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戦艦大和

戦艦大和の主砲は40キロ飛んだようですが、 海の上で40キロ先の敵艦隊が見えるのですか? 当たったかどうかもわかるのですか?

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  • oska2
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回答No.6

>戦艦大和の主砲は40キロ飛んだようです 当時は、大艦巨砲主義の時代でしたからね。 アメリカ海軍の、アイオワ級戦艦。 ドイツ海軍の、ビスマルク級戦艦。 色々と、各国と競争していました。 残念ながら、日本海軍の真珠湾攻撃戦法で戦艦の時代は終わった様です。 アメリカ軍は、「戦艦よりも空母・航空機」の計画に変更しましたよね。 >海の上で40キロ先の敵艦隊が見えるのですか? 見えませんね。 そこで、水上偵察機が敵艦隊の位置などを戦艦に伝えるのです。 位置が分かれば、目的地への攻撃は可能です。 未だ、レーダーが装備されていませんから「大和にも、水上偵察機の発進カタパルト」が付いていました。 ※水上偵察機の回収は、クレーンで行います。 >当たったかどうかもわかるのですか? これも、レーダーが完成するまでは偵察機によって確認します。 1942年に、海軍はレーダーを開発し艦船に装備します。 が、非常に性能が悪かったようですね。 1944年8月に当時としては納得できるレーダーが完成。 ヤマトにも装備されます。 このレーダーが、相手側艦船の状況を把握する事が出来ました。 「レーダーから消えました」は、撃沈の可能性が高い。^^; 余談ですが・・・。 昭和の末期に「大和の撃沈場所が確定され、水中カメラに収めされました」よね。 一部の部分を回収する計画もあがりましたが、遺族・元乗組員の要望で「海の墓標」とする事が決まりました。

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  • takochann2
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回答No.7

高いところにある巨大測距儀で見えていなければ射撃できないので見えていたはずです。ただその距離ではほぼ100%当たらないと言われていたそうです。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11203/34803)
回答No.5

艦橋の一番上に測距儀がありますけれど、あれが計算上40キロ先のものが見えるはずなんだそうです。ただしそれは戦艦大和と同じくらいの高さのものです。敵戦艦の艦橋やマストがチラッと見えるくらいの感じですね。 当たれば大爆発が起きるはずですから、それは分かるんじゃないかなと思います。 ただそれ以上に大問題なのが、「撃ってから着弾するまでの時間」ですね。計算上は最大射程で撃ってから着弾するまで98秒くらいかかるそうです。 だから撃つ側は相手の1分半後の位置を予想して撃たないといけません。 しかしいくら鈍重な戦艦といえど1分半あれば多少は位置をずらすことができますから、大和の砲煙を見てから右か左に回避行動をとることもできます。 上手く避けたつもりが逆に上空ではそっちに風が吹いていて、砲弾が流されて結果的にドンピシャで当たってしまったってこともあり得ないとは言い切れないですね。 なお、海戦史上最後の「戦艦同士の戦い」になったスリガオ海峡海戦では、夜間戦ということもありアメリカの戦艦艦隊は距離1万5000m以下で射撃していたようです。これはもう戦艦同士の距離ではないです。ボクシングでいうと双方が頭をぶつけるド近距離でのパンチになりますね。 もっともこのときは、アメリカの戦艦艦隊が火ぶたを切る頃には、扶桑は駆逐艦の魚雷で轟沈、山城も駆逐艦の魚雷で損傷を受けていたのでもう負け確な状況で寄ってたかってボコボコにされたという感じですね。 大和型の46センチ砲は、アメリカの戦艦がパナマ運河を通す関係で16インチ(40センチ)砲を搭載するのが物理的な限界だったので、それに対抗するにはどうすればいいかで生まれたものです。 方針としては「16インチ砲を沢山並べて火力で圧倒する」か「16インチ以上の大砲でより遠距離から当てに行く」かの二択です。それで後者をとったというわけですね。 前者のやり方は、日本人の気質から考えて採用はないと思います。貧乏性の日本人は、とにかく遠くに飛ばすことが大好きですから。ゼロ戦や一式陸攻もやたらと航続距離が長いし、陸軍が使ってた重機関銃も「遠距離でよく当たる」ことを重視していましたからね(なので発射速度が遅くて重かった)。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (679/1423)
回答No.4

戦艦の主砲の射程は、観測用の気球や水上飛行機が戦艦等の主力艦に搭載される様になった事(大正頃から)で順次伸びていきます。  →なので上記の観測方法が無かった金剛級の初期は、目視できる距離の射程しかなかった。 また、当時各国の海軍は空母に戦闘機を載せて相手の観測機を全部撃ち落として、自分たちのみ観測出来る状態で一方的に相手を攻撃できる状態を構築出来る策を必死に考えていました。  →所謂アウトレンジ攻撃 ただ、観測機を用いても長射程での砲撃が命中する可能性は数%程度です。  →各主砲は、百発前後しか搭載していないので全弾打ち尽くしても敵艦を沈められない事になります。 (対空や対地用の敵艦の装甲を貫通出来ない砲弾も一定数載せないといけないので) 戦艦大和でも他国の戦艦を廃艦にするのに数十発命中させる必要がある事も把握してましたし。  →帝国海軍は軍縮条約で廃艦とする事になった戦艦土佐に実際砲弾を撃ち込んで確認済み。 上記を把握した帝国海軍は、戦艦に期待しなくなり大和や武蔵の完成前に開戦を決断します。 よって敵戦艦の撃沈は、航空機や駆逐艦の魚雷に期待する事になり、技術開発と猛訓練に邁進する事になります。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (427/1332)
回答No.3

艦隊同士の戦いなら、まず命中しないでしょう。 艦砲射撃で地上の施設を破壊出来たでしょうが、その機会も無かった。 無用の長物の代表でしょう。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2131/8006)
回答No.2

戦艦大和の主砲は環境条件(風向き、風速など)によっては50kmぐらい届いたようです。水平線の向こう側にある敵艦隊が見えたかどうかですが、艦橋の高い位置から見えたかどうかはわかりませんね。レーダーが発明されるまでは、夜間攻撃をおこなわなかったりなど、目視で戦争をしていた時代ですからね。 命中したかどうかは命中精度が低かった時代ですから、不発弾や誤認が多かったようです。魚雷攻撃でも命中判定は難しかったようですし、炎や煙が上がれば命中したと判断していた時代ですからね。

  • 4500rpm
  • ベストアンサー率51% (3235/6341)
回答No.1

「水平線を越える射撃には航空機による観測が必要であった。」 「搭載機は弾着観測用の零式水上観測機(零観)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9E%8B%E6%88%A6%E8%89%A6#%E4%B8%BB%E7%A0%B2 通常は、射撃の精度を上げるために光学測距儀で行いますが、戦争の最後の方では電探(レーダー)も使用されたようです。

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