることから、米国とのコネクションは相当強いものと思われます。 (アメリカ対日協議会とかCIAとか、その手の陰謀論が大好きな方が注目する組織が目白押しなグループです。)
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