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体内にリンパ腫ができていると診断されました

原因不明の体調不良が続き、 先日受診した病院でCT検査を受けた結果. 小さいがリンパ腫があると診断を受けました。 今後、複数の検査の後治療方針を決めるとの事です。 話は変わりますが、俺の生い立ちについて話したいと思います。 俺は容姿も頭脳も身体能力も何もかもが平均より劣り、辛酸を舐め続ける人生を送ってきました。  特に容姿に関して、悪気の有無関係なく中傷を受けてきたもんです。 劣等感から友達も作れず、ブサイクで何の取り柄も才能も皆無なのでモテたことなどなく彼氏彼女ができた事もありません。 家は裕福だったので、子供の頃は色々習い事をさせてもらいましたが、元々のスペックが低すぎるので、何一つものになりませんでした。 ※ちょっと金持ちの、のび太君をイメージしてもらうとわかりやすいと思います そんなダメな自分を見兼ねた母親からは、ずいぶん暴言を受けました。 大人になっても要領の悪さは治らず、何の仕事に就いても使いものにならないばかりか、周囲とも中々打ち解けられずに、劣等感から長続きはしませんでした。  発達障害を疑った親に、色々病院を紹介されましたが、ありがちなアドバイスをもらっただけで、 特に病名等付きませんでした。 多分、発達障害のグレーゾーンの軽い方なのかも。 その後色々ありまして、 今は父の経営する会社に就職し、そこそこ整った生活を送ってますが、時折自分のダメさが露出するたび、過去に受けた屈辱がフラッシュバックするたび、早く死にたいと死を願ってました。 小さい頃から怪獣が好きで、趣味の一つとして高額の大型フィギュアを集めているのですが、いい年して幼稚な趣味を持つ自分も嫌です。 だから、リンパ腫の診断を受けた時、ショックや恐怖もありましたが、このまま何もせず、風邪薬で頭痛などの症状を誤魔化してやり過ごせば、いずれ末期となり死ねるのではとも思うんです。 不甲斐ない自分なんか大嫌い。 悪化して夜中寝てる時に突然死できれば、このまま生き恥を晒し続けるより、楽に死ねるのではと。 多分、リンパ腫が仮に完治し再発もしなかったとして、早く死にたいと思いながら生きることになるでしょう。 だったら、理想の来世に思いを馳せて早死にするのも悪くないと思います。 皆さんはどう思いますか?

みんなの回答

回答No.1

この場所でご相談してくださってありがとうございます。 お辛いですね。 質問者さんのその辛さや悩みは、質問者さんにしかわからないので、自分の体験と、その後どうしたかを共有するだけしかできないのを不甲斐なく思います。 わたしは難産で生まれ、その時に使った薬のせいで肌が黒く、子供の頃は体が弱い上に、肌が人より黒いことでイジメを受け、その後、自分が外国国籍だと知ったのはそのことで上級生からから集団リンチを受けた時です。その後、高校生になるまで国籍によるひどいイジメを受け続けました。 難産で薬を使って自分を産んだ母親を恨み、中学の時に日本に渡ってきた両祖父を恨み、一つの人種しか受け付けない二つの母国を嫌悪して育ってきました。 あまりに生きる望みを無くしたので、免疫力が低下し、神経に菌が入り込んでしまい、手足の筋力、最後は心臓も動かなくなるかもというギランバレー症候群と診断されてしまいました。 その時、それまで死んでもいいと思っていたのに、急に死ぬのが怖くなリました。死ぬのが怖いというより、車椅子に乗せられて、このままベットから動けなくなり、心臓停止まで行くまでにどんな苦痛や羞恥が待ち受けているのかへの恐怖心だったのかもしれません。 死に至る恐怖と死んでから楽になれるかもしれないという期待を天秤にかけ、天秤が傾き、何度も自殺を試みましたが、最後の最後に、家族に発見されこの世に連れ戻されました。 その後、心理カウンセリングを受けたり出会いもありで、だんだんと立ち直ることができて、現在は死ななくてよかったと思える生活をしています。 正直カウンセリングは役にたたなかったと思っています。それよりも、西洋医学に携わっていながら、実家がお寺の住職という主治医に出会い、色々とさとしを受けることができたのがよかったのかもしれません。 彼が言ったのは大体こんな内容だったと思います。 「体の構造はとても不思議で、自分の体の外からくる異物に対しては、徹底的にそれを排除しようとして免疫が働く。それをしないと、あなたのように、神経の伝達に問題が出て、当たり前だと思っていた歩くという運動すらできなくなる。 この日本という国、あなたのもう一つの国、職場や学校や友達のグループにはそれぞれ個別にそのグループを維持しようとする力を働かせて、違うものを排斥、差別しようとする。それは自然に備わった普通の働きのように見えたりする。 一方で、細胞一つ一つをみてみると細胞の中には、ミトコンドリやリボソームなんっていう一見一つの独立した生き物のようにも見えるものが共存して細胞活動を推進している。その細胞が何兆個も集まって、体内に宿る他の菌たちと関係しながらも、それぞれが勝手に自分たちのためだと思って行動していることが、体全体を一定に保つために動いている現象のように見えたりする。結果それが個体を生かすための生命活動につながっている。 分離を見せられたあなたは、これから皆が協力し助け合うところを見せてもらえると思うよ。だから、今は我慢して、生きてみてもいいんじゃないかな。 そんな日は来ないかもしれない。こないかもしれないけど、もし、そんなところに出会えたら素敵じゃないかい。それを希望って呼ぶんだ」 その話を聞いた時は、暴言を吐いて退けたのですが、今は猛省しています。感謝しても仕切れないアドバイスを受けたと思っています。 その後、「死んでも責任は取れない治療をするから」という病院からの契約書に両親がサインしてステロイドの集中投与を行い、奇跡的に病状が改善し歩けるようになりました。 現在は帰化をし日本人の妻に出会え、子供も授かり、歩け、息をすることができ、毎日の食事ができる幸せを噛み締めて生きることができています。 わたしは、自分に降りかかる全てのことは良いも悪くもなく、全てニュートラルではないかと思っています。 肝心なのは、その現象が、「自分の生をより豊かにするためにどのような見方をするのが良いか」かという視点に立つ覚悟を持つことかもしれません。 人は「不足」していることに目を向けて文句を言い、「足りている」ことを当たり前だと思う傾向にあります。 歩けたり、息ができたり、ものが見えたり、音が聞こえたり、寒いや暑いを感じることができたり、水を飲めたり、おしっこが出たり・・・ 「足りている」ことに感謝すると、自分の周りはなんと奇跡に満ちているかという見方もできるかもです。 わたしは今「感謝すること」をとても大切にしています。 一見自分にとって苦痛、不利にしか思えないことに、ともかく「感謝」してみる。「なぜこれが感謝するに繋がるんだっけ?」と考えてみたりするのです。 どうせ後何年かしたら寿命で死ぬんですから、今死にいそぐ必要はないだって、肩の力を抜いて、何事にも「感謝」して軽やかに生きていきたいと思っています。 別にアドバイスをしたいわけではないのです。たまたまこの質問を目にして、質問者さんが「あちゃ!」って思っていらっしゃるところを見させていただいて、自分はこんな体験をしたんだっけって思い出させてもらいました。そのことに感謝をしたく、書かせてもらいました。 よければ、この本読んでみられても良いかもです。 神様って書いてありますが、小林さんはバリバリの唯物論者です。少し変わっているのは確かですが・・・ 「ありがとう」をなん度も口癖のように言っていると病状が改善するなんてことも書いてあります。わたしは間違いなくステロイドで助かりましたが、子供の頃に知ったとしてもその言葉は口が裂けても言わなかったと思いますが、今ならそうしたほうが精神衛生上においても良い結果をもたらすことを知っています。 “ありがとうの神様 神様が味方をする71の習慣“ https://books.rakuten.co.jp/rb/13092081/?variantId=13092081 良い方向に進むことをお祈りしています。 今を楽しむ視点をお持ちになることができますように。この出来事を通して魂の成長をさせていただけますように。 参考になれば幸いです。

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