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一瞥をくらわす?

こんにちは。 大学一年生の女子です。 「一瞥」について「あれ?」と思ったのは、中学生の時です。  中学の国語のテストで『 「一瞥」を使い、主語と述語のある文を作りなさい。』という問題がありました。  その時、読んでいた本に「一瞥をくらわす」と言う文がありました。 私は何故かこの文が気に入って、「一瞥を投げる」とか「一瞥して」という文を使わずに 「彼女は、彼に一瞥をくらわした。」という文と作りました。  結果は、不正解でした。 (不正解理由→「こんな使い方はしないでしょ~」) その時は「ああ、活字を信じた私が馬鹿だたわ~」と思ったのですが、その本というのが、 「小野不由美」か「舞城王太郎」だと思うのです。 この二人は、シッカリとした日本語を書いている作家さんだと思っています。 ここで質問です ・「一瞥をくらわす」と言う使い方は間違いですか? ・「一瞥をくらわす」と書いてある作品を見たことがありますか? 中学生の時の記憶なので、作家さんは違うかもしれません……。 お暇なとき、答えてください。

noname#62838
noname#62838

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

こんにちは☆ 「一瞥=ひと目ちらっと見ること」で、普通は「一瞥を投げる」という風に使うみたいですね。 (あたしはこんな難しい言葉使ったことがありませんが^^;) あたしはその作家さんも知らないのですが、もしかしたらわざと「一瞥をくらわした。」という文章を作ったのかも?と思いました。 「ただちらっと見た。」というよりも、「睨むような感じで見た。」って感じがしませんか?? あたしの勝手な想像ですが^^;

その他の回答 (7)

  • hssh
  • ベストアンサー率24% (12/49)
回答No.8

私もその作家の方は知らないのですが、これまでの皆さんの回答を拝見していて思いついた事があります もしかして、その作家の方は、「一撃をくらわす」に掛けて「一瞥をくらわす」とされたのではないでしょうか わたしには、情景が目に浮かぶようです 作家の方は表現に心血を注いでおられます。 まれに、勘違いや編集者の校正ミス、写植過程での入力ミスなどで、誤字脱字などがありますが、わたしには、今回のケースは狙った表現のような気がします ただし、学校教育では不正解とされるのもしょうがないと思います。さきの作家の方の表現も、正しくないことを知っていればこそ、この表現に込めた意図がより強調されて感じられるものだと思います

noname#62838
質問者

お礼

回答して下さった皆様へ この度は、大変丁寧に回答して下さり、ありがとうございました。 これからは「ん?こんな言葉あるの?」と思ったら調べてから、使おうと思います。 それが、作家さんの心を受け取ることかなぁ。とも思います。 それでは、ありがとうございました。

  • sanmasen
  • ベストアンサー率31% (12/38)
回答No.7

私は専門家ではないのであくまでも個人的な意見です。 「くらわす」というのは少なからず悪意を持った表現です。例えば(嫌いなあいつに一発くらわしてやった)などと使う事もあります。 だから、悪意を込めて一瞥するような時に「一瞥をくらわす」という使い方をしたとしても、必ずしも間違いではないと思います。 小説などでは、ストーリー展開や、登場人物の心情に合わせて、いろんな言葉を使いますよね。 日常では決して使わないような言い方でも、物語の中だと絶妙の効果を出したりします。 ただ、中学の国語のテストという事を考えると使い方としてふさわしくないという事だったのではないでしょうか。採点する教師にもよるでしょう。 もし私がその教師なら○ですけどね。 決まりきった使い方より、違った表現の仕方に興味を持てる感性は大事ではないでしょうか。

noname#118466
noname#118466
回答No.6

一瞥はチラと見ること、視線を投げることです。 従って、「一瞥を投げる」「一瞥を呉れる」「一瞥する」などと使われます。反対に全然見ないこと(相手にしない、無視すること)は「一瞥も呉れず」「一瞥だにせず」「一顧だにしない」といいます。 一瞥を食らわす・・・意味は分かります。しかし下品な感じがします。相手を見下して(馬鹿にして)一瞥を食らわした(与えた、呉れた)と書く人がいても不思議ではありませんが、試験ではペケでしょうね。一瞥は視線のことですから相手に食わせることは出来ないでしょう。

  • horixima
  • ベストアンサー率28% (2/7)
回答No.5

直接の回答ではありませんがひとこと。 「一瞥をくれる」というのはよくみます。 「一瞥をくらわす」や 「一瞥をくれ」はみたことがありません。

  • NAATAN
  • ベストアンサー率33% (57/170)
回答No.4

「一瞥をくれ」という言い方は有りますが、「一瞥を食らわす」という言い方は寡聞にして耳にしたことがありません。 ただ、小説の表現では基本的に制限は無いと思いますので、例えば「一瞥したが、その視線の冷たさや鋭さが筆舌に尽くしがたい」ということを表したくて、そのように書くこともあるかもしれません。

  • silpheed7
  • ベストアンサー率15% (1086/6908)
回答No.2

「一瞥をくらわす」とは言わないと思います。 goo辞書によると ひと目ちらっと見ること。 「広く文芸全般の自然主義について―するに/文芸上の自然主義(抱月)」「―を投げる」

参考URL:
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B0%EC%CA%CD&kind=&mode=0&jn.x=29&jn.y=12
回答No.1

「一撃をくらわす」と混同してしまったのではないでしょうか。 一瞥をくらわすは誤りです。

noname#62838
質問者

お礼

ありがとうございます。 混同していしまったのでは、ないと思います。 先生に本を見せ「ねぇ!?」って迫ったので(笑) 視線で相手の抵抗を、止めさせる。 ジロリと、一瞬睨んだ時の表現だったと記憶しています。 と、こんなコトを書いてしまうのは、未だに作家さんを信用し「私は間違ってないぞ!!」と言いたいのかもしれません。 間違い一つも認められない私は、心が狭いこと。 ありがとうございました。

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