神の存在と世界の不幸についての疑問

このQ&Aのポイント
  • クリスチャンである私は、「神はおられるのか?おられるなら、なぜ世界は不幸で満ち溢れているのか?」という疑問を抱くことがあります。
  • 聖書によれば、アダムとエバが善悪の木の実を食べてしまったことが原因だとされていますが、私はなぜ神が善悪の木を置いたのか、蛇を創ったのかと疑問に思います。
  • また、仏教では大勢の人が仏性を見出し、真実を感じる経験をしていると聞きますが、私はどちらが真実なのか迷っています。
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クリスチャンですが

私はプロテスタントのクリスチャンですが、「神はおられるのか?おられるなら、なぜ世界は不幸で満ち溢れているのか?」という疑問を抱いてしまいます。 聖書には創世記第3章でアダムとエバが蛇にそそのかされて善悪の木の実を食べてしまったからだと書いてありますが、「だったら善悪の木を置かなければ良かったのに」とか「蛇なんか創らなければ良かったのに」とか思ってしまいます。 実際にキリスト教に批判的な人はそう考えるそうです。 仏教では私がまだ子供の頃に亡くなりましたが、サラリーマン生活を辞めてお坊さんになってフランスに渡った弟子丸泰仙さんという人がいます。 パリの公民館で座禅をしていると大勢の人が弟子入りを求めて来て、自分の中に仏性を見出したそうです。 なので仏教が真実なのではないかと思いましたが、どう思いますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • watanabe04
  • ベストアンサー率18% (295/1597)
回答No.1

なら仏教に改宗されると良いでしょう。 日本は信教の自由がありますから 後ろ指を指されることはないでしょう。

h-tsuka19791029
質問者

お礼

ありがとうございます。

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