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戦争時の日本語

太平洋戦争時の日本語はその前後の日本語と違いますか? 戦争前、戦争時、戦争後の日本語は変化しましたか?

みんなの回答

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1499/3652)
回答No.4

一口に「太平洋戦争時の日本語」といっても「書き言葉」と「話し言葉」の違いに加えて、公的な場面と私的な場面の違いがあり、一概には言えません。このうち書き言葉は、戦後に表記法の大改革が行われました。現代かな使いと簡略化された漢字の字体の採用です。したがって戦時中と戦後の間に大きな断層があり、戦前と戦時中の間にはほとんど違いは見られません。 例えば戦時中に書かれた次の新聞記事は戦後との違いが大きな例です。現在は使われない表現も多く、現代の日本人にはさらさらとは読めないでしょう。なお字体は旧字体を現在の字体に変えています。(以下引用) 畏くも大元帥陛下には大東亜戦争勃発以来御安らひのいとまもあらせ給はず皇軍帷幕の機務に奉仕する大本営最高幕僚らを夙夜親しく御激励あらせられ、戦況奏上に、作戦の御決裁にと、御軍務御精励のほどは拝承するだに畏き極みであるが、十五日つひになった世界驚倒の大戦果シンガポール陥落の奏上には叡感殊のほか御深く第一線勇士の忠烈を嘉し給ひし由に承る (「読売新聞 昭和17年2月26日一面) しかし同じ日の同じ読売新聞の四面の連載小説は次の通りで、文体も口調も現在の日常会話と同じです。(「明日の愛情」中野實) 「また、さう怒る…。」 母親は、もう涙声に鼻をつまらせ、がっちりした昌策の肩のあたりへ、哀願するやうな目をむけながら、 「あたしは相談してゐるんぢやあないか。あたしだつて、この年になつて、いえさ、もう下谷の叔母さんにも、金町のお通さんとこでも、二人目の孫が出来たといふのに、まだこんな心配をしてさ。…(以下省略)」 このように話し言葉に関する限り、昭和の戦前も戦時中も戦後も大きな違いは感じられません。余談ですが、今から90年前の昭和8年(1933年)に発行された「巷間の言語省察」(浅野信著)という書籍を読むと、現在の私たちが最近の流行語のように思いがちな表現が当時も使われていたことがわかります。 例えば「名詞の動詞化」(る言葉)の用例が多数出ていますが、この中に「デコる」(無用の飾りをすること、デコライヴから出たもの)という記載があります。少なくとも昭和の初め(1930年代)には現在に近い意味で使われていたことがわかります。(デコライヴはデコラティヴのことではないかと思われます)ひところ流行った「デコ電」(デコった携帯電話)という表現のルーツは結構遡れそうです。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.3

戦後、本来の民主主義を受け入れようとして、国語審議会にて「これからの敬語」が建議されました 戦前までの敬語(絶対敬語)は、封建時代(身分制度)からの習慣であるためと考えられ、戦後の民主主義では「敬語は清算すべき」という考えと民主主義では個を尊重する「相互の尊敬が基盤」となるという意見など、長らく議論が交わされてきました ・・と、説明が難しいので・・ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%95%AC%E8%AA%9E#%E7%BE%8E%E5%8C%96%E8%AA%9E で、それらを経て 水 お水 米 お米 など、美化語が相当の部分で定着します また、動物に「さん」「ちゃん」をつける幼児学習文化も戦後のことですから、ワンちゃん・猫ちゃん・キリンさん・・なども、変化の特徴と言えます

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8479/18151)
回答No.2

太平洋戦争中の日本語は戦争に関する単語が多く使われた,というような違いはありますが,日本語そのものは戦争の前後で急激な変化があったわけではありません。 ただし,戦争が終わってから,当用漢字が定められ,仮名遣いも改められましたので,日本語の見た目はかなり変わりました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34538)
回答No.1

敗戦になって日本語は大きな変化を迎えましたね。GHQから「日本語ややこしいだろうよ。もっと簡単にせえ」と命令されて文部省が中心になって大きな変化が起こります。 その過程では「いっそ日本語、あるいは漢字をやめちゃったらどうか」という議論もありました。 まず横書きは現在の「左から右」に統一されました。それ以前は原則として「右から左」だったんですが「左から右」もちょいちょいあるんですよね。どうも「どっちもあり」だったみたいです。 また「ャュョ」が公式に使われることになりました。「かうちやう」は「こうちょう」と表記されるようになりました。戦前創業のキューピーの正式名称が「キユーピー」であることは有名ですね。 「真相はかうだ」というような表記も「真相はこうだ」と口語でまとめられることになりました。「ぢしん」も「じしん」と書かれるようになりました。「地震」の「地」の読み方は「ち」ですよね。だから濁音になれば本来は「ぢ」です。でももうそういうのは全部「じ」にまとめたのです。明治生まれの祖母は「ぢしん」と書いてました。ここらへんをまとめて「現代かなづかい」といいます。 現代かなづかいと同時に制定されたのが「常用漢字」で、これにより旧字体が使われなくなりました。「ゐ」や「ゑ」も使われなくなりましたね。 また、カタカナも一般的には使われなくなり、ひらがなを使うのが普通になりました。昔の文章だと「決戦ヲ図ラント欲ス」とカタカナ表記のものが多いですよね。 旧日本軍の文書くらいは私も読むことはできますけど、なぜか旧軍の文書って「二重否定文」がやたらと多いんですよね。「断固タル攻撃ヲセザルベカラズ」って。攻撃すんのかい、せんのかいって読んでてくたびれるのです。 文語と口語が入り乱れていたのが戦後までで、戦後に口語に統一されたという感じですね。 日本語、というか言葉は常に変化し続けています。50年前と今でも言葉のニュアンスが変わっているものはいくらでもありますし、若者言葉だって80年代と00年代とZ世代では全然違います。

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