• 締切済み

神は細部に宿る?

「神は細部に宿る」という言葉は検索してみると「素晴らしいものを作り上げるにはディティールにまでこだわり抜く必要がある(妥協しちゃいけない)」という意味で、つまり(全体的なところが大事なのは言うまでもないが)ここで大事だと言っているのは細かいところだ(細かいところまで全力でやれ)、という事です。 そうじゃなくて「実際に仕事(実務)に取り組んでみて、進んでいった先で初めてその存在に気づく(ぶち当たる)課題こそが実は一番のキーであった」という事は往々にしてあります。その潜んでいたポイントは実は細かいことどころか、それが仕事全体の可否を決定づけるキーポイントだという事が往々にしてあります。 つまり「実際に取り組んでみるという事は尊い事である(実は進んでいった先に大物が潜んでいる)」と言いたいです。 これは「神は細部に宿る(Gods exist in detail)」とは少し違いますが、うまく言い表す言葉はありませんか?

みんなの回答

  • iq001
  • ベストアンサー率28% (20/69)
回答No.4

つまらない回答で失礼。 「やってみてはじめてわかることもある」 「やってみもせんで、何がわかる」、本田宗一郎 「机上の空論」・・・私は誰もが知ってる大企業の特許を、この言葉を使い論破して退けました。

subarist00
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。「やってみてはじめてわかることもある」というのは、まさにそういう意味なんだと思います。ただ、人にやってみろって言いたいわけじゃないんですよね。 単にやってみた先に大事なことが潜んでいるという事が言いたいだけで、だから人にやってみろというかどうかはまた別問題なんで。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1119/8883)
回答No.3

神来的というのは誰かが作った造語でしょうか。どこかで見たことがあります。少し意味が違いますか。超絶技巧などとも違いますね。

noname#252160
noname#252160
回答No.2

いくつか言葉が出てきますけどどうですかね? https://www.rosei.jp/readers/article/58090 このページの中に「神は細部に宿る」について「細かくこだわった細部こそが作品の本質を決める」と説明がされていますが、私はこの意味だと思っていました。(「全体が大事だが細部にまで妥協するな」という意味ではなく。)(まあ諸説あるのでしょうけど・・・)

subarist00
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。実は私もそう思っていました。すなわち「まさに細部にこそ重要なものが隠れているんだ」という意味だと思っていました。 しかし「細かくこだわった細部こそが作品の本質を決める」をよく読むと、最後の「本質を決める」という表現がいまいち曖昧ではっきりしない。つまり説明になっていない。自分はわかった気になっていただけだという事に気が付きました。 その点「細部にまで妥協するな」というのは非常に明確です。そして確かに現実にそう言うケースもあります。例えばスポーツの体操やフィギアスケートなど、指先まできちんと伸びていてこそ全体が美しいというのはまさにそういうケースだと思います。なので、「神は細部に宿る」はそちらの事かな、と。実際、語源になったケースも絵画の描写の細部まで手を抜くな、という話だし。 と考えると、今のところ後者が優位と思っています。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1119/8883)
回答No.1

臨場の知というのがありますね。実際の現場で立ち会わないと、気が付かないものがしばしばあるということだろうと思います。不思議なことにこういう時はうまくいっても自分が優れていると思えず、ただ運がよかったと思うものです。神から教えてもらったという事に重なるかなと思います。英語でアンディザーブドギフトというのがあるそうです。身に余る光栄という感じかなと思います。

subarist00
質問者

お礼

早速ありがとうございます。検索すると「臨床の知」は出てきますが、意味合い的には「臨場の知」のほうが近い気がします。検索ヒットしないのはまだ有名じゃないのかな。 「あなたはやったことないでしょう。私はやったんだから。」「やってみて初めて(ああ、問題はここにあったのか!)とわかる。」みたいな話です。 「奥が深い」で結構言い表されている気もしますが、それだと抽象的過ぎて今一つ表現しきれていないし、インパクトに欠ける。もっとガツンと来る言葉があるといいのですが。

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     たたき台をしるします。  (1) ひとは 何かの拍子に体験したことをめぐって 《神を見た》と言い表わすことがある。  (2) 《神》は じつは 非経験であり非思考――として人間が想定するところ――の場である。そういう《存在》としても 一般にひとは捉えている。  (《無い神》としてさえ それは《非思考の場》である限り 想定上の《存在》である)。  (3) つまりは この経験世界における《存在》なる言葉を 非経験の領域についても 概念として単純に延長させている。つまりは その存在を《見た》というのも 人間の経験行為を単純に拡大させて――想定じょう――表わしている。  (4) ことばとそれによる思考を超えたところのナゾを 存在と見なし捉えて それとのわれわれ人間との関係についてまで いわば想像力を及ぼそうとしている。  このナゾは 一般にどの言語でも《かみ》と呼んでいる。  しかもこの神を見たとか神の声を聞いたとかというふうに ひとは神体験を持ったと言いその表現にまで及ぶことがある。  (5) とは言うものの われわれ人間にも 超自然的な超経験的ないわゆる神秘体験というのも 起こるかに受けとめられている部分がある。  あるいは 単純な事例としては ひとはヒラメキを得ることがある。  これらは 実際の経験行為にからんで意味をもたらすことのある《神体験》だと見られる場合がある。  いかに神秘的だとは言え 神体験を全否定することは たぶんしりぞけられるであろう。    (6) けっきょく《神を見た》という命題は 《見た》という記号を介して表現され伝達されているに過ぎないのに 実際にも《見た・見ていない》というような経験行為のこととして受け取られてしまうマチガイを起こしやすい。  これは あくまで非経験(つまり 見ることも知ることも出来ない)の神を取り上げているのであるからには そのような見た・見ないという経験行為をうんぬんしても用を成さないと基本的には考えられることである。それなのに マチガイが起こる。  (7) 焦点は このような記号もしくはここでは《ことば》をつうじて それでは どれだけ《非記号》の世界が捉えうるかにある。  (8) 《神を見た》は その第一次的な知覚体験としては その体験者本人にとっても それの事実性は分からないはずであって ましてその体験の人びとによる共有は 無理であろうと考えられる。ほんとうに神であるかどうか これは 本人にも分からないと言わなければならない。ましてや ほかの人とのその体験の共有などということは 目指すものではないし 出来っこない。  と同時に 記号による仮りの表現――あるいは《想定》――の限りで 人びとにはその事実性にうたがいのかかる事柄であっても それぞれの主観にとっての《真実》という場が特殊にあるかに思われる。  (9) 人間にとって その世界における《現実》とは いわゆる科学的な《事実》――それも人間による認識を俟っての事実でしかないが――とおのおのの主観にとっての〔たとえ空想的なものごとであってもその虚構をも容れるところの〕《真実》とのふたつの領域から成る。と考えられまいか?  (10) 《主観真実》とは あやまちうる人間の認識および判断の力を前提とするかぎりで けっきょく――事実誤認のほかにも――《想像の世界ないし虚構》を容れている。虚構というかたちにおいてもその想像世界には《真実》と見なしうる場合があると認めることになる。  しかも主観真実は 大きく《事実》と並びそれとの総合としての《現実》に属すると認めることを意味する。  (11) これもそれも あれも何も この《現実=事実認識+主観真実》なる方程式は 神の問題としてはその現実性が おそらく《ひらめき(直感および直観 言いかえると インスピレーション)》の問題に帰着するのであろうと思われる。また そのヒラメキの信憑性にかかっているのであろう。  (12) もっとも簡単な信憑性の判定基準は けっきょく《直観ヒラメキ》として《イメージ直感》を解釈し言葉で表現した内容が 経験合理性から見て耐えうるものかどうかにある。  (13) 《神を見た。神と顔と顔を合わせて話をした》という第一次の知覚経験が信憑性を持つか否かは おそらくその検証が出来ない。  ただしその《神を見た》ことの間接的な解釈や説明ならそれは 人びとの思考しうる世界に降りて来ることになる。ゆえに ことばとしての記号を通じて 意外と人びとは互いに意志疎通をおこないうる。  (14) たとえば 《ひとは 神の背面(うしろすがた)を見るであろう》という命題は 案外受け容れられるのではないだろうか。  ――これは けっきょく《ひとは 神のことにかかわると思われるようなヒラメキ体験を持つことがある》と言っていることにほぼひとしい。つまり 自同律でしかないかも知れない。けれど その真実が真実であるかぎり 事実との総合において 現実をかたちづくるのではないかと見られる余地がある。  (15) ちなみに《空観としてのさとり》という場合も そのサトリという第一次の言わば非思考の状態を掲げるにとどまらず そこから得るヒラメキをめぐってその解釈と説明を添えるなら コミュニケーションの大通りに現われ出て人びとの世界とその現実をゆたかにしうるものと捉えられる。  (16) なお 共有しうるということは その共有したものごとをそのまま正しいとか妥当だとかと認めてしまったわけではない。――共有し得ないならば 話し合いの主題には成れないということだ。  (17) 《神を見た》なる命題は 一般の話し合いの主題には成らない。このことを 共有しておけば そのような知覚情報とは別の《ことばとしての記号の世界》でなら 哲学の問い求めは話がうんと進むものと思われる。    (18) よってひとは 《神を見た》とか《これこれが神である》といった第一次の知覚情報をもって 神の話をするなかれという交通規則を得ることができる。のではないか?  言いかえると 単純に言って 《神は人間の精神である》とか断定したり あるいはぎゃくに 《神は 人間の想像の産物でしかない》と言って否定したりするだけで説明のない神学は 論外の問題外であると。