• ベストアンサー

不良気質の者のプライド

40年近く前に小中学生でした。 当時から正しくないし可笑しいと思っておりましたが、 R,Y君と云う私の1学年上の子が ① 苛々しているので、クラスメートや野球部の同級生や  後輩に因縁を付け、暴力を奮った。  「誰かにR,Yの悪口を云う様に仕向け、  悪口を云ったと因縁を付け暴力」 「その行為を先生に云うと「ちくった」と更に暴力」 「お前の帽子のかぶり方が腹が立つとか、  掃除の仕方が腹が立つと云って暴力」 ② そのR,Y君の行動を見た先生が止めに入ると、 R,Y君は椅子や机を蹴って暴れたのです。 その時の台詞が「あいつは何も悪い事をしていない、だけど 弱い奴とか喧嘩せずにのほほんと生きてる奴を見れば腹が立つ」 と云う様な事を云っていたと思います。 ③ R,Y君は高校も暴力沙汰で問題を起こし退学、社会人に成っても 何回か傷害罪で逮捕されたそうです。 当時からR,Y君の言動は不可解で理不尽なものに映りましたが、 体罰の云々(罰則やしごきは受け容れても)と云うよりも、 R,Y君はクラスや部活 塾等でも「以上でも以下でも無い感覚」 「(成績や野球の上手さは別として)普通にクラスメートや部員として」接する事が出来ず、相手に暴力を奮い、自分の立ち位置を探ろうとしていた感じだったと思います。 別に暴力を用いず、一クラスメート 一部員として過ごす事が 当時でも私は出来ましたが、R,Y君は「舐められる 馬鹿にされる」 「そうされない為に俺は常に闘っている」等と云って居りました。 部活動やブラック企業の問題、労働条件よりも上述の様なタイプが 直属の上司や同僚に居ると精神状態が病む人が多い様です。 当時でも野球部もR,Y君はじめ一部の人がこの様な感覚でしたので、 退部する人が続出してましたが、R,Y君はその人達にしつこく電話したり、待ち伏せし、「戻って来い」と恐怖で支配しようとしておりました。 A R,Y君は謝ると負けと思っている様で、 「自分は強いから一目おいて欲しい」と云う感覚だった様です。 B しごきや罰則の体罰を差し引いても、R,Y君はクラスメートや部員が「自分の領分を確保出来たらよい」と云う感覚が理解できず、 相手に暴力奮い、「歯向かってこい それなら根性がある」 何でも暴力で勝てば通り、そうしない(出来ない)人は根性がなく 馬鹿と云っていたと思います。 Ⅽ 野球の技術云々よりも上述の様な感覚が苦手でそれでも技術が認められプロに成った人も居ります。(古田敦也氏や落合博満氏等)  部活動の暴力沙汰等の問題もありますが、技術云々よりも上述の様な気質で暴力を行使する事で感情がコントロールされる人も居ります、その為に必要悪といえるものなのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

今では怒りのコントロールができない、暴力衝動が抑えられないと「発達障害」または「精神疾患」とされて、緩和治療の対象ですよね。 「発達障害」という言葉が浸透する前には「のび太・ジャイアン症候群」と一時言われて、暴力的なのは「ジャイアンタイプ」とされていました。 昔は就学前に幼稚園や保育所などへは行かず、団体行動を経験しなかった子も割と多かったかと。 今は共働き家庭が多く、保育所などに通う子の割合が多くなっています。 そこで暴力などの問題行動があれば、療育施設を勧められたりします。 昔では普通学級に通っていたような子でも、今では特殊学級を勧められる時代なのです。 部活動などの暴力も今では発覚すると「出場停止処分」になるほどの問題になることが多いようです。 今でもその2人の言動にモヤモヤしていらっしゃるのであれば「発達障害だった」と割り切った方がいいですよ。

hinomine1975
質問者

お礼

御回答戴き有難う御座いました。 確かに暴力的な子の対処の方法が研究されたのは良い事だと思います。 暴力や怒りの抑制が効かない人であったと思います。

Powered by GRATICA
全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (1)

  • 09252112
  • ベストアンサー率9% (4/42)
回答No.2

そいつらに必要なのは暴力ではなく筋肉だ!!

hinomine1975
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 仰る通り健全な肉体のコントロールが必要だと思います。

Powered by GRATICA
全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 不良気質とスパルタ教育は相性が良い?

     保育園や幼稚園 学校等で「決まりを守る」  という事や、運動会等で行進させる事等が、  災害や緊急時代宣言等での日本での対応が  身に付けられたのではないかと思います。  が、反面、人は抜きんでたいという思いもあります。  スポーツや勉強諸々の事で目標を目指す事は良い事かと思います。  唯、「試合に勝ちたい」と練習する事や「この点を目指して頑張る」と  いう事は私自身も行ってきましたが、幼稚園から今に至るまで、  人はそれぞれと思うし、自分の領分が守られるとそれで良いと  思って居りました。  が、生活や日常もこの様な感覚でないといけないというタイプの者がおりました。  彼は、4-5才位の時私が公園のベンチに座っていると「俺の席に座るな」と  暴力を振るわれました。  彼は家庭でも「勝たないといけない」「強く成れ」「男らしく成れ」と  父親から喧嘩で負ける、泣くと更に暴力を受けていたそうです。  彼は  1 幼少時より暴力への耐性は身に付けている  2 強い者には無条件に従う  3 その捌け口に弱い者苛めを行うが、絶対的強者(彼からすると父親や野球部監 督等)が居るので大荒れに成らないという事かと思います。  古代のスパルタ教育から軍隊、運動部等の「敵を倒す」という事にはこの手法が  良いという事なのでしょうか?  スパルタや軍隊も「いじめが横行」していたそうですが、お上に従えば、  いじめも認めて貰える、悔しかったらその組織で頂点になれという事なのでしょう か?  彼はその様な体制があっていたので、上下関係厳しい野球部でも動じず、  負けん気強く頭角を表しましたが、(いち早くレギュラー獲得)  野球部の大人しい先輩や同級生や後輩 クラスメートには嫌がらせや恫喝を  行っておりました。  が、彼は「俺は家で親父や兄貴から日常的に殴られている、悔しかったら  俺を倒せ」と彼の行動に目が余る、同級生の訴えに担任教師が注意すると、  こう答えたそうです。  野球部や運動部も顧問としては無意味な上下関係や、いじめ暴力は良くないし  無ければ良いと思っている人も多いと思いますが、彼の様なタイプが入部して、  部の中心になると、その様な空気に成ってくるのかと思います。  又、体罰やいじめはいけないというのは建前ですが、彼等が見捨てられる事にな  る、彼等の様な人間を何とか社会の枠組みに入れさせようとするのが、  スパルタを始めとする教育であり、その様な感覚を担っているのが、開星の  野々村直通氏や戸塚宏氏 田母神俊雄氏等の理論に成るのでしょうか?  唯、大人に成ると「法律が適応されるので」彼は家族(母と妻)への暴力や  職場の部下への暴力で逮捕された事があるそうです、未成年でもこの様な体制を  導入すべきかと思いますが、そうすると「彼等を見捨てる」と野々村氏は云ってお りました、やはり暴力的な人間を活かす道もありその為に普通の人も我慢して貰わないといけないという風に成るのでしょうか?  (彼が居た野球部、顧問よりも部員に彼の様なタイプが多く、喧嘩嫌い、血の気が  少ないタイプは早々に退部するか、幽霊部員状態になり、残ったのは彼の様な気質の者が多かったです、これが彼等を活かす道なのでしょうか?)

  • 1980年頃の体育会系気質について

    批判非難はするつもりは無く、その意義や愛情もある事は認めた上で 質問させて戴きます。 1 あくまで私の学校の話ですが、野球部やサッカー部  バスケット部 は血の気の多い人が多く、顧問は「理不尽な上下関係や暴力」は当時でも批判的でしたが、その部員の一部は 「周りに喧嘩を売る→そこで立ち位置を確認する→自分が喧嘩で相手を制したから此方は従って当然」と云う様な感覚でした。 2 高校や大学でも、灘高校等の進学校や東京大学や京都大学等の国立大学等の運動部は上下関係はあっても暴力的な人は少ないですが、 (近年に成って変わって来ましたが)スポーツ推薦で入る高校や大学は暴力で誰が強いか弱いかを決め立ち位置を確認する様な生徒が一部居た様に思います。  私は普通の公立校に進学しました、近隣にスポーツの強豪校があり、そこの生徒は私の学校の生徒に「道を譲らない」とか 「ぶつかった」等と因縁を付け、暴力を振るっていた生徒が居りました。(全てがそうだとは云いません) 3 上述の彼等の心理は「何か知らないけれども暴れてみたい」と 云う思いがあるのでしょうか?  (青山学院大学の陸上部が態度を重んじる姿勢で飛躍した実例や  桑田真澄氏が野球の体質改善について述べておりましたが) これは、「普通に云う事を聞く」人に適応されるレベルであり、 「暴力でしか聞かない」と云う人が居り、彼等に取っては、 あれで感情がコントロールされていくというものなのでしょうか? (私の小中学校時代の野球部の部員の一部は卒業後傷害罪で逮捕された事が あったそうです) 4 彼等は普通の教師や先輩が当たり前の事を云うと暴れ、 この人に叶わないと思うと、その人の云う事は聞くと云うものでした。そして、彼等に云う事を聞かせる教師や先輩が 「気合いを入れると」殴っても有り難いと受け容れておりました。 運動部の競技云々よりも、彼等の気質がこうであり、 「勝つ」と云う事でその理不尽さを肯定的に捉え胡麻化して いると云うものなんでしょうか?(別に体罰や根性論は否定しませんが、彼等は「暴れないでいる」事が不可能であり、枠組みの中で暴力を行使する事で内に囲い込めているのかもしれません) 5 普通に云う事を聞く人はこの様な組織は理不尽なものに映りますが、彼等は「叶わないと理不尽な事も従う(下に又それを要求するので)」 そして、そうしないと反社会的組織に入る人も居ると云う事もあると 聞いた事があります。 故大沢啓二氏 故星野仙一氏 張本勲氏等はそうだったと聞きましたし、 高校野球の強豪校の監督から暴力団組員に成った画家の山本集氏もそうだったと思います。彼等の気質で居心地の良い体制が「暴力を行使する」と云う体制何でしょうか? 「暴力は犯罪」真っ当な意見ですが、これは「暴れてみたい気持ちのない人間」に適応される事であり、その様な気質の者を認めて欲しいと云う事で上述の様な体制も必要と云う事に成るのでしょうか? 御回答御願い致します。  

  • 保守的な体育会系気質が肯定される土壌

    保守的な体育会系気質を肯定される方が居られます。 (長嶋茂雄氏や星野仙一氏) 彼等はあの土壌での成功体験があり、あの環境に身を置く事で感情が コントロールされていくと云う事なのでしょうか? 現在のWBCの日本の活躍やオリンピックでの記録の更新している現状を見ると、 必ずしもあのやり方が良いと思いません。 唯、見方を変えると、上述の人達の中で、 「あの様な環境でしかやっていけない」と云う人が居り、 それが「暴力沙汰」等の問題が起きているのだと思います。 だから、小中学校の野球部でもその様な気質の者が少ないと 苛めや暴力は比較的起こりにくいと思いますが、 「暴力好き」の人が多いと、問題が起こっていると思います。 暴力や苛めはあってはならないし、未成年でも隔離や出席停止も検討されてますが、これは暴力や苛めを行使しなくても生活できる人間に 適応される事であり、正しくないし許されないが、 「なんか知らないけれど暴れてみたい思いがある→殴りあう事で位置を確認する→叶わない人の云う事は聞く」と云う人が居り、 その様な感覚を理解して欲しいと云うのが、上述の体育会系気質なのでしょうか? 又、現在は変わってきておりますが、その様な人が運動神経が優れ、 レギュラーになると、その様な気質を肯定していくような風潮があるのだと思います。

  • 1980年頃の国士舘や日体大の気質について

    罰則としての体罰を差し引いて、 1980年頃の国士舘大学や日本体育大学の卒業生の手記を読むと、 国士舘大学では入学して、クラスや寮で誰が強いかと云う事で殴り合い、序列が生まれて来ると云う様な事が書かれておりました。 又、日本体育大学も2回生に成り丸刈りの規制がなくなると、それを祝って先輩が椅子や机で殴ると云う事を云われていたと思います。 1980年頃に中学生でしたが、上述の学校を卒業して教員に成った人に教わりました。 その人は、「暴力に耐えれる人が可愛く」 「特に非道をしていないが暴力的な感覚に馴染めない生徒」を 「なんか嫌」「根性がない」と嫌っている様な感じでした。 (この教員が顧問をする部活動は正しくその様な感じでした) 運動部の体罰の問題(全否定はしませんが)から 此方が非常識と思っている事が、常識で一種の治外法権的なものがあるのでしょうか? (全てがそうだとは云いませんし、全否定しませんが) 小学から大学までスポーツ一筋、スポーツ推薦で来た人の証言は 「暴れてみたい気があり、この人に叶わないと抑えられたので (理由もなく殴られる事等)良かった、感謝している」と云う様な事を云っておりました。  私も躾けられる存在ではありますし、罰則も必要だと思いますが、 「意味もなく殴られる」事は当時から可笑しいし引いてしまう処がありましたが、上述の大学(組織)や部活動等はそれで感情がコントロールされていくと云う事に成るのでしょうか? (大阪桜宮高校の体罰の問題も自殺者が出ましたが(私もその立場だったらそうなっている)、上述の同級生でそれをクラスなどに鬱憤晴らしを行っている生徒も居りました。彼等にはこれが感情がコントロールされていくと云う事なのでしょうか?) 故に上述の様な組織も必要悪的なものなのでしょうか? 御回答御願い致します。

  • 暴力的な人を受け入れてくれる組織も必要?

    「暴力がスキンシップの人も居る」 https://okwave.jp/qa/q10091715.html と云う処でも質問させていただきましたが、 公立の小中学校ではその地域に居るだけで様々な人が入ってきます。 絶対正しくは無いし、良い事だと思いませんが、極一部の人は 「暴力を行使し自分の立ち位置を確認する」と云う人が同級生でも 居りました。 良く運動部の体罰が問題に成っておりますが、此方が悪い事をした場合を除き、私の小中学時代も極一部の人は 「苛々しているから暴力」 「その暴力に耐えれた者だけが根性がある」 と云う様な処で組織が暴力的に成っていく処があります。 (運動部の理念(当時でも顧問や部長はその様な事を否定していたが) とは別に暴力的な人が居るとそうなる処があります) ① 前述のY君はじめ数人の人間は、 「この人には叶わないと 思わないと基本的な事も聞かない」 「その代わり腕力で叶わないと云う事を聞く」 と云う感じでした。 これは、両親はじめ、周りの環境が大きいのでしょうか? ② 罰則の体罰とは別にして、彼等の思いが発揮できる組織が 暴力を行使し、感情がコントロールできる組織に成るのでしょうか? 叱咤激励とは別に、野球部等にはこの様な部員が居り、 非行防止よりも野球部と云う枠に囲い込む事でその暴力性を 正当化(私は正しいとは思わないし、当時でもおかしいと思ったが、鍛えてやっている)出来ている処があると云う事に成るのでしょうか? ③ 無意味な体罰(罰則の体罰は別として)やいじめは絶対にいけない し、現在態度教育等でタイムを伸ばしたアスリートも居られ、必ずしも スパルタ教育が正しい事だとは思わないし、昔の叱咤激励するレベルを超えて、前述のY君の様なタイプが運動部でレベルが高いと、 どうしてもY君が周りに無意味な暴力やいじめを行っても「鍛えてやっている」と正当化されていき、Y君の様なタイプの気持ちを何処か受け入れているのが、「暴力で序列を造る世界」になるのでしょうか? ④ 何処かの野球部や柔道部の顧問が 「この人は怖いと思わせやきを入れ従わせる→そこで信頼関係が生まれる」と云っておりましたが、この様なタイプも居り、彼等にとっては この様な感覚で感情がコントロールされている様です。 Y君は野球の勝ち負けよりも、暴力で圧倒し服従させる、そうすれば通ると思っている節がありました。 もしかして、正しくはないが彼等の様な心理の者を活かす道として、 「強いから従う、暴力で圧倒」と云う組織があるのでしょうか? このあたりの事をご回答いただければと思います。

  • 暴力で感情がコントロールできる人も居る。

    1980年頃の某大学の体育学科では入学すると、クラスや寮で誰が強いかを決める為に殴り合いの日々が続き、序列が生まれてくる様な事が その大学の卒業生である自伝的小説に書かれておりました。 当時小中学生でしたので。罰則の体罰(立たされる、走らされる等も含めて)は受け容れておりましたが、上述の様な感覚は嫌で不可解でした。 が、部活動(私の小学中学には野球部にその様な人が多かったです )等ではやはり、周りに喧嘩を売り、勝ったとか負けたとかその様な事で立ち位置を確認する同級生が居りました。 部員の一人は、大人しい部員や部外者のものを盗ったり、 意味もなく暴力を振るい、「俺を倒せ、そうすれば止めてやる」 「以上でも以下でもない自分の領分が守れたら良いと云うのは甘えている」と云う様な事を云っていたと思います。 教育は強制であり、ある程度強制で動く事は理解できますし、 それに付随する形でスパルタや根性論もあったのだと思いますが、 彼等を見ていると「自分の領分が守れたらそれでいい」 「切磋琢磨するのは良いが、勝っても何をしても良いとは思わないし、 負けても居場所がない事は無い」と云う感覚が理解出来ないようでした。 彼等の心理は ①学校部活動で上位(私は余り拘っていなかったが)支配する立場に成る様に戦う(周りに喧嘩を売り、相手を制する) ②自分も体罰を行使しているので、叶わない人の云う事は聞く ③以上でも以下でもなく、自分の領分を守れたら良いと云う人の行為が 理解できない とこの様な感じでしたが、近年は変わりつつありますが(運動技能が無いと無理ですが)運動部の苛めの問題も上述の様な気質の者が多いと起こっている気がします。 又、彼等の親や周りの大人は「いじめや暴力は駄目」と云う感覚でなく 「強く成れ」「負けるないわしてこい」と云う躾をする人が多かったと 思います。 例に出して悪いですが、野球選手や相撲の力士も「なんか知らないけれども暴れてみたい」と云う人がおり、彼等の受け皿として上述の様な組織は必要なのでしょうか? 私の小中学校の野球部も顧問や部長は理不尽な暴力には批判的でしたし、それが嫌で退部は認めてましたが、上述の一部の部員はしつこく電話したり、待ち伏せし、暴力を行使すると云う感じでした。 この顧問や部長がもっと怖くて叶わない人なら彼等の暴走を抑えられて良いと云う事なのでしょうか? 「意味もなく殴る」事は引いてしまいますが、これが彼等にとって感情がコントロール出来る術に成るのでしょうか?

  • 体育会系部活動と不良とは相性が良い?

     今から40年ほど前にとある高校野球の強豪校の監督が  「不良になるか野球に打ち込むかその様なギリギリの綱渡りの処   でやっている気質の子の方が鍛えがいがあるので好き」  「特に非道はしないが、以上でも以下でもない気質の子を  どう扱って良いか解らない」と言っていたと思います。  桑田真澄氏や古田敦也氏等が野球の体質改善を提言されましたが、  彼らのような気質は少数派で清原和博氏の様な気質の者が多数を  占めているのでしょうか?  いじめや暴力(罰則 指導的な体罰は別として)はいけないというのは  建前ですが、人種的に暴力 いじめ好きな者がおります。  私の同級生でもその様な人種の者は「暴力」を行使し、「いじめ」を行い、  それが、「部活動」という枠に囲い込む事で、大荒れにならずに済んでいる  という感じでした。  「いじめ肯定論」を説く、著名人がおります。私は嫌いですが、上述の人種の者の  思いを発揮させてやりたいというところなのでしょうか?  私は小中学時代でも基本的なことは聞いており、暴力やいじめは嫌いで、  以上でも以下でもない感覚でしたが、上述の人間の思いを発揮させてやりたいと  なると、いじめ暴力嫌いの人間は目障りな存在になるのでしょうか?  このあたりのことをご回答戴けたらと思います。  

  • 昔の野球部は喧嘩延長で入った者が多い

     小中学時代(あくまで私の同級生ですが)  野球部でエースだった人は、組織でも周りに喧嘩を売る、  そこで勝ち負けに拘り、自分は学校でボスになったと豪語する。  自分に逆らう人間にはいじめや暴力を振るう、とその様な感じでした。  当時から(未だ水を飲まないとかその様な指導法はあったが)顧問や監督は  無意味な上下関係や暴力は否定的でしたが、彼等が暴力的な感覚でしか  やっていけない様な感じであったと思います。  部活動等の暴力 いじめの問題がありますが、彼の様なタイプが居るので  無く成らないし、彼はいじめも悪い事とは思って居らず、弱いから悪いと  いう事だったと思います。  だから、彼の様なタイプはこの人には叶わないという存在の云う事は聞き、  その様な体制に身を置く事で辛うじて抑制できるという事なのでしょうか?  ブラック企業の問題などありますが、  彼の様なタイプは「そこでしかやっていけない」という感じなのでしょうか?  体罰肯定する者(そこにはそこの愛情はあると思いますが)  (長嶋茂雄氏 星野仙一氏 清原和博氏等)は自身も似た様なタイプだったから  なのでしょうか?  例えば、私は「特に害が無ければ、弾く必要も無いし、クラスでも部活動でも支配したいとかという気はないが、貴方に乱暴された事が理不尽だ」と 彼にいうと「以上でも以下でも無くのうのうと暮らしているのが気に入らない」 「勝って食べられるというのを経験していないのが甘えている」と云われましたが、 この様なタイプが野球などのレギュラー争い、負けん気 闘争心等では頭角を表し、 残っていくのでしょうか? ご回答お願い致します。

  • DVは愛情の裏返しなのでしょうか?

    私の同級生のY君は 「同級生に自分が強い事を示す為に暴力→相手が距離を置こうとする →更に暴力監視で相手を従わせようとする」と云う感じでした。 先生や周りの人に理由を聞かれると 「避けるから」と云いました。 つまり「暴力により自分が強いので従って欲しい」と云う心理だった様です。そして、同級生に対する事も「俺はあいつを殴った、でも 俺が他校からあいつを守ってやっている」と云う事を先生に云ったそうです。 又、Y君の御父さんも女性と交際する時、「相手が拒否すると暴力→ とことん追いかける(警察沙汰に成った事もあった様です)」 (Y君の御父さんはある時期から傷害罪で逮捕され刑務所に入っておりましたが、出所後も御母さんは「離婚したい」旨を伝えておりましたが、御父さんは強引に押しかけ、上述の様な事を繰り返しておりました、唯御父さんは数回目の結婚で、御母さんに強引に同じ手口で結婚した様です) ① 昔運動部で体罰の問題等がありましたが、Y君の様なタイプが 自分の思いを発揮出来る場として、(練習とは別に心理的に) 存在したのでしょうか? Y君も小中学時代所属した野球部で 「周りに喧嘩を売る→立ち位置を確認する→暴れたり暴力を振るうが 怖い先輩にだけは従うので統制は取れ纏まっていく」  と云う感じでした。  罰則は別として、彼等の心理を発揮できるのが、 運動部や昔の体育教師の心理なのでしょうか? ② Y君は「叶わない人が夜中の2時や3時に来いと云うと受け入れ、  叶わない人が気合いを入れると殴っても受け入れ、その反面  普通の人に「なんかしらないけれど腹が立つ」等と云って因縁を  付け暴力を振るってました。  これはY君の家庭の躾が大きいのでしょうか?  正しくは無いし、可笑しいが、  Y君の家族は 「認めて欲しいから暴力→相手が避ける→更に暴力監視」と云う感じでしたが、良く間違えても「謝ったり頭を下げると馬鹿にされる」」と 云う事を云ってましたが、「強いから従って欲しい」と云う事だったのかとも思います。 これはY君の家族の愛情と云う事だったのでしょうか? 御回答お願い致します。

  • 暴力でしか云う事を聞かない人への対応

    「社会的存在にする教育」https://okwave.jp/qa/q10000183.html の事と少し似ているかもしれませんが、 公立の小中学校等ではその地域にいると云うだけで様々な生徒が入ってきます。 私は1980年頃に小中学生でした。当時罰則としての体罰は受け容れておりましたし、特に教師にクレームを付けた事は無かったのですが、 教師よりも当時いた生徒の方に矛盾を感じました。 私は当時から「意味もなく殴る」事は引いてしまうし、可笑しいと思いましたが、同級生の中には殴られて「この人には叶わない」と思い従い、そうしない教師を馬鹿にして云う事を聞かないという感じでした。 罰則ややむ得ない場合の体罰は差し引いて、私はこの様な感覚は当時から、嫌いでしたが、「殴られ」この人には叶わないと思い、 それで「枠組みに入り」怖い教師の「気合いを入れる」「白でも黒と云え」と云う事も従い、普通の教師や大人しい生徒(同級生)を苛めるが、怖い教師の存在があるので、大荒れに成らず纏まっていくと云う様な感覚でした。 ブラック部活動やブラック企業などの問題があります。 任務の遂行(企業では職務を全うする等)を行っても、 上述の彼等の感覚に併せないと、此方が「駄目な奴」と思われる様な 事があります。 小中学時代に同級生に因縁を付けられ暴力を受けました。 私は意味もなく殴られる事は可笑しいと思ったのですが、 彼の言い分は「殴って歯向かってくると思った、そうすると根性が有る奴と思うのに、一々泣き言言いやがって」と云う様な事を云われました。 ブラック部活動やブラック企業の問題は顧問である教員や企業理念とは別に、上記の様なタイプが部員で直の先輩に居たりすると起こっている様な気がします。 上述の彼は野球部で大人しい同級生がレギュラーに成ると「調子に乗るな」と彼を退部させる。 同級生にも「自分に逆らうと怖い」事を示す為に、威圧的行為を行う。 と云う感じでした。 この様なタイプを枠組みに入れ様とするとどうしても暴力的指導に成るのでしょうか? (体罰を行わない代わりに、暴力的な小中学生は「教室に入れない」 「学校に登校させても、保健室などに隔離する」と云う事をしてはどうかという案が出ておりましたが、島根の開星高校野球部監督の野々村直通氏は「彼らを見捨てることに成ると」云ってましたので、 殴りあうと云う事の日常で枠組みに入れると云う事がやはり彼等にとっては望ましいことに成ると云う事に成るのでしょうか?) 御回答御願いいたします。