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福留繁中将の真珠湾攻撃の謎

kouki-koureisyaの回答

回答No.3

福留繁中将の真珠湾攻撃の謎 2024/03/24 20:50 海軍乙事件で有名な、元連合艦隊の参謀長、福留繁中将の「 史観 真珠湾攻撃(自由アジア社)」を読んでいるのですが、海軍大学を首席で卒業した人だけに、非常に細かい所まで踏み込んで説明してあり、時として、この情報はどうやって入手したんだろう、と何回も思いました。というのは、この本は昭和30年に刊行されているので、少なくとも、昭和29年頃までには原稿は出来上がっていたのではないかと思われるのですが、例えば「11月27日、(米軍の)作戦部長は、戦争警告と呼ばれる左のような電報を送った。「対日交渉は既に終わり、日本側の攻撃行動は数日間内に起こされると予期される。…」」 このような情報はじめ、米軍の対日戦略に関する内容や命令など、実に細かく記載されているのです。当時は当然、インターネットもなく、戦後、わずか数年の状況でどうやって情報を入手したのか、非常に不思議です。どう思われるでしょうか? 私は、秦郁彦氏の「陰謀史観」(新潮新書2012年2月初刊)を愛読しています。 第二次世界大戦ではいわゆるガセネタが横行していますが、ガセネタを一つ一つに根拠を示して批判しています。 一部抜粋:連合艦隊、とくに空母機動部隊が気軽に「無電封止」の命令を無視し、南雲長官自らごく軽い内容の連絡発信を何度も繰り返している傍受史料や、機動部隊が日付変更線を越えハワイ近海に至るまでアメリカ側がほとんど連日、「今日はここまで進んだ」と逐一地図上で全く手に取るように日本艦隊の航行を把握していた、という米軍情報史料を読まされると、日本人として何とも言えない哀感を禁じ得ない。以下略。 とにかく、びっくり仰天の新史料が発掘されていますね。

tahhzan
質問者

お礼

そういう裏情報みたいなものもあったんですかね…なるほど。ありがとうございました😊

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