前方後円墳での葬送儀礼について教えてください

このQ&Aのポイント
  • 古代の前方後円墳では、埋葬の儀式の後に新たな王が前方部へ歩いていきました。
  • 民衆からは一度王が姿を消すことで、王の存在感を演出していたようです。
  • また、前方後円墳は権威を見せつけるための舞台として利用されていました。
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前方後円墳での葬送儀礼について教えて下さい

本日21時~にBSプレミアムの「英雄たちの選択 古代人のこころを発掘せよ!」という番組で、前方後円墳について以下のように話していました。 番組: https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2021-01-03&ch=10&eid=07267&f=2647 ~~~ 古墳には権威を見せつけるためのイベント性があった。 前方後円墳では、後円部で埋葬の儀式(?)をおこなった後、新たな王は後円部から前方部へ歩いていった。 そうすると、いちばん高い後円部からくびれ部に降りたときに、地面の高さにいる民衆からは一度王が見えなくなる。 その後、前方部へ歩いてくるとまた王の姿が見える。 印象的に登場した王は、そこで民衆へ向けて言葉を述べる。 古墳とはこういう演出をする舞台だったのだ。 ~~~ というような内容でした。 本当であれば面白い話だと思ったのですが、ネットで検索したり、手持ちの古墳に関する本を眺めても、それらしき記述が見つかりませんでした。 「なんらかの儀礼の後、後円部から前方部へ歩いていって民衆の前に姿を表し言葉を述べる」 という行為が本当にあったのかどうか知りたいです。 また、本当にそういうことをしていたのであれば、その上で演出意図があったかどうかも知りたいです。 なにか参考になる情報があれば教えて下さい。よろしくお願いします。

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回答No.2

もしかすると考古学者の水野正好氏の説かもしれません。ご参考までに。 「解説、前方後円墳」 http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/tenji/iseki/kofun/zenpou.htm

violet1101
質問者

お礼

教えてくださりありがとうございます! 詳細が気になり、尾藤正英著『日本文化の歴史』岩波新書 も購入したところ、確かに水野正好氏の論として記載がありました。 後円部から前方部への移動は、神話における天孫降臨を再現しているのではないか。中国古代の「天円地方」の観念と結びつけると、後円部が天で前方部が地上と言える…といった旨が記されていました。 後円部から前方部へ移動する際、くびれ部で一度民衆から消えて見える、というパフォーマンス性については特に記載がなかったので、これはテレビ出演者の推測かもしれませんが、誰による説なのか分かったので非常にすっきりしました。 いずれ時間がとれたら水野氏の関連書籍にも目を通してみたいと思います。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2176/4821)
回答No.1

>本当であれば面白い話だと思ったのです 面白い推測ですね。 >ネットで検索したり、手持ちの古墳に関する本を眺めても、それらしき記述が見つかりませんでした。 古墳に関しては、実は何も解っていません。 ですから、誰でも自由に意見を述べる事が出来ますよ。 某国と違って、日本には「(時の為政者に都合が良い)正しい歴史」は存在しませんから・・・。 例外的に、文科省推奨の説が存在します。 昭和の時代は、前方後円墳の普及が「大和政権の拡大・侵攻地」と看做されていました。 前方後円墳が存在しない地域は、集団生活をしていない野蛮な地域だとね。 出雲地方でも、(前方後円墳が無く四隅突出古墳だけだったので)野蛮な地域と看做されていたのです。 >行為が本当にあったのかどうか知りたいです。 先に書いた通り、誰にも分かりません。 毎年の予算が10億円で、政府の制御が利かない日本学術会議でも正確な回答は不可能です。 そもそも、何故前方後円墳になったのかも不明なんです。 一般的に言われる神武天皇(神武大王)の墓とされる前方後円墳も幕末に完成しています。 「わが藩は、勤皇派だ!」を、証明する為に土木工事を行いました。 それまでは、直径3メートル程の「土饅頭」に「石が3本乗っている」に過ぎませんでしたから・・・。 幕末には、多くの円墳・方墳が「前方後円墳に変身!」しています。^^; >なにか参考になる情報があれば教えて下さい。 文科省非公認の説では、面白い関連付けがあります。 前方後円墳の形は、「ワインカップ」だとね。 円墳部分を底だとすれば、方墳部分と円墳部分を繋ぐ「ミミ」は「取っ手部分」に相当しますよね。 古代にワイン? 日本人のDNAを調査した所、朝鮮民族・中国大陸の民族(漢族・満州族など)とは共通性がありません。 共通性があるのは、チベット族・ネパール族・釈迦族なんですね。 チベット族・ネパール族・釈迦族は、古代に「秦」と呼ばれれたローマ帝国から迫害されて民族移動した様です。 この説だと、古代日本人も「ワイン」となりますよね。 ワインは、宗教の重要な地位をしめています。 ※支配者及び支配者が認めた者しか飲めない。 この説に枝葉が付いたのが、質問者さまもご存知かもしれませんが「日ユ同祖論」です。 イスラエル大使館も、日本全国各地を調査しています。 以上の話は、大手の本屋に行けば「歴史・宗教コーナー」に本・雑誌があります。

violet1101
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 古墳について様々な解釈がなされているのですね。

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