昔の野球部の闘争心と暴力の問題

このQ&Aのポイント
  • 昔の野球部では闘争心が高く、喧嘩延長で入部する人が多かったとされる。
  • エースだった人は組織でも喧嘩を売り、勝ち負けに拘り学校でボスになったと自負していた。
  • しかし、顧問や監督は無意味な上下関係や暴力に否定的であり、暴力的な感覚のある人の存在は部活動の暴力やいじめの問題につながっているのではないかと考えられる。
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昔の野球部は喧嘩延長で入った者が多い

 小中学時代(あくまで私の同級生ですが)  野球部でエースだった人は、組織でも周りに喧嘩を売る、  そこで勝ち負けに拘り、自分は学校でボスになったと豪語する。  自分に逆らう人間にはいじめや暴力を振るう、とその様な感じでした。  当時から(未だ水を飲まないとかその様な指導法はあったが)顧問や監督は  無意味な上下関係や暴力は否定的でしたが、彼等が暴力的な感覚でしか  やっていけない様な感じであったと思います。  部活動等の暴力 いじめの問題がありますが、彼の様なタイプが居るので  無く成らないし、彼はいじめも悪い事とは思って居らず、弱いから悪いと  いう事だったと思います。  だから、彼の様なタイプはこの人には叶わないという存在の云う事は聞き、  その様な体制に身を置く事で辛うじて抑制できるという事なのでしょうか?  ブラック企業の問題などありますが、  彼の様なタイプは「そこでしかやっていけない」という感じなのでしょうか?  体罰肯定する者(そこにはそこの愛情はあると思いますが)  (長嶋茂雄氏 星野仙一氏 清原和博氏等)は自身も似た様なタイプだったから  なのでしょうか?  例えば、私は「特に害が無ければ、弾く必要も無いし、クラスでも部活動でも支配したいとかという気はないが、貴方に乱暴された事が理不尽だ」と 彼にいうと「以上でも以下でも無くのうのうと暮らしているのが気に入らない」 「勝って食べられるというのを経験していないのが甘えている」と云われましたが、 この様なタイプが野球などのレギュラー争い、負けん気 闘争心等では頭角を表し、 残っていくのでしょうか? ご回答お願い致します。

noname#250543
noname#250543
  • 野球
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yaasan
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回答No.1

人間の生き方にはあらゆる面で平等に、と弱肉強食で強いものが残っていくという矛盾を共存させています。スポーツに限ると頂点を目指すにはみんな仲良く、では一番を達成することはかなり難しく、どうしても周りを蹴落としてでも勝たないといけない精神が大事になります。そのヒエラルキーの中で過ごしていくと平等という精神が追いやられていくことは仕方ない面があります。そしてヒエラルキーを守るために暴力を指導の一つにして、力による制圧を利用することも割と当たり前に存在しました。 スポーツをやる上での勝負の中ではそれだけが大事なのですが、そのための練習や他の集団の時にはどちらかというと平等である事の方が大事に扱われないといけないので、そのバランスを取るのはなかなか難しいのが現実かと思います。 ですから、いわゆるそういうタイプの方が頭角を現しやすい環境でありました。今はちゃんと平等である方が大事な場所ではなるべく平等に指導を受けたり、練習(学習)をしたり、そういう環境も整って指導される子供もそれをよく理解してきたので、普段は真面目で好青年の方がスポーツで頭角を現す環境になっています。インタビューを受ける選手を見れば、嫌な印象を受ける選手が減っていることを感じると思います。 全ては環境とそれに沿った教育が大事で、教えられる子供は素質と努力と努力を支える負けん気が備われば、どんなタイプでも頭角を表せる世の中になったと思います。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 人間の生き方にはあらゆる面で平等に、と弱肉強食で強いものが残っていくという矛盾を共存させています。    確かに、平等に権利はありますが、受験、資格試験やポストへの競争等もそうかと思います。  スポーツも勝負の世界ならばそうかと思います。 スポーツに限ると頂点を目指すにはみんな仲良く、では一番を達成することはかなり難しく、どうしても周りを蹴落としてでも勝たないといけない精神が大事になります。そのヒエラルキーの中で過ごしていくと平等という精神が追いやられていくことは仕方ない面があります。そしてヒエラルキーを守るために暴力を指導の一つにして、力による制圧を利用することも割と当たり前に存在しました。 蹴落としても勝つ、その為の秩序を守る為に、力に依る制圧が必要と成ってくるということなのかと思います。 スポーツをやる上での勝負の中ではそれだけが大事なのですが、そのための練習や他の集団の時にはどちらかというと平等である事の方が大事に扱われないといけないので、そのバランスを取るのはなかなか難しいのが現実かと思います。 上手い人が勝負には勝つ、しかし練習や他の場では平等性、即ち、私が先程申しました、誰でも練習に参加できる権利や上手い人を引き立たせる存在 マネージャー等も認められないといけないのですが、どうしても勝つ事を主体に置き、攻撃性で性格は悪い者が頭角を現すと、 可笑しいと思いつつも、彼等の思いに併せざる得ず、その秩序を保つのがこれも可笑しいのですが、暴力に成る抑圧という事に成るのでしょうか?

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