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戦国時代の入浴について。

この時代の風呂は蒸し風呂というサウナ式で、現代みたいに湯や水が入った 浴槽に浸かる習慣はなかったと聞きましたが本当でしょうか? 戦国時代を扱った創作では、よく木造式の浴槽に浸かったりする シーンを見かけますが… この時代の庶民や農村の人たちは、湯や水で体やを洗う習慣は 無かったのでしょうか?

  • 歴史
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みんなの回答

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (811/3029)
回答No.4

変遷期ですねえ。 戦国時代の風呂というと貴族や上級武士の一部が蒸し風呂を利用していましたが、たぶん一般的なのは井戸で水をかぶるとか河に入るとかでしょう。 そして信長政権下の京で秀吉等上級武士が湯につかる現代でいう風呂を導入し始めた、現代式の風呂の起こりの時期ですね。秀吉は行く先々で風呂を用意したり家臣や賓客を風呂でねぎらったり風呂好きで有名です。その他蒲生風呂など上級武士の一部に家臣を風呂でねぎらう風潮が出始めます。 庶民には蒸し風呂さえまだまだ贅沢です、どうしても燃料費がかさみますので。庶民の風呂は銭湯の普及を待たないといけないでしょう。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (377/1167)
回答No.3

燃料は貴重でしたので、食事の煮炊きに使うだけです、 当然、サウナも湯舟は有りません。 河川や井戸水で身体を拭くだけです。 日本で湯舟を備えた住宅が出来て来たのは1970年頃からです。 昭和の一般家庭では銭湯に行きました、名曲「神田川」の世界です。

  • pluto1991
  • ベストアンサー率30% (1983/6579)
回答No.2

戦国時代の農民だって顔や頭ぐらい洗っていたはずでしょう。 >>浴槽に浸かる習慣 こういう事をするのは世界で日本人だけです。 日本以外でテイクアバスというのはシャワーを浴びること。 浴槽に入る文化の理由はやはり温泉の存在なのでしょうね。

  • Reynella
  • ベストアンサー率51% (540/1042)
回答No.1

「温泉」が自然に湧出していた地域を除くと、「風呂」は蒸し風呂で、それすらも農民や下級武士には縁遠いものだったようですね。戦国時代の書簡には「風呂を馳走になった」という意味が書かれているものが結構見受けられます。(昔、石坂浩二さんが司会をしていた番組で、上杉謙信の家臣の手紙に書いてあって、盛り上がっていたのを覚えています) 温泉が出ていた地域では話は違います。例えば岡山県奥津温泉にある「鍵湯」の由来は、初代藩主森忠政が気に入って他人が入れないように鍵をかけてしまったから。つまりそれまではいろんな人がこの温泉を浸かっていた、ということです。武田信玄の隠し湯を筆頭に温泉にまつわる逸話はあちらこちらにあります。 湯を沸かす必要がないからこその贅沢。それがない地域では、風呂なんて蒸し風呂でも贅沢、ましてや大量の湯を捨てるふつうの風呂などとてもとても、という感じだったはずです。 川や井戸水で体を洗ったり拭いたりはしてたでしょう、当然。いくらでもある自然に沸いてくる水なら使うのに苦労はいりませんから。

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