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アナタハンの女王事件についての疑問
アナタハンの女王事件についての疑問ですが、 そもそも何故、そのような31人あまりの男たちが島に流れ着くようになったんでしょうか? そして、ユウイツの女性である和子はどういう役職だったとか、どういう経緯でその流れ着いたのかとかはわかってるんでしょうか? 戦争により、その男たちは島に流されてしまったのか、何故女性一人が混じってしまったのかを知りたいです
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大野芳著『絶海密室』に詳しいです。 読書メモを頼りに思い出しているのですが、下記URLに要領よく、内容がまとめられています。 日本の女性史「比嘉和子」 http://hagakurecafe.gozaru.jp/zyosei46higa.html 以下、抜粋します。 1.比嘉和子は昭和13年、サイパンに出稼ぎに行っていた兄を頼り、隣の島のバカン島の食堂で働く。ここでコプラ栽培の会社に勤めていた比嘉正一と結婚、正一の転勤によりアナタハン島へ。この時、正一28歳、和子は23歳 2.アナタハン島には、同じ会社の所長である比嘉菊一郎夫婦が住んでおり、二組の日本人夫婦はアナタハンの原住民を雇い、平和に暮らしていたが、昭和19年、サイパンも戦争の激戦地に。心配になった正一はバカン島にいる実姉を呼び寄るためバカン島へ、一方、菊一郎夫婦は、妻と子供をサイパン島へ疎開させた。 3.その二日後、アナタハン島は米軍の空襲を受け、残っていた和子と菊一郎はジャングルへ逃げ込んだ。和子と菊一郎それぞれの家は全焼。焼け跡には、和子が耕していた農園の一部と四十匹の豚・そして二十羽の鶏がかろうじて残っていた。 4.そこへ怪我人を含めた31人の日本人の男がアナタハン島へ上陸してきたのです 彼らは日本からトラック島にいる日本部隊のために、物資調達をするためにやってきた漁船の乗組員。アナタハンの近くを通りかかった時、空襲にあい、漁船は撃沈。命からがらアナタハン島に泳ぎ着いたのが31名だった。
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