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戦国時代まで日本の科学のレベルが低かった理由

戦国時代にヨーロッパ人が来るまで、日本は科学の進歩が遅れていたのはなぜですか?

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  • FattyBear
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回答No.2

単純に限られた人数の中から生まれる技術には限界があります。 外部で考え出された技術(はるかに多くの人々の中から生まれた技術) が導入され、且つ、次々と新技術が入ればそのレベルは急速に高くなる のは当然だと思いませんか。 限られた人数でも極めて優秀な人材がいれば高いレベルまで発展できる でしょうが、稀な状況です。

その他の回答 (7)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11121/34623)
回答No.8

科学技術力が低かったわけではないですよ。そもそも初めて鉄砲が伝わったとき、その場で鉄砲を分解してコピー品をすぐに作れたわけですからね。しかも種子島という田舎の島の鍛冶屋でね。 ただ、ネジだけがどうしてもコピーできなくて、一説によると娘を差し出してまでしてそこの部分の作り方を聞いたといわれます。でも聞いたら作れたんだから基礎技術はあったということです。 戦国時代にお城の石垣を作っていましたが、それは西欧から伝わった技術ではありません。 そこには信じられないほど巨大な石も使われています。実は現代の土木建築会社で同じように石垣が作れる会社がありません。ましてや「ユンボもクレーンもパソコンも使用禁止。全て手計算と人力で作れ」となると絶対に不可能。 熊本城の中で築城当時の姿を残す一番古い櫓が、宇土櫓です。熊本地震の際に、一番古いその宇土櫓がビクともしませんでした。熊本地震による熊本城の損害は、明治時代に修復された場所に集中していることが明らかになりました。つまり明治時代の仕事のほうがいい加減だったのです。 話を戦国時代に戻せば、種子島に伝わった鉄砲は、またたくまに日本全土でコピー品が作られるようになりました。科学レベルが低かったら、そう簡単にコピーは作れません。実際に、他のアジア諸国で日本ほど鉄砲を作った国は他にありません。 ただ暦などは中国から輸入していたりしていましたから、科学先進国ではありませんでした。先進国ではないけれど、そこそこにはあったと思いますよ。 ヨーロッパだってルーマニアとかポーランドのような東欧の国々は工業力は低かったので、東欧よりは科学技術力はあったと思います。

  • 5555www
  • ベストアンサー率48% (143/292)
回答No.7

戦国時代まで日本の科学のレベルが低かった理由……私は、詳しくはないので、「戦国時代まで日本の科学のレベルが低かった」かどうかはわかりませんが、仮に、「戦国時代にヨーロッパ人が来るまで、日本は科学の進歩が遅れていた」としたら、その理由は、「平和だったから」ということに尽きると思いますね。ご存じのように、縄文時代は約1万年続いていますが、たいした争いもなく、穏やかに過ごせた時代だったと認識していますし、平安時代は、たいした軍事力も持たずに、400年続いています。平安時代末期から、鎌倉、室町、戦国と、いわゆる戦うことを仕事にした「武士の時代」が到来するわけで、技術の進歩を促すきっかけにはなったと思います。 科学技術の進歩というのは、多分に戦争のための技術として発展してきたという側面もあるのではないでしょうか。その戦争が少なくて、戦争のための技術を真剣に発展させなければならない理由がないとしたら、日本の科学技術が遅れるということはあったかもしれませんね。

回答No.6

むしろ日本の方が科学技術力はありましたよ。 ただ、海を渡ってきた西洋人は「ネジ」を持っていました。 日本はもちろん、発明大国だった中国でさえも「ネジ」を発明することはなく、種子島にネジ付きの火縄銃が伝わるまで「ネジ」というものは存在しなかったのです。 ですが、日本はネジを使わずに高層建造物を建てていました。 高度な物理的科学力が無ければ建てることなんてできません。 日本刀も高度な科学技術で作られています。 中国や中東のは斬るというよりも叩き割るもの、西洋のは斬るというよりも刺すものでした。 日本刀はちゃんと斬れます。 薄いのに強度があります。 現在日本では「太陽暦」を使用していますが、当時日本で使われていた「旧暦」という「太陰暦」も高度な天文知識が無ければ暦を作ることは出来ません。 水洗トイレも実は縄文時代からあったりします。 何故日本人は外洋に出てヨーロッパや新大陸へ行かなかったのか? 科学レベルが低かったせいだと思われていらっしゃりますよね? 決してそうではありません。 近くに中国があったから、外洋に出て西洋と交易するメリットがあまり無かったからです。 中国は当時「ネジ」以外何でも揃っている大国で科学力も当時では世界一でした。 新大陸へも実はコロンブスが発見するずっと前の旧石器時代に渡っています。 が、遠すぎるので、交易までは至らなかったようです。

  • ishi_saya
  • ベストアンサー率27% (84/310)
回答No.5

そもそも「科学」って何なのか?です。 今日の科学は、欧米人のものごとの考え方を基にしています。日本人は違うものごとの考え方をしていたのです。 近代(西洋)科学は、物事を物質として捉え、それを分解して探求することで成り立っています。しかし日本人は存在するものは物質だけでは無いと思っていましたし、分解するよりも統合することを重視していました。 つまり、「欧米流のやり方」を「進歩」とするのであれば、日本は遅れていたということになります。しかし、欧米流のやり方が本当に進歩なのかどうかは、今日の世の中を見てみれば分かるかと思います。欧米流の科学の進歩の結果が、今日の地球の在り方なのです。

回答No.4

たまたまである。1つの惑星の中で科学技術がどこも同一ってほうがかなり珍しいだろうね。

回答No.3

日本は島国ですから、 流行り廃りが、海外のものは 伝わりにくい。 歴史的に見れば、 遣隋使や遣唐使、 また昔の韓国辺りに 昔の日本人がいって文化の違いや 武器や調味料とか、 珍しいものを持ち帰らないと なかなか、島国では、個人の 開発すらままならない、 日本人社会の格差。 まして、今は都道府県ですが、 昔は日本の中にそれぞれ 小さな国があったような感じ。 なかなか国から出ることすら ままならない昔の日本文化。 そんなみんながみんなドングリみたいな背比べしてた環境なら、 そもそも進化などしないのではないかな。 今の近年この50年間の 日本の変わりようは、 異常です。 300年間変わらなかった日本が、 このわずさ50年間での 環境破壊や自然破壊など、 鎖国していれば、破壊されなかった 豊かな日本が、海外との繋がりを もったことによる 狭い日本人の心が、 作っては壊し作っては壊しを 繰り返す。 日本には、あれだけ明治大正に 西洋建築がたくさんあったのに わずかしか残されていない。 物を大切にしない日本人の悪い癖が、今だに反映し、 この50年間で日本の変わりようは、 異常にしか思えない。 科学の進化なんか しない方が良かったのかも しれませんね。 織田信長が、外国人から 技術を得ていたことなど、 武器の鉄砲の技術など、やはり 海外からの情報が科学や力量など、 知識を得るには必要であったわけだし。日本のお金に金貨が使われていたことに目をつけた外国人の 腹黒さも日本の技術進化には 不可欠だったのではないかな。 どれだけ、日本に金貨が 当時あったのか、今となれば 知るよしもないが。

回答No.1

そうではありません。日本は、古代から中世にかけて、 科学技術の進歩を積極的に行ってきました。 例えば、日本では、古代から中世にかけて、 火薬、火縄銃、火薬砲などの武器が開発されていました。 また、中世には、精密な時計や、精密な金属加工技術なども開発されていました。 戦国時代における日本の科学技術は、時代によって異なりますが、 一般的にはかなり高いレベルであったと言えます。 戦国時代には、火薬や火縄銃などの火器が開発され、 鉄砲などの金属製品も製造されました。また、技術的な発展により、 紙や染料などの化学製品も製造されました。 また、戦国時代には、精密な測量技術や地図作成技術なども発達していました。 しかし、ヨーロッパ人が来る以前には、科学技術の進歩は、 ヨーロッパに比べて遅れていました。 以上、参考になれば幸いです

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