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江戸時代の儒学者は三国志等も読んだのでしょうか?

江戸時代の儒学者は中国文学の三国志や封神演義等といった書物も読んだのでしょうか? ちなみに儒学者は貧乏暮らしだったのでしょうか?それとも富裕だったのでしょうか?

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  • o_tooru
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回答No.2

おはようございます、疑問はつきませんね。 さてご質問の件ですが、江戸時代の少し前から、中国の小説的な物に人気が高まり、大量に輸入されました。 三国志(三国志演義)のみならず、お化け話・中国のさまざまな書物が怪談牡丹灯籠などが中国の志怪小説からの翻案である事は有名です。 ウィキペディアの「三国志」の個所「白話小説『三国志演義』・大衆文化の受容」あたりが参考になると思います。 「白話」とは当時の「口語」と言う意味で、酒場などで面白い場面などを講釈師が語った所から始まっているようです。(日本で言えば琵琶法師によって広まった、平家物語のような感じです)

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  • SPIKE-NLOS
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回答No.1

江戸時代の儒学者は、中国文学の三国志や封神演義などの書物も読んでいた可能性が高いです。漢学と呼ばれる学問は、中国伝来の漢籍・中国思想・漢詩文の研究であり、江戸時代中期までは外来の学術研究のほとんどを占めていました。漢学者は、漢詩を書くために音韻学や平仄を学び、中国語の音韻体系を丸暗記したり、字音仮名遣いを工夫したりしていました¹。また、漢学者は陽明学や古学などの思想流派に分かれて、朱子学や陽明学の原典に接したり、日本で独自に展開したりしていました。 - 江戸時代の儒学者は貧乏暮らしだったか富裕だったかは一概に言えませんが、一般的には幕府や藩主からの保護や待遇を受けていた者も多かったようです。例えば、中江藤樹は赤穂藩主浅野長直から禄一千石を与えられていました²。また、林羅山は二代将軍徳川家光の側近として朱子学の官学化に率先し、民部卿法印に叙せられていました²。しかし、儒学者が政治的な争いに巻き込まれたり、反幕府的な思想を持っていたりすると、処罰されたり流罪されたりすることもありました。