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全体主義についての疑問

全体主義とは、国家全体の利益のために、個人はすべてを捨てて国家に尽くすべき、という考え方のことだと知ったのですが、 国家の構成員=国民=個人 であるわけなので、全個人が自らの利益を捨てたら、そのとき尽くされている国家はいったい何なのでしょうか? 国家は国民(永続的住人)がいることによって国家なりえているのであり、結果的に国民が尽くした利益はどこに還元されるのでしょうか?

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  • cse_ri4
  • ベストアンサー率22% (45/199)
回答No.3

国家の代表組織かな。 共産主義国家だったら共産党。日本の場合は、自民党と官僚たちか。 共産国は共産党が肥えますし、建前上は民主主義国の日本でも、より肥ったのは自民党の政治家と官僚たちでした。 一部は国民にも還元されましたが。

Crepes1
質問者

お礼

回答ありがとうございます! つまり、国家=国家の代表 であり、国民は国家のためというよりも、国家の代表のために尽くす、ということになるということですね。 参考にさせていただきます。

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その他の回答 (3)

  • sebsereb
  • ベストアンサー率19% (67/340)
回答No.4

詭弁だと思います。 幻術です。 大谷翔平はバッターに専念したら大記録を作れるみたいな。 しかし、記録よりも他人の関心を引く必要のあるプロ野球なので2刀流で投打で活躍した方が結果的にプロ野球全体のためになったというか。 あとになってみないと、全体のためになるのかはわかりません。 あなたのいう全体主義とは官僚主義(官僚が物事を決めてコントロールする)という意味だと思いますが。 誰かが決めたことを全体でやろうとするより、 →実際は個人個人が思い思いにベストを尽くす方が全体のためになります。 なんとか主義とか、そーいうのを決める人が、全部を決めて中抜きしたいと言ってるのであって、そもそも法治国家であれば全体主義でもありますね。 過度な統制主義は逆効果というか、官僚が天下りして税金を中抜きすることになりますね。

Crepes1
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 確かに、個人個人がベストを尽くしたほうが最終的には全体的に利益が還元されるような気もしますね。 参考にさせていただきます。

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  • head1192
  • ベストアンサー率20% (160/783)
回答No.2

「日本人」というお墨付きがあるから日本人は世界各地を闊歩できるのである。 国籍を失った難民がどんな目に遭っているかを考えれば分かることである。 このことは古代ヨーロッパではもっと顕著だった。 古代では、勝者はすべてを得敗者はすべて勝者のものになる。 町が陥落して住民全員皆殺しに遭ったり奴隷に売られたりなどは当たり前のことだった。 それが嫌なら、戦わずして隷属するか戦って勝つかしかない。 各自がバラバラに戦って勝てる道理がないのは火を見るより明らかである。 平和ボケの現代ではあまり顧みられないことだが。

Crepes1
質問者

お礼

回答ありがとうございます! つまり、全体主義はみんなで一致団結して、国家を、ひいては自らを守るためのもの、ということですね。 確かに古代の歴史を顧みると全体主義の意義がよくわかるような気もしてきました。 参考にさせていただきます。

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回答No.1

創世記 1:24 神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。 1:25神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。 1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 1:27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 1:28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 1:29神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 1:30また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。 1:31神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。 2:15主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。 2:16主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 2:17しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。 3:15わたしは恨みをおく、 おまえと女とのあいだに、 おまえのすえと女のすえとの間に。 彼はおまえのかしらを砕き、 おまえは彼のかかとを砕くであろう」。 創世記:10章: 8節 クシの子はニムロデであって、このニムロデは世の権力者となった最初の人である。 9 彼は主の前に力ある狩猟者であった。これから「主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし」ということわざが起った。 サムエル記上:9章:9節 ――昔イスラエルでは、神に問うために行く時には、こう言った、「さあ、われわれは先見者のところへ行こう」。今の預言者は、昔は先見者といわれていたのである。―― 11節 彼らは町へ行く坂を上っている時、水をくむために出てくるおとめたちに出会ったので、彼らに言った、「先見者はここにおられますか」。 サムエル記上:9章:18節 そのときサウルは、門の中でサムエルに近づいて言った、「先見者の家はどこですか。どうか教えてください」。 マタイによる福音書: 5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、 彼らは神の子と呼ばれるであろう。 . . siryou.2 不戦条約  この条約の成立は、国際連盟規約、ロカルノ条約と連結し国際社会における集団安全保障体制を実質的に形成することになった。すなわち19世紀の国際法によれば至高の存在者である主権国家は相互に対等であるので戦争は一種の「決闘」であり国家は戦争に訴える権利や自由を有すると考えられていたが、不戦条約はこの国際法の世界観(無差別戦争観)の否定であり、 .. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84 .  せかいとそのれきしには、数々の家族が登場し、その集団は小国家なり連合国家、大きくなると大国家、大風大波のような勢力があれば衰退疲弊する勢力もある、そんなかんじと見て取れるところですが、至高の存在者が存在した歴史も、今ではその中身騒動ではありますが民主主義を冠する国家も多くあり、憲法でも選挙を通じて代表者を国会舞台に出向させるとか書かれているような。  優れた先見者が選れたならば、大国家も庶民末端も程ほど、旨く上手に問題無く/障害無く、行くのかもしれないですね。  尽くされている国家と、尽くしている有権者がいて、その他の庶民もいる、そんな予算委員会中継でしょうか。

Crepes1
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 回答者様が創世記を抜粋されるとは思ってもいませんでした。予算委員会中継ですね。思いつかなかったです。 参考にさせていただきます。

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