- 締切済み
とも言ったりする。という日本語について
最近、海外の人が書く日本語を目にする機会が多く 普段、ルールや文法を考えながら話をしていないので 「これあってる?」「普段使うかな?」という状態によくなります。 質問は、海外の方が書いた「○○××とも言ったりする」 という表現についてなのですが、 「とも言ったりする」と書いて、複数の表現をしていますよ。というニュアンスを込めて書いているのだと思うのですが 「とも」と「言っ”たり”」で意味が重なっていないかなと感じるのですが、どうでしょうか?
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kzsIV
- ベストアンサー率53% (238/446)
質問者様から意外なお答えがあったので、お返事申しあげます。 このカテゴリーは、学問・教育とあるように、本来は大学院での研究と大学・中高の教育科目について主に学生生徒が質問し、科目に関連する学問分野で主に高等教育にかかわる専門家(その最たるものは大学院教員)が専門家として答えるところです。科目に「国語」とあり「現代文」「古典」等あるように(古典は、古文漢文のことです)、「高校国語の質問と回答」とあるべきです。以前は大学に「国語」対応の専門コースに「国文学」等の名がありましたが、今は学部が高等教育中心になったようで、「国語」関連の科目は教育大学系に集中しているのではないかと思います。というわけで、私は大学・大学院の教官として「国語」関連の研究・教育に携わった、今は年金生活者です。(日本語を母語とする)日本語人で(日本先住ではなく)いわゆるヤマト民族です。現在、生得の日本国民はヤマト民族と日本先住の方との複数の民族からなり、ともに日本語を公共語として習得し、日本国以外では日本語を公共語としていないことから、国語は日本国の国語と言えます。 専門家の矜持を持って回答してきましたが、最近は質問者が出題して、回答を採点するゲームになっているのですね。妄言多謝
- ishi_saya
- ベストアンサー率27% (84/310)
「○○××とも言ったりする」=「○○××と言ったりもする」 どちらもおかしくはありません。 もし意味が重なっているのだとすると、「○○××とも言う」「○○××と言ったりする」で充分だということですか? つまりはニュアンスの違いが分からないんですね?
- petertalk
- ベストアンサー率69% (156/225)
言葉が重複しているかどうかは、重複が疑われる「とも」と「たり」の 片方だけを使った言い方を比較してみるのがいいです。 そして、文法上の接続は調整するとしても、どちらの意味も同じであれば重複、 反対に、意味が異なるとか、片方の言い方だけが適切のような例があれば、 意味に差があるので、重複ではないという判断ができます。 例1: ①「山手線はE電とも言ったりする」(「とも」+「たり」) ②「山手線はE電と言ったりする」(「たり」だけ) ③「山手線はE電とも言う」(「とも」だけ) 山手線を含む東京近郊の電車にはE電という愛称がありますが、現在ほとんど使われていません。 東京近郊の電車をE電と言うことはほとんどないので、②に違和感がありますが、 どもかくE電が愛称であることは事実なので、③は正しいです。 例2: ①「松阪牛はまつざかぎゅうとも言ったりする」(「とも」+「たり」) ②「松阪牛はまつざかぎゅうと言ったりする」(「たり」だけ) ③「松阪牛はまつざかぎゅうとも言う」(「とも」だけ) 松阪市はまつさかしなので、松阪牛はまつさかぎゅう、まつさかうしが正式名称です。 そのため、③は間違いですが、誤ってまつざかぎゅうと言われることはよくあるので、②は正しいです。 この例からわかるように、「たり」は、言い方を修飾するので、 内容の正誤は別にして、たまに言う時があるという意味であるのに対し、 「とも」では、その前の名詞を修飾するので、別称があるという意味であり、 実際に言うかどうかは関係ありません。 そして、面白いことに、①のように、「とも」と「たり」を両方使うと、 2つの例のどちらでも間違いではなくなります。 これは、①は、②人が口にすること、③別称があること、の両方の意味を含むため、 どちらかが間違っていても、もう1つが正しければ、正しく聞こえるという結果になります。 ということで、意味が重なっていないか、というご質問に対しては、 「とも」と「たり」は意味が若干違うし、 両方使うとどちらとも取れる文になるので、 曖昧な表現である分、完全な間違いにもなりにくい、という回答になります。
- kzsIV
- ベストアンサー率53% (238/446)
「たり」 と 「も」とは性格がちがいますので、別々に習得してください、 「たり」は 基本形「~~(て)ある(終止形)」の文が、複数連続するとき、先行する文をすべて「-あり(連用形)」にかえて最後の文に対して「副詞」として働き、全体を一つの文にまとめます。ただ実際には「たり」という形で助詞のようになっていますので、全体を体言化(名詞化)して「~~たり~~たりする。」という風になります。では、例文 見たり聞いたり、話したり、寝たり起きたり、騒いだり、飲んだり食ったり、笑ったり、ふんだりけったりぶたれたりした。 「も」は「は」と同じように先行語句(係り)と後続語句(承け)の論理関係を示す助詞(係り助詞)です。「は」は論理学の「├」「→」「⊃」「ならば」などと同義のようです。 「花は 咲く」 は 「咲かないのは 花」ね です。 「は」と「も」は打消し(否定)の方向が 反対に働くようです。 「行きはする」 「会いはする」 「話はする」 「行きはしない」「会いはしない」「話しはしない」 「行きもする」 「会いもする」「話しもする」 「行きもしない」「会いもしない」「話しもしない」 さて、条件がそろっているので 阿弥陀仏を阿弥陀如来とも言ったり、薬師仏を薬師如来とも言ったりします を分析しましょう。まず「も」を省き、「します」を「する」にします。 阿弥陀仏を阿弥陀如来と言ったり、薬師仏を薬師如来と言ったりする 「たり」を消します。 阿弥陀仏を阿弥陀如来と言う。薬師仏を薬師如来と言う。 あれ、どちらの文にも言い換えになっていないところがありますね。そこも消しましょう。 仏を如来と言う。仏を如来と言う。 同じ文ですね。一つにして、「も」を復活しましょう。 仏を如来とも言う。つまり、仏というモノを如来ともいう。 さて、ここで「も」を「は」に換えて逆方向の否定文にすれば、同意の文が得られます 如来と言わないモノは仏といわない。 結局、「仏が如来」よ って意味かしらね。 仏(ぶつ)はサンスクリット語の「ブッダ」 悟りを得る者 如来は「タダータカ」の古代中国語訳。(悟りが)さながら「来る者のように」 日本語人はこういう分析を、いちいちしているわけではありません。文を読んで聞いて、それだけで、意味を理解できるのです。しかしながらそれを説明するためにこの文章を書くには、いちいち計算して確認します。90分かかったよ。
- D-Gabacho
- ベストアンサー率64% (1057/1649)
「とも言ったりする」の用例を検索してみたところ、明治時代の作家から現代のIT企業経営者まで、幅広く使われているようでした。これはもう、ふつうの日本語表現といえるのでは? 「甲乙付けがたい」とも言ったりする。 https://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200512/topics03/topic03_02.html 三木邦裕(1952年生。日本ペンクラブ会員。一般向けの法律や資格試験関係の著書多数) 業界要語では「墨出し」とも言ったりします。 https://tenshoku.mynavi.jp/plst/stories/268/ 大浦工測(株)の広報チーム(仮) レタッチとも言ったりしますが https://www.archetyp.jp/blog/retouch/ 齋藤順一(株式会社アーキタイプ代表取締役) 3つを合わせて東京三会とも言ったりしますが https://vs-group.jp/tokyo-lawyer/ ベンチャーサポートグループ 土間スラブとも言ったりしますので https://top-denko.com/blog/792.html トップ電工 土曜日の頭痛とも言ったりしますが https://www.yamamotoclinic.jp/dir2/ 脳神経外科山本クリニック ホームインスペクションとも言ったりしますが https://www.1480.jp/staff-blog/shimizu4/ 清水大輔(石山工務店リフォーム部) 4way close(4ウェイ・クローズ)とも言ったりします https://sakikomasuda.com/arranging/voicing/4way-closed-voicing-1/ 枡田咲子(作編曲家、ピアニスト、音楽講師) またよく怒る親父のことを「雷親父」などとも言ったりします。 https://dcome.co.jp/kuruma/post-4146 山沢達也(「くるまうるZooh」専属ライター) 原状回復ともいわれてたりしています。 https://www.okuta.com/renovation/difference.html LOHAS studio 阿弥陀仏を阿弥陀如来とも言ったり、薬師仏を薬師如来とも言ったりします https://zenshuji.jp/news/news-342/ 真宗大谷派東本願寺 了澄山善宗寺 国道三百二十七号線、奥日向路とも言ったりしますけれども https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/002221020221115003.htm 渡辺創(1977年生、衆議院議員・立憲民主党) また猫々道人とも言ったりした。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000388/files/4907_8650.html 淡島寒月(1859年生、明治時代の作家、画家、古物収集家) 「女からいえば一生の物思いを背負い込んだようなものだ」とも言ったりした。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000052/files/5028_11650.html 与謝野晶子(1878年生、歌人、作家、思想家)
お礼
たくさん用例を出していただいてありがとうございます。 普段、真剣に日本語の文法、ルールについて考えることがないので、わからないことだらけですが これだけあると、おかしな文章ではないようですね。
- kon555
- ベストアンサー率51% (1843/3560)
重複ではありませんが、やや迂遠な表現になっているため違和感がありますね。 この表現を分解すると 「〇〇とも××とも言う」→言い方に複数の明確な選択肢がある。 「××と言ったりする」→複数の選択肢があるが、細かいバリエーションが多く曖昧さがある。 この二種の表現の複合型で、ニュアンスとしてこの二種の中間を表現したいなら正しい表現ではあるしょう。そこまでのコントロールが出来ているのか、というのが問題だと思います。 ただ私としては「××と言ったりもする」という言い方の方が何となくおさまりが良い気がしますね。完全に感覚論ですが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「××と言ったりもする」という言い方の方が何となくおさまりが良い気がしますね この言い方だと、”たり”の方だけなので、収まり良く聞こえますね。
- kamura01
- ベストアンサー率30% (60/199)
>とも言ったりする 例えば「にわめにはにわにはにわにわとりがいた」 二話目には庭には二羽、鶏がいた。 「にわ」ですが「庭(にわ)」とも言ったり、「二話(にわ)」とも言ったり「二羽にわ」とも言ったりする。 読みが同じなのに漢字にすると意味が違うのが日本語での常識です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 すみません。ひとつ質問です。 「読みが同じなのに漢字にすると意味が違うのが日本語での常識です」 ↑この文章の意味は、わかるのですが 私の質問と、どう関係しているのかがわからないので 教えていただけますか?
- kairibaka
- ベストアンサー率27% (148/547)
英語で言うところの "some say that~" に相当する内容かな、と思います。 確たるものがないので、ちょっとお茶を濁したような、ある意味胡麻化すような表現になるのかなと思います。 「とも」=「と言うかもしれないし、言わないかもしれないし」 「たり」=言う人もいるかもしれないし、言わない人もいるかもしれないし、 ちょっと外人が日本語に訳すには難しい言葉かもしれないですね。 純粋な日本語として、文法的にはおかしくないと思います。 ただ、目の前の人そう言われたら、「お前どんだけ自分の保身を図ってるんだよ」とは思いますね。
お礼
なるほど~ご意見ありがとうございました。
お礼
説明していただいてありがとうございます。 >日本語人はこういう分析を、いちいちしているわけではありません。文を読んで聞いて、それだけで、意味を理解できるのです。 これが意外とできないものなのですよ(笑) 小さい時にならったのかもしれないですが 逆に、普段考えずに話しているので、ふと「こんな言い方するかな」と考えてしまいます。 文面からすると、回答者様は、海外の方だと思いますが 凄く勉強されているんですね。